第4話 『学園一のSランク美少女にいきなり迫られて困ってます』


 ……そもそも、『嫌い』というのは、ややこしい。


 『嫌い』だからといって、今までの『好き』がすべて消滅してくれない。

 綺麗な思い出も残っていて、それが嫌悪に塗りつぶされていく辛さを、どんな言葉で表現したらいいのだろう。

 そんなこともわからないから、ダメなんだろうな……俺は。

 作家になりたいという人間が、それくらいの語彙力が、表現力が、感情の解像度がないのが……、ダメ、なんだろうな……。

 

 シオリが何をしたいのかはわからない。

 それでも、改めて、向き合ってみたいと思った。

 わからないままにして逃げても、どうにもならない。

 ――――あいつが一体、なにを考えているのか?

 そして、俺はこれから、あいつへの気持ちをどうしたいのか。 

 気持ち。感情。

 

 それを解き明かさないことには、作家になれない。


 そんな気がする。

 確かなことなんてない。

 作家とは、そういうものだと思う。

 作家になれてないやつが何がわかるんだよと言われてしまえば、それはそうだが……、だからこそ、『確かなこと』がないことを、俺は痛感している。 


 何冊の本を読めば?

 何文字書けば?


 そんな絶対的な、定量的な方法論なんて、存在しない。

 だったら、シオリの荒唐無稽とも思える方法も試してみるべきかもしれない。

 どうせ行き詰まっているのなら、なんでも試すべきだ。


 そうなると、問題になるのは……気持ちの問題だ。

 俺は、シオリが、嫌いだ。

 出会った頃は、こんな関係ではなかった。

 そもそも、大嫌いでもなく。

 どこにでもいるありふれたカップルだった。

 どれだけありふれていても、当人達にとっては、劇的で、唯一無二の関係だった。

 ベタなことしかしなくたって、それで幸せの絶頂で、世界の中心だって、そう確信できてしまう。

 思春期で、初恋で、若くて……、そういう時期だった。


 思い出す。

 ――――今は失われた、ありふれた愛しい日々を。


 □


 四月。

 高校一年。

 

 ――シオリとの出会い、その最初の印象は、『これなんてラノベ?』だ。


 だってそうだろう。

 『学園一のSランク美少女にいきなり迫られて困ってます』としか、言いようがない。


「……これ、岩上くんが書いたの!?」

 彼女は、シオリは……いきなりそう切り出してきた。


「そ、そうだけど……」


 入学してしばらくして、高校生活にも慣れてきた頃だった。

 小説を書いたノートを、図書室に忘れた。

 最悪だと思った。

 書いてるのはラノベだ。

 例えば、ヒロインに愛をささやくシーンなんて見られた日にはもう終わりだ。

 殺してくれ以外の感情がない。


 ――――物語において、『恥ずかしい』というのは大切だと思う。

 恥ずかしいと思ってしまうような気持ち。

 それくらい本気の気持ちが、物語を面白くする。

 

 人に知られたら恥ずかしくなるような妄想を満たしてくれる物語は、とても素晴らしい。


 しかし! その、『恥ずかしい』を人に見せることができるのは、心の準備をして『読者』に見せるのなら許容できることであって、ノートを落とすことより見ず知らずの誰かに見られるのは、耐えられるわけがない! 

 妹がいないから! 一人っ子だから! 耐えられない!

 

 天羽シオリ。

 入学式の時から、ずっと噂になっていた、学年主席の天才美少女。

 長い黒髪。女子高生離れしたスタイルの良さ。

 勉強もスポーツも完璧で、いいところのお嬢様だとか。

 そんな盛りすぎたラノベのヒロインのような女子が、なぜか俺に迫ってくる。

 当然、疑う。

 悪質すぎるいじめか? 詐欺か? 

