第3話 夜空の帳

緩んだ騒々の渦中、担任が口火を切る。

「夏休みだからって羽目を外しすぎないように」

「課題の量も多いだろ。それに休み明けは確認テストがある」

 お手本のような締めくくり。毎回毎回同じような挨拶をして飽きないんだろうか。


「つまり、せいぜい楽しめということだ」

 彼は教壇に体重を預け、同時に笑みを浮かべた。 

 呼応するように、教室中から合いの手が響く。


 皆口々に歓喜しているけど……これって皮肉じゃ? ていうか普通1学期最後の日にこんなこと言う?

 いや、皮肉の張本人もまんざらではなさそうだし、別にどうでもいい。

 

 これから始まる壮大な旅と比べれば。すべてが些細な事でしかない。


「ではまた2学期に。健康には気をつけてな」

 その言葉を発端として、次々に教室を出て行く同級生たち。もちろん負けてなんかいない。なんなら一番早く退室出来たと思う。帰宅すれば、素晴らしき日々が待ち受けている。そう考えれば、誰だって猛き獣のような俊敏さを我が物に出来るだろう。


 今日の私は帰宅におけるスペシャリストだ。最小限の歩幅で最大限の効率的な移動。極限まで研ぎ澄まされた足運び。下駄箱の操作すら、あらゆる職人を凌駕する。

 昇降口を脇目に、校門をひとたび抜ければ、もう誰にも止められはしない。煥然たる日々の訪れを。

 

 さぁ行こう……

 今こそ、全てを、解き放つんだ。 

 

 *


 朽ちた城塞を一歩また一歩と進む。あるときは正面から叩き、またあるときは背後からの一刺しで確実に仕留めた。遠距離からでも問題ない。偉大なる祖たちが残した魔法。青色の輝きが敵を瞬く間に貫く。右手の剣と左手の杖。この2つさえあれば、いずれきっと王になれる。

 けれど分かっている。命を賭した戦いの中、時に己の命をも差し出さなければいけないことは。

 

 黒鉄の鎧を纏った大柄の騎士が立ちはだかる。今まで何回も相対した敵だ。最後まで冷静に動きを見極めれば、絶対に勝てる。

 後の先を狙わなければいけない。いかなる攻撃でも、被弾すれば致命傷を免れないから。だからまず初太刀を全力で回避した後、即座に背中へ回る。そして、鋭利な刺突を君にあげよう。

 

 かの騎士は大槌を振りかぶる。これは単純な叩き潰しの予備動作。

 大丈夫、前に回避すれば余裕で――


 その時。


 背後より飛来した炎が私を穿つ。画面の中央いっぱいに橙と赤のエフェクトが広がった。

 

「っ!?」

 あまりに予想外な攻撃に、思わず声が漏れる。

 死角からの攻撃を受け、怯まない生物なんているだろうか? ゲーム内のキャラクターにも、プレイヤーである自分自身にも言える。

 怯み、判断の鈍り、冷静さの欠如。数々の要因から生まれたわずかな隙は、あまりに重すぎる被弾を許すのに十分だったんだ。

 

 二重の衝撃により、命は一瞬にして潰えた。

 ボタンを愚かに連打する私をさておき、画面には無慈悲なYOU DIEDの文字が広がる。

 180度視点を動かすと、そこには炎の投擲物を携えた一体の雑兵がいた。道中の敵は全部片づけたつもりだったけど、まさかの漏らしがあったなんて。ちゃんと確認するべきだったのに!

