第9話

_________30分後




お父様の部屋から出たあとハタさんに屋敷の案内をしてもらった。




外観からもわかる通り、ひとつひとつの部屋は広く、書斎やピヤノが置かれた部屋。




それに厨房まであった。

手入れのされた調理器具が理路整然と片され、

料理人のこだわりも感じられる。



1階フロアだけでも、すべて見終えるまでにそれなりの時間を要した。方向音痴だったなら、迷子になっていただろう。




2階へ続く階段を上り、長い廊下を歩くと両側には

違い合うように部屋がある。



その内の一室を私にあてがってくれることになった。




手荷物を部屋に運び込んだ後、部屋に置いてあった燕尾服に袖を通した。

立ち鏡に写った私は少し頼りなげだ。



「しっかりしなきゃ」




私は背筋をピンとのばして燕尾服を整える。

顎をひいて、顔を引きしめた。



「用意は済んだかい?」



扉越しにハタさんから声がかかる。

ついに、数々の執事たちが逃げ出したという

噂のご子息に会いにゆくのだ。




今のところ好奇心よりも億劫さの方が上回っている。



お父様に挨拶に行った時よりも緊張した面持ちのハタさんを見て余計にそう思った。



やっぱり、そんなに癖のある方なんだろうかと思いやられたが




「ここが坊ちゃんの部屋だよ、ノックして親睦を深めておいで、ほれ」




とハタさんは私の背中をぽんと押した。

あれ? と思う。心做しか面白がっていそうな雰囲気ではないか?



思わずふっと気が抜けた。



でも、またすぐに辞めるのだろうと思われているのかもしれない。




試すようなイタズラな瞳で私を一瞥したハタさんはそのまま踵を返していった。





そう容易く辞めるものかと気を引き締めて




………ピタリと閉ざされた扉を叩いた。










「────入れ」




その一声は背筋がピンと伸びるような、そんな威圧のある声だった。



「失礼します」




ドアを開けると広い部屋の真ん中に置いてあるソファーに腰掛け、読書をしている姿が。




俯いた顔に窓から入る木漏れ日が所々に影を落とす。



長いまつ毛に整った鼻。




切れ長の二重が迫力あるオーラに拍車をかけている。


年相応の幼さは微塵もない、


第一印象は孤高の皇子といったところか。




「立花 透と申します────」




私は今日から執事を務めることや諸々の挨拶をしたのだが────




待てど暮らせど返事がない。

どころか相槌ひとつなかった。




基本的に穏やかな性格だと自負しているけれど、

ちょっとくらいムッとはしてしまう。




「初対面ですが遠慮せず何なりと私に申し付けください」



「…………」



続けてみても、やはり返答はない。

別に、このまま部屋を出ていってもよかった。



執事と主人との在り方は多種多様だろう

仕事と割り切って連絡事項やスケジュールの

管理、エスコート、それらをただ機械的にやっていたっていい。



本来、それが仕事なのだから。



けれども、試してみるのも悪くないと私は思う。


お節介だとしても、坊ちゃんの人生の一部に

踏み込んでみてもいいんじゃないかと。




「…………いきなり現れて、

このようなことを口にするのは憚られるのですが、失礼も承知で言わせていただくことに致します」




私の不躾な物言いに、坊ちゃんはこめかみを少し吊り上がらせた。こうなれば、言うことを言ってあとから怒られよう。私は覚悟を決めて口を開く。




「………坊っちゃま、お返事はされた方がよろしいかと」




いくら権力や立場があったとしても、

礼儀やマナーを怠ることは良しとされない。




坊っちゃまが今まで何を教わってどの様な育ち方をされたかは知らないけれど




「お節介であることは百も承知しておりますが、誠に勝手ながら、私が人の基本となることを

きっちり教えて差し上げましょう」




誰かが教えないとこの先、歳をとるにつれて

確実に教えて貰えなくなる。




大人になると怒られたりする事が格段に少なくなって、口には出さず誰もが心の内でのその人の評価を黙って下げるのだ。




それに、これくらい言わないと反応してもらえないと思ったのだが、やはり言いすぎたか。




「───チッ」と舌打ちが聞こえた。



………物凄く眉間にシワがよっていた。



それでも、反応は舌打ちだけで怒鳴りもしなければ私に向かって言い返すことさえしなかった。




私はため息をつきそうになるのを飲み込んで、

坊っちゃまに近づいた。


行動の読めない私に坊ちゃんはやっと本から

視線を解放させる。




私は視線を合わせるようにしゃがみこんで、

目を合わせようと坊ちゃんの顎に手を添えて

私の方に向かせた。




「お返事を……」




私は返事がないことに怒っているわけではなかったが、こんなふうに人を避けようとする人に

俄然、興味が湧いてきた。




とは言っても、執事を次々と追い出してきた人物であるから、内心は足が震えそうなくらい怖かったけれども。



勤務初日でクビなんて勘弁して欲しい。




けれど、これから長い付き合いになるのだから、

いつまでも素っ気ない態度を取られるのは嫌だった。



それに………。




返事はしてくれないけれど、私の行動ひとつひとつに敏感に反応してくれる坊ちゃんが、


次にどのような反応を示すのか少し気になってしまったというのが本音だった。

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2024年10月2日 21:00
2024年10月3日 21:00
2024年10月4日 21:00

坊ちゃんと男装執事 一寿 三彩 @ichijyu

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