 周囲にカメラを回してる生徒は見あたらないが、しかし。

 天羽さんが、本当に俺の小説を読んだのか、疑わしかった。


「あの、天羽さん……?」

「なに……、岩上くん……いえ、岩上先生……?」

「先生ではないな……」


 なんだこの人。

 入学式の時に壇上でクールに話していた姿と全然違う。


「その小説、そんなに気に入った……?」


「主人公がすごく良かった! 剣の腕も立つ!強い! 人柄も、ユーモアも、優しさも、すっごく素敵! それにヒロインも素晴らしい! ちょっとめんどくさいけど、そのいじらしさも素敵で、かわいい! ヒロインも魔術師として一流というのもよかったわ! 魔術のイメージもかっこよくて……」


 よ、読んでる……!?

 ちゃんと読んでる!?

 そして、べた褒めだ。

 こんなに褒められたことない。

 投稿サイトにあげても、増えないPV、増えないブクマ。ああ、自分は誰にも求められないんだな……と死にたくなるだけだ。


 やばい。

 嬉しい。

 

 ――――物語において、『恥ずかしい』のは大切だ。


 そんな恥ずかしくなるくらい純粋な物語を共有できてしまうのは、快楽だ。


 □


 それから、俺と天羽さんは、放課後にこっそりと会うようになった。


「……天羽さん、大丈夫なの?」

「え、なにが?」

「こんなところにいて……。さっき、教室で誘われてなかった?」


「……でも、ボウリングよりも、カラオケよりも、岩上くんの小説の方が楽しいの」


 あ~、死ぬ。かわいい。好き。

 都合が良すぎる。

 当時の俺は、一分に一度、この夢がいつ醒めるのだろう? と思っていた。

 それくらい、天羽さんとの日々は楽しかった。

 

 □


 天羽さんとの秘密の日々は続く。

 ある日のことだった。


「……岩上くん……私にも、小説って書けると思う?」

「え……?」


 不意の質問に驚いてしまう。

 文芸部の部室で、俺が小説を書いている間、天羽さんはラノベを読んでいる。

 おかしな構図だけど、心地よい時間だった。

 天羽さんは、家が厳しくて大っぴらに娯楽を楽しむことができなかったらしい。

 さすがお嬢様……となるエピソード。

 だが、隠れて少しだけ小説を買っていたりしたそうだ。

 …………で、なぜかハマったのがラノベだったらしい。

 元々、国語系の科目は好きだったらしいが……。お嬢様の趣味はよくわからない。


「……書けるかどうかっていうのなら、そりゃ書けるんじゃない? 俺は天羽さんの書く話、読んでみたいって思うけど」

「本当!? 私も、岩上くんみたいなお話、書けるかな?」

「え、俺……!?」

「え……!?」


 びっくるする、俺。

 びっくりする、天羽さん。

 なんだこりゃ。


「なんで、俺……?」

「な、なんで? …………好きだから…………?」

「……あ、作品、作品が……?」

「……岩上くん。良い作品を生み出す作者が、良い人格とは限らないらしいけど……、私は岩上くんのことも素敵だと思う。クラスのみんなは、まだ知らなくても……、私だけそれを知ってるのも、いい……なんて……。ひどい、かな……」


