第6話『馬鹿な女』
「どう、して。なんでこんな、どうして、なんで」
唇が離れても、思考は鈍ったままだ。耳鳴りのような、頭痛のような感覚が心臓を酷使させる。
え、今、私は何をされた? キス?ファーストキス?
え、なんで? 汚しちゃ駄目だって、大事にすべきだって。幸せな恋の為に、残しておくべきだったのに、なんで、私に。私なんかに。
「ふふっ、とんだアホ面ね。その顔が見れたなら、キスした甲斐もあるってもんよ」
そう、私はキスをされた。私にとっては初めてで、多分彼女にとっても初めてのキスが、今ここに交わされた。今後誰とキスしても、塗り返せない特別なキスが。取り返せないモノが、報復の色に染められた。
私は、いい。いや、良くはないけど、贖罪になるのなら、甘んじるべき範囲だと私は思う。
だけど紅葉は違う。なんでこんな、大切なモノを汚す事なんか、してしまったのか。ぎこちないキスだった。歯も当たって少し痛かった。きっと初めてだったに違いないのに。
「紅葉……どうして」
そこまで考えて、やっと紅葉の方に意識が向く。無意識に自分の唇に触れていた手をおろすと、彼女の顔を改めて認識する。頬を赤らめて、ドヤ顔のような、似て非なるような顔をしていた。
「私って、馬鹿な女だからさ。あんな事が有っても、アンタを好きだって気持ちが、消えてくれなかったのよ。だから私は、アンタの気持ちも考えずに、ずっとしたかった事を、やっただけ」
「……嘘でしょ。だって、4年も経つんだよ。それに私は、あんな逃げ方もしたのに、今でも私の事を好きな訳がない」
「ホントだよ。無理やり奪っていい訳はないって、分かってたけどさ。あんな事を私にした以上、千春は私を責められないでしょ? さっきも、『紅葉には、自分を大事にして欲しい』みたいな感じで、『私自身が嫌』とは言ってなかったもんね」
『まぁ、嫌がっていたとしても、行動は変わらなかったけど』と続ける彼女の声が、どこか遠くに聞こえる。私は、会いに来るべきではなかったのだろうか。ここまで時が過ぎてしまった以上、いっそのこと、もっともっと後に……あるいは、手紙や電話を使うべきだったのだろうか。忘れてしまったように振る舞うべきだったのだろうか。
目の前が、真っ暗になる。行動選択を間違えた。紅葉を、より深く傷つけてしまった。彼女に、自傷をさせてしまった。こんな、こんな事になるのなら、罪を重ねる事になるのなら。分かっていたなら、二人きりになんてならなかったのに。
不思議と、ファーストキスを奪われた事への、怒りは湧いてこなかった。あるのは戸惑いと、やりきれなさ。あるいは悔しさだけだった。何かにすがりたくて、だけど出来なかった私は、自分の体を抱きしめるように、両腕に力を入れる。震える身体は、決して冷房のせいではなかった。
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