第23話【悪意の街】


 その日、エクラは少し無理を言ってミカに休暇を取らせた。


「すみません。ソフィア様」

「いいのよ。たまにはこういう日も必要よ」


そしてエクラも休暇を取った。

理由はミカと二人で出かけたいからというもので、エクラは王都を一度ミカにしっかりと見てもらいたかったらしい。


「でも。お友達と遊びにいくなら、ないと困るわよね?」

「お友達……では、ないと思いますけど。なにか足りないものがありましたか?」

「ふっふーん……これよ!」


 そう言ってソフィアは引き出しを開けると、中から白と金で彩られたアンティークな小物入れを取り出す。

そしてそれを開けると。


「すごいですね……これ」


その中には小物入れいっぱいのキラキラ、ピカピカと輝く金貨が詰まっていた。

それ一つで、メイド一人の一ヶ月の給料以上に相当するであろうそれを、ソフィアは易々と数枚取り出すと小さな袋に詰め始める。


「とりあえず。今日はこれで遊んできなさい。十分にあるはずよ」

「そんな……この量は……もう少しこう……価値の安いものはありませんか? それなら、あとで返せると思いますし」


 これ一枚がミカの知っている日本円のどれくらいの価値に相当するのかは分からない。

それに加え、この世界の平均的な給料や物価を知らないので、金貨正しい価値はミカには分からない。

ただ、持って重たいと感じてしまうほど詰められた金貨に対して、直感的に一万円札を束で渡された様な気分になる。


「でも、わたくし。これ以外を持っていないの。使う機会も滅多にないから、困っているの。だけど…………あっ、そうだわ!」


 ソフィアは小物入れの中にある金貨とは別の金貨を、引き出しの中から探し出す。

そうして見つけたのは、また別の小物入れ。

それを開けると中には綺麗な貝殻や、ちょっとした糸くず、花びらなんかが詰められていた。

そしてその中でも一段とキラキラ輝くのは、たった一枚の金貨。


「これなんてどうかしら?」

「それも金貨では?」

「ふふっーん。これは違うのよ!」


 ソフィアはそれをミカに手渡すと、裏返す様に指示をする。

ミカは言われた通り、手のひらに置かれたそれを裏返す。

すると、金貨にはきめ細やかに彫られた百合の花から一変し、可愛らしい女の子の顔が、これまたきめ細やかに彫られてあった。


「これは……ソフィア様の顔ですか?」

「ええ! わたくしの可愛らしいお顔が彫られた硬貨よ? これならどう?」

「どう……と、言われても」

「これでもダメなら。わたくし、ミカさんにお小遣いをあげられなくなってしまうわ」


王女様の、ソフィア様の好意を無下にする訳にもいかないと、ミカはそれをそのまま受け取って、素直にポケットにしまう。


「分かりました。これ一枚を持って、出かけてきます」

「うんっ! 行ってらっしゃい! 気を付けてね」


 そんな風にしてミカに手渡したソフィアの顔が彫られたキラキラと輝く金貨の価値を、ソフィア自身詳しく知らなかった。


 そして、今。


「貴方……それ…………」


大きく口を開け、目を丸くし、言葉に詰まりながら、エクラはとても驚いていた。


「銅貨、銀貨、金貨…………それ以上の何か、わたしも初めて見た。びっくりびっくり」

「記念硬貨って、質屋だと価値が高いんでしたっけ?」

「記念硬貨? いや、分からないけど……でも、それをお店で使ったら、たぶんこの世界のお金の価値がめちゃくちゃになる……と、思う。だからやめた方がいい」


 エクラは咄嗟に自分が持ってきた小さな麻袋の中から銅貨を数枚と、銀貨を一枚取り出して、ミカに手渡す。


「とりあえずそれはしまいなさいっ」


 この国で使われているのは国名がついた、エルテネル銅貨、エルテネル銀貨、エルテネル金貨、そして王族金貨の四種類。

銅貨、銀貨は一般に流通しており、金貨は貴族が多く持ち、その貴族から仕事を依頼される様な医者や教師、一部の芸術家などが次に多く持つ。

そして、王族金貨というのは全くと言っていいほど流通していない幻の硬貨。

国王の顔が彫られたものや、その息子たちの顔が彫られたもの、そしてソフィアの顔が彫られたもの

それに加え歴代国王の顔が彫られたものなど、様々あるがそのほとんどは誰の手にも渡ることはなく、それを持っている者は王族とかかわりのある者達の中の、更に選ばれし者だとみられることもあり、もはや一種の勲章の様なもで、価値も解釈により様々だ。