 天羽さんは、こういうところがある。

 ぼっちちゃんに対する喜多ちゃんか……? となるような、『陽』の輝きだ。

 『陰』の俺にはまぶしすぎる。

 オタクに優しいギャルのような……、いや、ギャルではなくお嬢様なんだが。


「まとめると……、俺の作品が、好きと……?」


 照れすぎて、大部分をカットしたまとめになった。

 俺のことは置いといてくれ、身が持たない。


「うん……。だから、私、岩上くんみたいな作品を書いてみたいの」


 □


 それからの日々は、さらに楽しかった。

 それ以前も、毎日一緒にいるだけで夢のような日々だったのに。 


「ど、どうかな……?」

 天羽さんの処女作を読んだ感想を、求められていた。


「……うん、すごく良い」

 本当だった。お世辞抜きで。


 天羽さんは、最初からすごく上手かった。全体的に、俺の作品と似た要素は多いが、俺だってそこは、まだまだ好きな作品に似通っているところも多い。

 ヒロインの描写が、特に良い。

 繊細な心情描写や、ラブコメシーン。

 俺と似ているからこそ、その差異が際だっていた。

 俺はここまで魅力的なヒロインは書けない。


「ほ、本当……!? よかったあ……。あ、そのシーンはね……、この間一緒におでかけしたことを思い出しながら書いたから、私もよく書けたかもって嬉しくてね……」


 天羽さんは、こういうことをストレートに言うので、本当に、その、困る。

 いつの間にか、俺と天羽さんは休日に一緒に出かけるようになっていた。

 同じ学校の生徒に見られたくないという俺の要望で、少し遠くまで出かけて、一緒に本屋を巡ったり。

 ……そんな、ラブコメラノベみたいな日々。


「……それでね、岩上くん。……もし、よかったら……、これからも、そういうシーンを書くのを、手伝って欲しいの」

「……そういう、シーン……?」

「……そ、その……、私、付き合ったこととか、なくて……」

「……、いや、俺も付き合ったこととかは、ないけど……」

「な、なら! 初めて同士の気持ちとかわかって、お得……って、そう思わない?」

「い、いいのか?」

「え?」

「だって……」


 続く言葉をどう選べばいいのか迷う。

 『俺みたいなのと付き合ってたら、天羽さんの評判が悪くなるんじゃないか?』……と、そう思った。

 だが、自分の自己評価としてはそれが適切なのだが、どうにも天羽さんは俺を過大評価しているところがある。

 その評価のズレには気づいていたが、触れていなかった。

 いつまでそこから、目をそらせばいいのだろうか。


 この時も、俺は、ズレから、目をそらしたままだった。


「いや……。うん……、俺にできることなら、協力させて欲しい。正直、俺も天羽さんのおかげですごく参考になってる」

「……本当!? よかったぁ~……。図々しいかもって、ずっと不安で……」

「そんなわけないよ」

「……じゃあ、手をつないでみよ? そういうシーンの参考にしたくて」

「手ぇ!?」

「…………、やっぱり、ダメ……?」

「いや……」


 急展開で驚く。 

 しかし考えてみれば、それは俺にとっても参考になる。

 いや、参考になるとか言ってる場合か?

 当然のように、人生で一番緊張するんだが。


 手、手……手を握る?

 天羽さんに触れることって、許されるのか? そりゃ、長く一緒にいると偶然触れあってしまうことはある。


 だが、偶然と、意志を持って触れることは、まったく違うだろう。

 なにかが変わってしまう。

 なにかってなんだよ、ではあるが、そう思う。



 そして、俺の手と、天羽さんの手の距離が、



 限りなく、ゼロに近づいて――――…………、



 □



 ――――そして、現在。


 口の中を、熱いものが蠢いていた。

 シオリの舌と、俺の舌、二匹のいきものが、熱く激しく、絡み合い、貪り、一つになるみたいに、くっつく。

 あつくて、やわかくて、ぬるぬるで、きもちよくて。

 シオリの肌。どんなものの手触りも絶対に敵わない、人肌のなめらかさと温もり。

 

「……ぷはっ……」

 息継ぎ。

 呼吸すら忘れて、互いを求めた。


「…………、初めてさ、手、繋いだときのこと、覚えてるか?」

「部室でしょ」

 即答するシオリ。

 覚えてんだ……。


「あーあ……あの時は本当に優しかったのに、なんでこんなになっちゃったかな」


「……おまえが言う?」

 


 ――――高一の春、始まった、運命の、全部の恋。

 ――――高一の冬。全部が壊れた、真っ白い決裂。


 そして、今。

 高二の春。

 ここから先――――、俺達は、どうなるのだろう。


 暴いてやる。

 解き明かしてやる。


 おまえが何を考えているのかも。


 俺は、この燻った灰の気持ちを、どうしたいのかも。


 


 

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