第17話【これからのこと】
メイド服に着替え終わったら、早速ソフィアはミカに仕事を教えはじめる。
といっても、ソフィアはメイド達の仕事をそれほど知っているわけではない。
だから、ソフィアができたことは仕事というよりも部屋の紹介くらいなものだった。
「まず、ここが大書庫よ」
「書庫は一つだけですか?」
「ここがこのお城で一番大きな書庫で、それは一つだけなんだけど。小さな書庫なら他にもあるわ
「あぁ、やっぱり」
重く大きな扉を慎重にゆっくりと開けると、その先には無数の本棚が縦にも横にも並んでおり、全ての本棚に隙間なくぎっしりと本が並んでいた。
ミカはソフィアよりも少し前に出て、本棚にある本を手に取ってペラペラとページをめくり、中を眺めて一つ思い出す。
「ん……あーやっぱり読めませんね」
「あら、ミカさんはフリュシュ文字は読めないんですか?」
「いや……」
探せば時々読めるものもある。
しかし読めないものが大半なのは、シャルロット含めて女性のほとんどは文字の読み書きの勉強を孤児院でさせてもらっていない。
ただ将来神に仕える仕事をするだろうから、ということで日常生活で困らない程度の文字の読み書きを教えてもらえる場合がある。
それでも大抵の場合は文字の読み書きなどできず、アレが欲しいと指をさして、聞いた分だけの銀貨金貨を支払う。
そしてシャルロットは、そんなあまり教育を受けられない女性の中でも特に教育を受けていない。
なぜなら、神に仕える仕事をする予定がなく、主に料理や洗濯、掃除の仕方などを孤児院で勉強していたからだ。
「読める…………ものもありますけど、でも読めないものが大半です」
「そう……じゃあ、文字も読めて、書ける様になった方がいいかしらね」
「私にそこまで? ありがたいですけど……でも、そこまでする必要あります?」
「読めて、書けた方が便利でしょう?」
「それはそうですけど。もしかして、他のメイド達にも同じことを?」
「ううん、ダメだと言われてしまって。だから教えられなかったわ、メイドにそんな知識は必要がないって、お父様が」
「そうなんですね」
「この城や宮殿で会う人はみんな読み書きができたから驚いちゃったわ。メイド達みんなが文字の読み書きができないなんて」
王都に住んでいるのは選りすぐりの貴族たち、そしてその子供たち。
そうでない者も住んでいるが、彼らは城からは遠い城壁の側や牢獄の側に固められいる。
自ら買い物に行くことも、自由に王都を出歩くことのできない、ソフィアはその人たちと関わる機会はなく、ソフィアが関わるのは、真っ当な教育を受けた貴族やその子供たちだけだ。
そんな一部の貴族とは違い、メイドというのは大半が孤児か夫を戦争などで亡くした未亡人。
そんな孤児が暮らす孤児院というのは、子供を一定の年齢まで生かし、職に就かせる為の場所であって、それに必要のないことを教えることはない。
孤児の中で読み書きの教育が行われるのは、のちのち神に関わる様な神官やシスターたちのみで、そんな神官やシスターを育てている孤児院は少ない。
一方孤児の男児のほとんどは兵士として生きていくことになるが、全員等しく文字の読み書きの教育はしっかりと行われる。
しかし、子供たちをまともに一定の年齢まで育てている孤児院は数えるほどしかないだろう。
そしてこれは孤児以外でも変わらず、男性はある程度のお金を積み学校に通えば、あるいは兵士として志願すれば、訓練の中で読み書きを教わるが、そもそも女性にはそういった教育を受ける機会は滅多になく、あったとしもそれこそ王族か男性以上に大金を出せる貴族などの娘、あとは特別な才能を認められたものくらいだろう。
「難しいものですね。すべての人に平等な教育を与えるのは」
「そもそもそうする気がお父様にはない様で……まったく、わたくしがどうにかしないといけないお仕事が山積みです」
「いいじゃないですか。王女様になった時の楽しみが増えて」
「楽しみ……え? もしかしてわたくしが面白い、って言ったことに対する仕返しかしら?」
「……考えてなかったですけど、そういうことにしておいてもいいかもしれません」
「まぁ、なんてひどい」
「冗談です」
今のミカの課題は読み書きだろうか。
それよりも、メイドとしての仕事をきちんと覚えこなすことの方が大事だろうか。
もしくはその両方を同時並行でこなしていかなければならないのだろうか。
無理難題とまではいかなくても、到底すぐにできる様になるとは思えない課題の様に思えた。
大書庫を出ると、次は食堂へと案内された。
といってもそこは、ミカがイメージした大量のテーブルが並んでいたり、すぐ近くで調理師が料理を作り提供している様な食堂ではなかった。
高い天井とそこまで伸びる大きな窓。
そこから入る太陽の明かりが照らすのは、大広間の真ん中に置かれた白いテーブルクロスが引かれたとてつもなく長い机と、そこに置かれた椅子。
賑やかしとして、部屋の四隅に花が飾られる。
「ここで食事を?」
「ええ、そうね。でも、お兄様たちが別の宮殿やお城に行ってしまって、わたくし一人だけになってしまってからは……ここで、食べるのは少し寂しいわ」
「お兄様たちはいつ頃帰ってくるんですか?」
