第5話 青と黒の行末: 嵐の予感

 逃げ遅れたセミと鳥たちの声が聞こえる。他の仲間たちへと誇示するように。もしくは嵐が過ぎ去ることを願うように。

 絶え間なく吹き抜ける風に、もしかして地球上には自分しかいないんじゃないのかなんて妄想してしまう。何かしらの要因で荒廃した街のなか、物資を求めて一人彷徨う。そういうシチュエーション、結構憧れる。

 

 きっと、最近一人を実感出来なかったからだ。水族館に出かけた日からずっと姫宮さんとメッセージを交わしている。夏休みの日々のどこか片隅に、姫宮さんが常に映っているような感じ。だから、少しずつでも彼女のことを知れるのかな……なんて考えていたけど、結局核心に迫れた日は無かった。大丈夫。休みはまだ長い。

 それより自分の心配をしないと。雨が本格的に降り出す前に、さっさと買い物を済ませよう。正確に言うと台風が来る前に、だね。


 家から歩いて10分が経った。目的のスーパーまであと3分ぐらい。

 市街地ということもあって、普段は人の往来が激しいほう。なのにここまで一切人とすれ違わなかった。やっぱり皆、予報もちゃんと確認しているし、台風の日は外出しないってことを守っているんだろう。もちろん私だって流石に雨が降り出したら即帰宅する。ただ……


 どうしてか嵐の前の静けさ、前兆の段階だと無性に散歩したくなる。  

 過ぎていく毎日に突然現れるイベントと似ているから。例えば体育祭、文化祭、修学旅行とか?

 

 あぁ。嫌な事思い出した。去年の体育祭は散々だったな。競技が午前中の早い時間帯に終わって、でそれっきり。あとはふらふらしてた。行事に関しては学校側も甘いところがあるから、別に問題ない。ただ帰るのだけは当然ダメだった。

 つるむ友達もいないし、かといってやることもない。スマホのバッテリー残量が10を切ったときは焦ったよね。

 

 よし。ついた。やっぱり考え事するとすぐにつける。買うものは決まっているし、早いとこ買って早いとこ帰ろう。スーパー早買い物ランキングTop3に名を残す勢いで。

『なにそれ?』

 姫宮さんにつっこまれる幻聴を聞いた。末期だね……

 

 店内は明らかに静かだった。閉店の時間を繰り上げる張り紙から読むに、店員さんもいつもより少ない。珍しいものを見るような視線も感じるし。4時ぐらいなのにまるで閉店間際の空気。

 本当に買い物していいんだよね?

  

 えーっと。水、水……今日は紅茶の気分かな。いや喉乾くしミネラルウォーター、もしくはあえてジャンクなジュースで一人パーティーしてみたり?

 家族の分も買っていったほうがいいよね……だから大きめの――でも持って帰るの大変になるか。お茶2本ぐらい買って、1本ジュース。追加で1本私のを。どっちにしろ持って帰れないじゃん!

 自分の分とお姉ちゃんの分の2本で良いか。頼まれたわけではないし。お姉ちゃんのは適当なジュース。別に迷いもしない。文句言われたら『静粛に』とか言えばいい。うーん、もし言ったらどうなるんだろ。泣き出すか跪くか――待った、こんなこと考える暇あるんだっけ?

 

 結局同じものを2つカゴに入れ、コーナーを後にした。なんか普通の買い物より時間経った気が……

 

 次、お菓子。具体的にはクッキー。何かの片手間に食べるものとして優秀だから。好きな食べ物のお菓子部門第一位、でもある。

 こうなったらクッキーだけ見つめよう。迷う余地が無くなるから。

 クッキー、クッキー、クッキー……

 チョコチップ、ホワイトチョコ、いちごチョコ。バター、ベリー、フルーツ。セサミ、チーズ、シナモン。


 ……?

 

 どうしてこんなにあるの、おかしくない!? 行くところまで行けば専門店開けるよ? ……担当の人が狂ったんだね。気の毒に。

 意識すればするほど色んなフレーバーに気移りしてしまう。普段は手堅いところを買っている分余計に。たまには別のものを買おう。いちごチョコなんか良いな。ジュースに合うものとなるとセサミも。ベリーも珍しくて気になる。ただチョコチップはダメ。クリッカーで一生分見たから。

 

 で。前フリ通り、ちゃんと選ぶのに時間かかりましたとさ。

 あぁもう! 丁寧に買い物したとしてももっと早く会計できたよ! 