リンゴ一つでも使えるし、宮殿一つを創るのにも使おうと思えば使えるが、使われた例はまだない。


「すぐにお返しします」

「いいのーよ。別に、気にしなくて……今日は特別」


 そして二人は王都を歩き始める。

ミカはローブを被り、髪を隠し姿をなるべく隠す、そうすることであまり目立たない様にしようと思っていたのだが、余計に目立つ結果となってしまった。


 二人の歩幅は合わず、足並みは全くといっていいほど揃わない。

大抵エクラが少し前を歩き、ミカがその後ろを歩く。

時々エクラが振り返り、立ち止まる。

そんなことを何度も繰り返して、二人は王都を巡る。


 街の中には、確かに活気があった。

人々は街を出歩き、どこからでも話し声が聞こえてくる。

美味しそうなパンの匂いが漂い、透き通った川のせせらぎが心地よい。


「…………賑やかでしょう?」

「ええ、とても」

「どう? 貴方が住んでた町との違いは?」

「……地面が綺麗ですね。犬や猫もいますが、綺麗ですね」


 石畳の道が綺麗に舗装されており、建物もほとんど隙間なくびっしりと並ぶ。

遠くの方には大きな聖堂も見え、それが街のシンボルとしてよく目立つ。

王都の石畳に血は一滴たりともついておらず、人の死体がそこら中に転がっている様なこともなければ、その死体を野生動物が喰い荒らしている様な光景も見ることはできない。


「綺麗でしょう? 嘘みたいに…………でも、全部見かけだけ」


 見かけだけは美しい王都だ。

しかしよくよく耳を澄ますと、人々の会話内容はとても平和な王都の一幕とは思えないものだった。


「最近また戦争があって……それで、うちの子が亡くなってしまって」


聞えてくるのは、度々あるという戦争で身内や恋人が亡くなってしまった話。


「また余計な徴収が増えるわ……ほんと、わたし達からどれだけとれば気が済むのかしら……」


聞えてくるのは、徴収される税が高いという話。

ありとあらゆる不平不満と怒りと悲しみの言葉がこだまする。


 しかしそんな立ち話をしている人々も、裕福そうな貴族が乗る馬車が目の前を通れば、あるいはその貴族本人が目の前を通れば、たちまち話しをやめて、慎ましかになろうと取り繕う。


 そしてまた貴族の悪口や王族の悪口、そして現状に対する不満を吐露する。

キラキラと輝いて美しい街には似合わない下世話な話題が世界を満たす。

大抵は様々な税に対する不満や多すぎる戦争に対する不満、そしてポンポン立つらしい数々の絢爛豪華らしい宮殿への不満。

しかしそんな話題の中に、魔女のことは一切含まれていなかった。

エクラはそんな街を見て、ミカに何かを感じてほしいらしい。


「見かけだけは綺麗だけど。みんなわたし達と変わらない不満を抱いてる」

「そうですね。どことなく雰囲気が怖いです」

「みんな願ってる。次の国王はわたし達のことを考えてくれている人でありますようにって……でもずっと、この国は変わらない。たぶん、これから先も変わることはない……だから、わたし達が変えるの」


 エクラがそこまで使命感に駆られる理由が、ミカにはよく分からない。

別にこの国がエクラの両親を奪った訳じゃない、平等なんて実現しないし、平和なんて訪れない。

それは誰がこの世界の王になろうと変わらない、世界に敷かれた不変の真実だ。


 魔女と蔑み嫌われる人がたくさんいるのも知っているし、流れなくていい血が多く流れている世界なのも知っている。

だけどミカは、この世界で起こる全ての出来事に対してどこか他人事だった。

シャルロットが殺された孤児院のことも、そのあとアリアに頼まれ集落を焼いて皆殺しにしたことも、全部が他人事で、嫌悪感はあっても、それ以上の感情は湧いてこない。

多少罪悪感があったとしても、それは泡の様に消えていく。


「そうですか」


 ここで産まれここで生きたエクラと、違う世界で産まれ、ぼんやりと十六年間を過ごし、今もまだハッキリとした自分自身の生きる目標の様なものがない。

その差、だろうか。


「頑張ってください」

「いや、ミカも一緒にやるんだよっ!」


 乗り気はしない。

ずっとそうだ。

別にエクラのことが嫌いな訳じゃないし、エクラの考えに全く賛同しない訳ではない。

むしろこの世界を変えたいと思うその思想は立派なものなのだろう。

だが、革命家の一員として、後世に名前を残したいとはミカは思えなかった。


 死体の転がらない綺麗な街を、目的もなく二人は歩き巡る。

澄んだ青い空に似合わないほど淀んだ空気が、どこからか流れ込む。

生きにくい、歩きにくい、空気が重たい、冷たく、臭う。


 街中にいる全員が王族や貴族の悪口を言い、誰かを褒めたたえる様な話をしている人は滅多にいない。

誰かが誰かの悪いところを探して、見つけてはそれを上げ連ねて笑いあう。

一通りそれについて話し終わったら、また次のターゲットを見つけて、そいつの悪いところを上げ連ねて、また悪口を言いあって笑いあう。

誰も人のいいところなんて探さない、幸福なんて求めない。

全員が全員人の悪いところを探して、同じ下の下の不幸の土俵まで引きずり込む。

シャルロットの中でただ一つの人格として生きていた頃は肌で感じられなかった、この世界の不快感を、ミカは初めて肌で知る。 


 王都から離れた村では魔女と断定された人々が残酷な方法で処刑され、その死体が村中に転がり、腐敗臭が風に流されることなく、止まり続ける。

そして王都には、死体こそないものの、人の悪意が満ちている。

悪意、悪口、憎悪、軽蔑、嫌悪、なんでもいい。

王都にはそんな、人の中にあるドス黒いものがひしめき合って充満していた。


 これがシャルロットがこの世界に嫌気がさして、逃げてしまう理由の一因になることにも少しは頷ける。

そんなシャルロットなら、この世界を変えたいと願うだろうか。

ソフィアの首を取りたいと、そう願うだろうか。

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