 

 ま、まぁいっか。別に。

 少なくともまだ納得感のある死に方で良かった……これよりひどいのを多く経験してきたからこそ言える。

 今回は君たちを許す。でも次やったらどうなるか分かるよね? そう、こっちが死んじゃう。だからやめてね。お願いだから。


 ……とりあえず一旦休憩しよう。なんだかすごい疲れた。5,6時間目の授業を通しで受けたような気分。

 でも1時間もすれば、懲りずにまたプレイするんだろう。あいにく、時間だけはたっぷりあるんだから。カレンダーが白に塗りつぶされている限り、次元を跨ぐこの壮大な旅は終わらない。

 

 長時間の集中により重圧が蓄積された身体を、思いっきり伸ばす。時計代わりに外を見やると、もう既に太陽は沈みかけ、紫と橙のグラデーションで空が染まっていた。我ながら恐ろしい。通学と課題という鎖から放たれた途端、こんなにも時間が短く感じるなんて。


 飲み物を持ってこようと立ち上がったと同時。ドアの向こう側から繰り返しノックされていたことに気づく。


 イヤホンを着けてたから、もしかするとずっと無視していたかもしれない。そのときはちゃんと謝ればいいか。

 それにしても、普段の両親もしくは姉ならば、無視されていることに気づいた段階でとっくに大きい声を出していたはず。それこそ、イヤホン越しにでも聞こえるぐらい。


 まぁ。別に気にすることでもないか。


「ちょっと待って、今開けるから!」

 隔たれた向こう側に聞こえるよう、腹の底から声を上げる。 

 その勢いのまま取っ手を引っ張った。


 暖かく多量の水を含んだ空気が鼻腔をつく。熱帯の匂いに身体が引き返せと言っている。だけど結局それは未達に終わった。なぜなら……

 

「ふぅ〜ん、家の中だとそんな声出すんだね」


 目の前に立っていたのは家族ではなかったから。


「えぇ、またこのパターン!? ていうか親はなんでなんにも言ってくれないの!?」

「またとはなんだー、せっかく帰り道に寄ってあげたのに」

 姫宮さんは施しを与える聖母のように、でも施しを欲する民のように、慈悲と強情の眼差しを見せた。正に壊れることのない魅了の眼差しと言える。

 うん、つまり……これ以上こっちからは何を言う気にもなれない、ってこと。

「ほんとはわざわざ来なくてもよかったんだよね、でもせっかくだし直接会っちゃってもいいよなーって。この前も部屋に上がらせてもらったし」

「すごい行動力……」

「あはっ、それがわたしの唯一の持ち味だから」

 他にもたくさんあるでしょ、とはあえて言わなかった。話題が迷子になるのを恐れたからに他ならない。つまり発するべきはもっと別なこと。


 立ったまま会話をすることはどうしても慣れない。だから渋々部屋の中へ招き、座らせた。もちろん、モニターの電源を消したあとで。過激なゲームをやっていると勘違いされるのも嫌だし。もちろん私は1ミリもそんなこと思ってないけど。どうか彼女もそうあってほしい。

「とにかく、どうしてわざわざ会いに来てくれたの? 何かしら理由があるのは察してるんだけど……」 

「そうだ。夏休みどこにいくか話そうとしたんだった。どこか行きたいとこある?」

「うーん……特にないかな。姫宮さんはある?」

 彼女は口に人差し指を当てがい、上の空寸前の表情を見せる。思うに、近辺の遊ぶ場所を懸命に探しているんだろう。

 私もつられ、街中から一駅、二駅先と俯瞰して探し回る。普段家からあんまり出ないことが災いし、すぐには見つけられなかった。でも……


「いや、一つ思いついた。姫宮さんと行きたいところ」

 素直に伝えると、呼応するように彼女も熟考から放たれ口を開く。同じようにアイデアが浮かんだのだろうか。

「ほんと? ちなみにわたしも一つ思いついたよ」


 どちらが先に提案するかということについて、私達は束の間腹を探りあっていた。折衷案が見出されるまで。

 

「じゃ、せーので言い合おう。そうすれば公平でしょ?」

「わかった、わかった……」

「よし、いくよ? いいね?」

 呼びかけに対し多少大げさに頷く。不平を暗に表す最後のあがきだった。でも伝わっているようにはどうしても見えない。こうなったら気にしても仕方ない、今こそ覚悟を決める時だ!