 

 せめてもの埋め合わせとして、5%ぐらいスピードを上げてセルフレジに直行する。

 台にカゴを乗せてレジ袋をセットして。入れる順番なんて気にしていられない。

 

 バーコード決済のためにスマホを取り出すと、誰かが数分前に通話をかけてきたようだった。どうせ家族のうちの誰かだ。外に出ることは事前に伝えているし、頼まれ事もされてない。店を出たら折り返すとしよう。

 それどころではないんだし。

 

 ありがとうございました、の一言に軽く会釈を返し自動ドアを抜ける。

 空は灰に埋め尽くされて、霧に近しい雨が降りつけている。遅かった。でも迷う時間はない、全速力で帰ろう。

 まず電話を返さないといけない。もしかしたら車で迎えに来てくれるかもしれないし。

 細かな水の粒子をふき取りながら、ろくに相手のアカウント名も見ないでボタンを押す……


 1コール目で繋がった。

「もしもし。悪いんだけどさ、迎えに来られたりする?」

『えっ。今碧月さんどこにいるの』

「んん?」

 繋がったは繋がった。でも聞こえてきたのは家族の誰とも違うタイプの声。

 いや、まだわからない。ボイスチェンジャーで女声に変えた父親な可能性もある。

「どちら様です?」

『燈夏だよ。と、う、か。あなたの一番の親友』

「なるほど」

『反応うすっ』

 まぁ、驚きはしなかったかな。実を言うと電話がかかってきたときから予想はついていた。うちの家族はやりとりするとき基本メッセージしか使わない。

「ごめん。外にいるからあとで話そう」

『……こんなときに外出してるんだ。まいいや、気をつけてね』

「わかった」

 

 忠告通り、最大限の注意力と最大限の持久力を駆使して帰路についた……っていうのは大げさでもなんでもない。

 灰色どころか限りなく黒に近い雲が見えて来た時、夏の音が何も聞こえなくなった。セミも鳥もいなくなったようで、ただ無機質な風が鼓膜に届くだけ。


 怖かった……今度からは外出するの控えよう。


 *


 家に帰ってきてから結構な時間が経ったあと。21時を回り、本降りの雨と風が響き始める。

 

 本来帰った直後に電話するべきなんだろうけど。夕飯食べたりお風呂に入ってからしよう、と提案したらその通りにしてくれた。電話一本に準備かけすぎな気もする。仕方ないよね、あらゆる連絡をメッセージだけで済ませてきた人生だったんだから。

 で、お姉ちゃんには買ってきたジュースをぽいっと渡した。『もっといいの無かった?』なんて文句たらたらだったから、予想通りだっていうことと『静粛に』の一言を付けて。そしたら『かわいい。一生懸命考えたの? ぎゅーってしてあげるからおいで』なんて両手を広げながら平気で返事された。大学生にもなってよく……普通の姉妹がどこまで仲良いかは知らない、でもお姉ちゃんはシスコンが過ぎると思う……

 いやそんなことは心の底からどうでもいい。どうせ本気で拒絶しても無駄だし、経験上。

 

 椅子に深く腰掛けて、姫宮さんからの着信を待つ。雨風は猛烈な域に達して、家のどこにいても耳を塞いでいても轟音が届く。いずれ雷も伴うはず。

 予報では台風の影響は一夜限りで、明日からしばらく快晴が続くらしい。でも窓の外を見ると疑いたくなる。

 

 部屋の照明を消して、代わりに卓上の明かりを点ける。加えてぬるくなった飲み物と少しばかりのお菓子。背景には軋む窓と止めどなく揺らされる木々の音。雰囲気は最高に近い。


 ぼんやりと上の空を見つめていると、机に置かれたスマホが騒がしく鳴動する。すぐさま手に取ると、見慣れた名前。

「どなたですか?」

『どなたって……分かるでしょ。またさっきとおんなじやりとりするの?』

「ごめんごめん」

『もー……』

 スマホ越しに、呆れたような感嘆が漏れでた。人と話すときは面と向かうのが基本だから、相手の表情が分からないことに不自然さを感じる。でもこの不自然をいずれ自然に変えないといけない。将来どこかで確実につまづくから。

