第2話 浮気

 男と抱きしめ合い、目を閉じて、うっとりした表情で男とキスをしている弥居子ちゃん。


 混乱していた俺は、最初、そこで何をしているのか、理解が追いつかなかった。


 しかし、少しずつ混乱がおさまっていくと、だんだんその意味することを理解し始めた。


「浮気」


 何と弥居子ちゃんは恋人である俺がいるのにも関わらず、浮気をしていたのだ。


「弥居子ちゃん、こ、これはどういうこと?」


 俺は弥居子ちゃんに声をかける。


 しかし、弥居子ちゃんと男はキスをしたまま。


 俺の声が耳に入っていないようだ。


 その後、何回か声をかけたのだが、自分たちの世界に入っているようで、こちらに反応をしてくれない。


 俺はだんだん声をかける気力がなくなっていく。


 そして、呆然と見ているだけしかできなくなっていた。


 どれだけの時間が経ったのだろうか?


 弥居子ちゃんと男は、唇と唇をようやく離した。


「陸時ちゃん、どう? わたしたち。イケメンの集七郎先輩とわたし、素敵なカップルでしょう?」


 弥居子ちゃんが聞いてくる。


 われに返った俺は、


「どうって……。これって浮気じゃないの? キ、キスをしていたじゃない?」


 とドモリながら返事をする。


 すると、沼糸土先輩が、


「弥居子は俺の恋人になった。お前は俺に寝取られたということさ。まあ、俺はイケメンだから、お前じゃなくて俺を選択するのは当然だと思うけどな」


 と自慢気に言ってくる。


 改めて沼糸土先輩を見ると、確かにイケメンだ。


 沼糸土集七郎(ぬまいとつちしゅうしちろう)先輩は、以前から噂は聞いてはいたが、間近で見る機会はなかったので、これほどの貌立ちだとは思わなかった。


 イケメン芸能人と比べても遜色はない。


「俺が寝取られた? どういう意味でしょうか? 冗談でも言っていいことと悪いことがあります。弥居子ちゃんは俺の恋人なんです」


 俺が腹を立て始めながらそう応えると、沼糸土先輩は、


「お前は今、俺と弥居子がしていることを見ていただろう。俺たちの心は通じ合っているのだ。もう、弥居子の想いはお前ではなく、俺に向いているのだ。なあ、弥居子。お前からも俺と心が通じ合っていることを言ってやってくれ」


 と弥居子ちゃんの方を見て、ミヤニヤしながら言ってくる。


 沼糸土先輩のいうことを理解したくはない。


 そうだ、今ならばまだ弥居子ちゃんの心を俺の方に向かせることができるはず。


 まだキスの段階までしか到達していないはずだからだ。


 弥居子ちゃんには、今すぐにでも俺を選んでほしい。


 もし、それがだめだとしても、ここでは少なくとも、


「集七郎先輩と陸時ちゃんのどちらを選ぶかどうかで迷ってる」


 ということは言ってくれることを期待したい。


 俺は一縷の望みを持とうとしていた。


 しかし……。


 弥居子ちゃんは、


「わたしは集七郎先輩のことが好きなの。集七郎先輩は陸時ちゃんと違って、話題が豊富で楽しいの。そして、何と言ってもイケメンというのが大きいわ。陸時ちゃんも顔はいい方だと思うけど、その差はあまりにも大きすぎるのよね……」


 と冷たく言い放った。


 おかしい。


 弥居子ちゃんは異性に対しては奥手で、俺と恋人どうしとして付き合いだしてからは、いつも恥ずかしそうにしていた。


 それが今は、俺と全く恥ずかしがることなく話をしている。


 百八十度性格が変わったと言っていい。


 とても驚くことだ。


 弥居子ちゃんとは新学期になって以降、会うどころか話をすることも減ってしまっていたが、その間に大きく変わってしまったのだろう。


 信じられないことだが、現実は残酷だ。


 しかし、弥居子ちゃんはただ単に俺と平然と話をしているだけではなく、


「集七郎先輩のことが好き」


 といった驚くべきことを口にしていた。


「俺ではなく、沼糸土先輩の方が好き……。冗談だよね?」


 俺は声を震わせながら聞く。


 すると、弥居子ちゃんは、


「冗談ではないわ。集七郎先輩とはもうラブラブなんだから」


 と言い放つ。


 沼糸土先輩も、


「弥居子の言う通りだ。俺たちはラブラブなんだ」


 と言って援護射撃をしてくる。


 俺は二人の言葉を聞いて、だんだんめまいがしてきた。


 しかし、ここで倒れるわけにはいかない。


 俺は、


「でも、まだ二人だけの世界には入っていないんだよね? 入っていないんですよね? 


 と弥居子ちゃんと沼糸土先輩に向かって言った。


 そうだ。


 キスはしていたとしても、二人だけの世界に入っていなければ、まだ俺にもチャンスはある。


 俺は弥居子ちゃんとはキスまでしかしていない。


 沼糸土先輩ともキスまでで止まっていてほしい。


 その先に進んでもいいのは恋人である俺だけだ。


 どうか、弥居子ちゃん、キスまでで止まっていてくれ!


 俺はそう願っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る