「せーのっ」

「「水族館」!」

 

 お互いを一瞥した。おそらく同じ感情を共有している。

 彼女は目を瞑るほど笑うと同時に、ため息を漏らしていた。それが負の感情なのか、もしくはまた別の感情なのか。正直に言って不安になる。どっちにしろ、たとえ一瞬でも考えが通じあったんだとしたら。喜んでもいいのかな。


「ふふ、それなら予定を決めないと。何日なら空いてる?」

「私はいつでも暇。だからそっちが決めて構わないよ」

 すると彼女は上目遣いでこう即答する。

「じゃあ、明日」

「え、明日!? いくらなんでも急すぎじゃ?」

「だめ?」


 想像してほしい。もし自分の部屋に一人の少女がいたとして、あまつさえその少女は自分に甘えるように何かを懇願しているとしたら? それも容姿を完璧に活かしたポーズと表情で。

 誰もが分かるだろう。お願いを断るという選択肢が初めから無いことは。

 私は見事に撃沈されてしまった。


 どっちにしても、明日は、いやずっと予定なんか無いままだし。


「も、もちろん! 姫宮さんのお願いなら何でも聞く! 私にできる範囲ならね!」

「いいの? やった!」 

「ちょっと!? なんで抱きつくの!? く、くすぐったいから……手、離してよ……」


 この状況を誰かに見られたら一体どうなる? 一つ言えるのは、確実に何か大切なものが失われてしまうことだろう。

 でも案ずる必要はない。明日からは夏休みだし、ここはまごうことなき私の所有する空間なんだから。つまり誰にも見られるわけがない。


 ……それを予断と言うことなんて、言われずとも分かる。あのさ、絶対の事象は無いってこの前自分で言ったはずだよね、数秒前の私!

 もし簡単に時間を巻き戻せるのなら――いや、もうやめておこう。なんだか惨めになる。


 はぁ、どうして気づかなかったんだろう。

「ねぇねぇ霞、お母さんと買い物行くんだけどさ、なんか買ってくるものある……って、えぇ」

 声の元を辿ると、言葉の主、もとい姉が凍り付いたように立ち尽くしていた。本当に凍っているのか、と言いたくなるぐらいには何から何まで固まっていたから。もっとも私達二人にそんな余裕は無かったんだけど。


「なんで勝手に入ってきた!?」

「2人……はさ、そういうあれなの?」

 目を大きく見開いたまま姉は問う。疑問など気にも留めず。

「違っ、違います! そんなのじゃありませんから、本当ですから!」

「あぁ、そうね。うん。そうだよね~」

 やましいことは何もない、早く部屋から出ていって。下手にそう口走りそうになったのを必死に抑えた。

 秘め事を暴かれたからには、あれこれ弁明してもかえって逆効果だろう。


 少しの時間が経ったあと、私達は家族の目線を避け、かつ足早に家を抜けだした。一番の理由は姫宮さんのため――彼女は暗に表情と眼差しで示していた。察する能力が致命的に低い私でさえ、それが何かはすぐに察せた。なんでもいいから早く逃げだしたい、というのは同じだったから。


 扉の先はただ熱く、時折吹き抜ける微風すらも心地良い。二つの意味で火照った体に十分な冷やかさを与えてくれる。


 遍く自然を通り抜けて、ひぐらしの幽遠なる囁きが響く。残照に染まった世界を静かに彩る。


 荘厳な自然の中、一人佇みたくなるほどの情景がそこに広がっていた。

 

 夏の夕闇を踏みしめながら、やがて訪れる特別な明日へ考えを巡らせる。前日になって外出の予定を立てて、誰かと二人きり、出会ってわずかの人と。誰も、あるいは自分でさえ予想する余地なんてなかったはず。


 しかし未だ心のどこかで信じ切れずにいる。

 何もかもが思い過ごしなんじゃないか。と。いずれ終わる夢なんじゃないか、と。だから……

 