「で、なんで電話かけてきたの?」

『ん? 理由なんている?』

「えっ」

『たしかに考えたこともなかったな~』

「強キャラ……?」

『とにかく。いつもみたいに色々おしゃべりしようよ』

 まさか通話で取り留めもない会話をしてもいいだなんて。私が思っているよりも遥かに人類は進化しているんだね。

 ……ということは置いといて。いつも何話してるんだっけ、と懸命に日常を想起する。経験の浅さ故にいちいち考えなければ会話のきっかけが作れない。

 ただ、そのきっかけを作る役割は姫宮さんが担ってくれることになりそう。良かった、少なくとも沈黙に途切れることは無い。

 

『そうそう、夏休み明けすぐに体育祭あるよね。碧月さんなんの競技に出るの?』

「ん、ちょっと待った。体育祭ってなに?」

『体育祭ってなに、ってなに? どのクラスも盛り上がってるはずなのに……嘘……』

「さすがに分かってはいるよ。ちょっと嫌な記憶が」

 

 私達の知り合った日が夏休み直前なせいで実感できないけど、お互い別のクラスなんだよね。もし同じクラスなら体育祭に対してここまで億劫になることも無かっただろうに。いや、体育祭だけじゃない。他の行事についても。ソロプレイに厳しすぎる……


『去年の話? ま、大丈夫だよ。なんたって今年はわたしがいるから!』

「心強いね、助かる。私、ドッジボールに出るんだけどそっちは?」

『ドッジボール? あぁなるほど、なるほどね……ふっふっふ』

 

 不敵な笑いが聞こえる。好敵手を相手取ったときのような。

 先に言うと、確か私のクラスと姫宮さんのクラスはトーナメント一回戦目の敵同士だったはず。勝った方が次の試合へと進む。負けた方は敗者復活の余地なく即脱落。つまり負けたら暇を持て余すことを強制される。

 そう、負けたら暇になれる。

 あとは校内をぶらつくなり、こっそり持ってきた漫画を読むなり自由にできる。だから実力がはっきり表れて、上手くやればいい感じに手を抜けるドッジボールを選んだ。私のクラスには体育祭へ時間を捧げるような同級生なんていないし。


『安心してよ。優しくしてあげるからさ……』

「ずいぶんと余裕だね? 手心加えて勝てるようなチームじゃないよ、こっちのクラスは」

『むむ、じゃあ本気5割で』

「10割でお願いします。どうぞ踏み台にしてください」

『え、負けたいの?』

「はいっ!」

『負けたいんだ……』


 体育祭の話題がひとしきり終わったあと、今度は文化祭、修学旅行……と行事について色々言い合った。正直明日になっても覚えていられるものは無い。でも、そんな温度感が丁度良かった。

 暗く吹き荒れる空には雷鳴が付け足されて。とにかく恐怖と寂寞を埋める必要があったから。


 次に時間を確認したとき、スマホは0時を表示していた。


「ちょっと、ベッドのほう行くね」

『もうこんな時間なんだ。どうする? 今日ここまでにする?』

「いや、私はまだいけるよ」

『わたしも。じゃあもうちょっと話そうか』 

 

 机の上にある一切を片付けてベッドへ横たわる。同時に、布が擦り切れる音と微かな吐息が向こう側から聞こえた。姫宮さんも同じように寝ながら話しているんだろう。ちょっと……いやらしいかも。なんか声も囁き声みたいになってるし。

 そんな邪な想像が眠気をかき消してくれる。眠いどころかいつも以上に脳は冴え切っていた。これ、授業中も試してみようかな。眠くなったら姫宮さんを思い浮かべ……待って、違う。おかしい。

 

『碧月さーん。起きてるー?』

「っ、はい。もちろん、この通り」

『よろしい!』

 危ない危ない。姫宮さん、たまに平気で私の心読むから気を付けないと。

 

『でさ……こういう夜中に二人きりで話すことといえば……もう一つしかない、よね?』

 理性を試すような艶めかしい声色。大丈夫、冷静になればいくら心を読まれても問題無い。心頭滅却すれば火もまた涼し、は違うか。

「宇宙の神秘について?」

『いや、うん。まあ正直話してみたい気はする。ある意味真逆だけど』

「つまり?」

『恋バナだよ。こ、い、ば、な』

「ふーん……」

『あ、今明らか興味なくなったでしょ!?』

 