「さぁ、分からないわ。お父様に聞いても誰に聞いても答えてくれなくて。ほんとうに、いつになったら帰ってくるのやら……たくさんお話したいですわ」
他に社交界を開く為の部屋やソフィアの兄たちが主に使っていた部屋、他の書庫や絵画が部屋中に飾られているギャラリーなど、様々な部屋をミカは紹介してもらった。
「あとはお庭もあるのだけれど、そろそろ日が暮れてきましたし。メイドさんたちの寮にご案内して、今日は終わりにしましょうか」
せめて、紙やペンでもあれば多少なりとも覚えられたのだろうが、そんなものはないので、紹介された部屋の全てを今日一日で覚えることなんてできる訳がなく、今日は説明をきくので精一杯だった。
「広いですね。このお城」
「えぇ、わたくしでも時々迷うくらい」
「具体的に何があるんですか?」
「んーと、真ん中の塔の一番上が音楽堂、四つの塔には兵士さんがいて、お城にくっついてる塔みたいなのは、上へ簡単に行けるようになっているわ。一階には兵士さんたちが使う食堂、二階から三階はみんなの場所、四階にわたくしたちとお兄様達のお部屋の部屋があるけれど、一階にもわたくしたちとお兄様達の部屋もあって、地下は……たぶんなかったと思うわ」
「ほんとうに広いですね……覚えるのにどれくらい時間がかかるか」
「ふふっ、ゆっくりでいいわ。とりあえず今日は寮へ行きましょう。部屋も割り当てさせてあるから、今日はそこで休むといいわ。詳しい仕事のことは他のメイドたちにあとで教えてもらいなさい、きっとみんな優しく教えてくれるわ」
最後にミカはまた別の出入り口へと案内される。
その扉をゆっくりと開け、外で出ると、空は真っ赤な夕焼け色に染まっていた。
その先に庭園はなく、緑で彩られた森の中。
開けた場所に、四階建ての立派な宿舎が立っていた。
「立派な建物ですね」
「見かけだけよ。お兄様たちがいなくなって、わたくしだけになったら、仕事が少なくなって、ほとんどのメイドさん達は別のお屋敷に行ったり、別の貴族お世話係になってしまったわ……まぁ、元々この宿舎にいるメイド達全員がこのお城の為のメイドさん、という訳でもなかったみたいだけど」
といっても、城の中ではたくさんのメイドとすれ違っていた。
それでもこの城を綺麗な状態に保ち、なおかつソフィアの世話をしようと思うと、人手が足りないのかもしれない。
「さ! ここが今日から貴方のお家よ!」
ソフィアはノックもなく宿舎の扉を開けると、そこには誰もいなかった。
玄関らしい玄関はなく、扉の先にはテーブルや椅子、小さな本棚に読めもしないのに並べられた本はまるで休憩スペースや待合室の様な雰囲気だった。
「あら……今は誰もいないのかしら?」
一階をある程度見渡しても誰もおらず、ソフィアはミカと一緒に階段を上り、ミカが今日から暮らす部屋を探す。
一階は玄関やトイレ、物置など、二階より上の階層に部屋が並ぶ。
一つの部屋で二人が一緒に生活をするらしく、建物一つだけで五十人前後の人が暮らすことになる。
「中々多いですね」
「宿舎は他にもありますから、メイドさんの数はすごいことになりますよ」
「全員の顔と名前を覚えるのが大変そうです」
「大丈夫! もうほとんど誰もいないから……一人一室にしても、問題ないくらいにはメイドさんは減りましたから……」
「いつかお兄様が帰ってきたらメイドさんも増やさないとですね」
「ええ、そうですね。」
そんな話をしながら部屋を探す。
結局ミカの部屋は、二階や三階にはなく、四階にあがる階段から一番遠い角部屋にたどり着いてようやく、そこにミカが暮らす部屋があった。
「ここだわ! ほら、扉に印になる紙が貼られてあるわ」
文字は書かれておらず、大きくバツ印が書かれた紙が一枚扉に貼ってあった。
それを目印に目的の扉を見つけると、ソフィアはゆっくりとドアノブを回し、扉を開ける。
すると、ミカはゆっくりと部屋の中に入っていく。
「おぉ、すごい」
メイドは少なくなり、一人部屋も多くなったらしいが、ミカが暮らす部屋は二人部屋だった様で部屋の右半分にはすでに誰かの荷物が置かれていた。
ベッドも少し乱れ、生活感がある。
しかし部屋の左半分にはまだ何もなく、ここがミカの暮らすスペースになるのだろうと、すぐに分かる。
流石に城の中と同じ待遇、とまではいかないが、それでも建物のほぼすべてが穴の開いた木や石で作られた孤児院よりは、綺麗な木や石で作られたこの宿舎の方が綺麗に見える。
「どう? ここで暮らしていけそう? 何かあったらわたくしにいってくださいね」
「ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「そう。それじゃあ、改めて……」
ミカがソフィアの言葉に答えて後ろを振り返ると、ミカの手をソフィアは少し強引に握りミカの目をまっすぐ見上げる。
「これからよろしくね。ミカさん」
「はい」
「これからわたくしの専属メイドとして、よろしくね。ミカさん」
「はい……できる限り、ですが。頑張ります」
「うん! ありがとう、これからよろしくね!」
ソフィアはミカの目をみて屈託なくにっこり笑う。
ミカは手を握り返すことができても、その笑顔に応える様に笑うことはできなかった。
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