「ここまででいいよ。送ってくれてありがとう」

「……」

「ねぇねぇってば。聞いてる? 大丈夫?」

「……あぁ、ごめん。ちょっと耽ってた。それで、どこまで送っていけばいいの」

「ほんとに大丈夫? 具合、悪いわけじゃないよね」

 

 そう……とにかく不安でしかないんだ。あらゆる言葉を浮かべ並べても、最後に現れるのは底なしの不安。どうして私なんかと話してくれる? どうして私なんかのために貴重な時間を割く? どうして――


「どうして学校の外でも一緒に居たがるの、なんて言いたげだね。うん。特別に答えてあげよう」

「へっ!?」


 吹き荒ぶ突風が脳内に立ち込める濃霧を晴らした。

 

 もしかすると、姫宮さんは読心術の使い手なのかもしれない。あるいは人間の感情を自在に手繰る超能力者。違う、今考えるべきはそれじゃない。もっと重要なのは情けない声が漏れてしまったこと――じゃなくて――あぁもう!

 

 思考はすっかり毒気を抜かれ、唐突な展開にただ困惑していた。選択肢は二つに一つ。このまま碌でもないことを考え続けるか、彼女の次なる言葉を待ち続けるか。どっちにしろ同じ? 知ったことじゃない!


「あなたのことが好きだから」

 屈託のない、一見真剣な表情で。なんの躊躇いもなく。

 もちろん、冗談であることは知っている……けど、もし他の人間だったら……

 本当に油断も隙も無い。もうちょっとで勘違いするところだった。


「ちょっ……あのさ、最近姫宮さん大胆過ぎない? 色々と」

「もちろん友人としてだよ。あれ、もしかして勘違いしちゃった?」

「違うから!!」

「ふっふーん。良い反応見せるそっちが悪いんだよ。ついからかいたくなっちゃう」

 傍から聞けば、このやりとりはこちらを照れさせるただのからかいに過ぎないんだろう。


 けど私はそうは思わない。なぜなら確かに聞こえたから。

「少なくとも今は、ね」

 その一言が。

 

 ……


 勘違い……してもいいのかな。


 言うまでもなく、憂いの黒にまみれた疑問の数々は私の中にあった。

 それらをきちんと言葉にして、人に伝えるなんてできるわけがない。直接問うことすらできないから、ずっと脳内に渦巻き続けるんだろうと思い込んでいた。つい数分前までは。


 ただ、交わる目線が再び教えてくれた――彼女相手に、無駄な言葉なんていらないことを。


「で何時に集まる? わたし的には早めに集まりたいかな」

「いいよ。電車とかの都合もあるだろうし、あとで色々連絡してほしい」

「わかった!」

 限りなく澄んだ笑顔を見た。思わず、人間とはこんなにも純真な表情をできるものなのか、と考えてしまうほどの。

 

「じゃまた明日、碧月さん!」

「うん、また。帰り道気をつけて」


「あーそうだ」

「あのゲーム、友達もやってたんだよね。だから今度見せてほしいな」

「み、見えてたんだ……」

「もちろんだよ、わたしに隠し事は通用しないからね。以後、気を付けるように!」

「ぜひそうさせてください……」

 まぁ、なんだかんだゲームについてとやかく言わない人で良かった。今はただそれしか言えない。


 ともかくとして、しばらくその後ろ姿を見送ったのち、私は来た道を振り返った。

 もうだいぶ暗い。早く家に戻ろう。


 空を見上げると、天を覆う雲々が黄金に縁取られていた。宵の明星が浮かぶ空に降り始める、黒に染まる帳。

 あんなに喧噪に満ちた夏の一日が終わろうとしている。いつもと同じように。当然ながら。


 でも一つだけ違うものがあった。

 

 高鳴る心音を刻む鼓動。


 まだ見ぬ明日への期待か、もしくはその先に訪れる未来への渇望か。

 いずれにしてもこの瞬間、退廃の夏休みが音を立て崩れ去ったことは確かだった。

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