 姫宮さんはお手本を示すからと言わんばかりに先手を取る。はぁ、こういう話においてさえ気を遣われる私……

『ほら、好きな人とかさ。タイプとかない?』

「んー、好きな人っていうのはいないかな」

 好きなキャラならたくさんいるんだけどね。心の中で呟く。言ったところでスルーされるのがオチ。

 

『ふーん……じゃどんな人だったら良いの?』

「やっぱり、私のことが好きな人を好きになっちゃうかも。こんな私を好きでいてくれてありがとう、みたいな」

『なら、知らない誰かさんから告白されても相思相愛になっちゃうってこと?』

「人は選ぶよ」

『だよね。良かった』

 胸を撫で下ろす姫宮さんの姿が容易に想像できる。お姉ちゃんとは別の意味で過保護気味……

 

「それで、姫宮さんは」

『そうだね……いつまでも変わらない人、かな』

「というと?」

『好きっていう気持ちを持ち続けてくれる人、とも言うね。いつまでも最初のままというか』

 最後までつかえずに言い切ったところを見るに、用意された言葉であることは間違いない。こういう会話を振られた時のための。きっと、本心を隠すための建前に過ぎないはず。

 

 ただ、姫宮さんも深夜の魔法にかけられているのか、あることを教えてくれた。

『……っていうのは建前で。本当はずっと想ってる人がいるんだ』

「……うん」

 

 彼女はより本心に近づくような語り口で独白を続ける。続けざまに、そしてどこか遠い記憶に想いを馳せるように。

『中学3年のとき、体育のドッジボールで思いっきり目にボール当たっちゃってさ。目を抑える手が離せなかった』

『保健委員の子がわたしを抱えて、保健室まで連れて行ってくれたんだよ。でも先生はいなかった。だからその子が代わりに目を見てくれた――少なくとも3分以上は見つめ合ってたんだ』

 

『ねぇ碧月さん。7って聞いたことある? これが恋なのかは分からないけど……事実、わたしはその子の眼が、瞳が、ずっと忘れられない』

『あの日は強い雨が降ってた。でもそのおかげで、心臓の音を聞かれずに済んだ。だから……やっぱり思い出しちゃうな、今日みたいな日には』

 

 しばらく無言で耳を傾けていた。感情のこもった叫びは、どこか悲痛でもある。

 怪我は問題なかったのか。相手は誰だったのか。……どうして私に教えたのか。色々な疑問が生まれたけど、聞くべきじゃない。綺麗な思い出にあれこれ疑問をつけるなんてナンセンスだから。


「……私に言わせれば立派な恋だよ」

『ふふん。このこと教えたの碧月さんが2人目だから。他言無用だよ?』

「守るよ、絶対に」

『じゃあもう寝よ。これ以上うっかり口滑らせる前にね』

 

 姫宮さんは自嘲気味に笑う。本来ここまで喋るつもりはなかったんじゃないかな。

 なんにせよ、これでまた彼女のことを知れた。たとえほんの一部分だとしても、いずれ踏み出す大きな一歩につながるはず。

『ふわぁー……今日はありがと、おやすみ』

「うん。おやすみ」

 

 効果音と共に静寂が訪れる。少し物悲しいような、寂しいような。きっと直接会って話すより会話に没頭できていたからだ。

 なんにせよ一夜の密会はこうして幕を閉じた。私も早いところ寝ないと……

 

 ……ただ、寝ようとしているのに眼を閉じられなかった。


 理由なんて分かりきっている。

 ひとつだけ、会話の中で引っかかったものがあるから。悪い意味ではなく、かといって良い意味とも言えないもの。

 

 浅い脱力感の中、未だ衰える様子のない嵐を横目に、一様に広がる天井を見つめる。

 

 7秒見つめ合うと恋に落ちる。姫宮さんが言っていた言葉。真実かどうかはさておいて。その言葉は古い記憶を呼び覚ました。

 

 中学3年間が終わる、卒業式の日。ひとり佇む私のもとに駆け寄る一人の同級生。

 萌芽の枯れ枝と共に、煥然たる瞳が私を覗いた。


 何度も何度も、想像上で繰り返し反芻した出来事。


 私達は全く同じ体験をしていた。そして、私はそれを恋だと言った。

 

 自分の言葉には責任を持たなければいけない。つまり――ある意味私も、恋をしている。もはや再会できる確証さえない相手に対して。

 

 姫宮さんに連れ添った人は今どうしているんだろう。いつか知れる時が来るのかな。

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