第18話【同室】
基本的にミカは常にソフィアの側にいることになるが、今日は同室のメイドと仲を深めた方がいいと考えたソフィアのはからいで、ミカを宿舎に残してソフィアは自室へ帰った。
「さて、同室の子が来るまでどうしようかな」
部屋自体は狭く、それほど余裕はない。
壁向きに備え付けられたテーブルにはまだ何もなく、ベッドの頭の部分には窓がある。
同室の子との隔たりになるようにベッドとベッドの間には小さなテーブルが置かれ、花のない花瓶が置かれている。
ベッドに座り窓から夕焼けを眺める。
思わず体から緊張感が抜け、ベッドに寝転んでしまえば寝不足なこともあってすぐに眠ってしまいそうになる。
ミカは何度も眠気に抵抗し、眠らない様にと必死になるが、結局ミカは知らず知らずのうちにベッドの上で意識を失ってしまう。
コン、コン、コン。
コン、コン、コン。
「おーい」
コン、コン、コン。
コン、コン、コン。
何度か強くドアを叩く音がぼんやりとした意識の中で聞こえてくる。
同時にソフィアではない誰かの声も聞こえてくる。
「いきなり寝てるとか。気が強いのか呑気なのか、それともー礼儀がなってないのかなぁ? はぁ、先が思いやられるやられる」
また彼女が強くドアを叩く。
その音でミカはよくやく目を覚ます。
「あぁ、やっと起きたのね」
「……もしかして、同室の方ですか?」
「そうよ。魔女との同室を言い渡された不幸な女、エクラ・マールールよ。今晩からよろしくね、シャルロット・ミカヱルさん」
ドア枠部分に寄りかかって、開いたドアを片脚で押さえつけて立つのは、茶色のふわっとした柔らかいショートヘアをしたエクラ・マールールと名乗る少女だった。
「貴方、思っていたよりは人間と同じ見た目をしているのね」
「当たり前ですよ。私のことをなんだと思ってたんですか」
「黒い髪の女が来るって聞いた時点で、魔女がくるって考えるでしょ? 普通」
「あぁ、皆さんそうでしたね。魔女魔女、って口をそろえて」
「ほんとなんで生きてるのか……不思議」
「ソフィア様のわがままですよ。私が生かされているのは」
「分かってるんだ。自分の立場」
「それくらいのことは」
「ふーん。あっそ」
ドアを閉め、ミカの方へとゆっくりと歩きだす。
ミカもベッドから下り、立ち上がるとエクラは少し驚く。
「おっ……大きいのね……貴方」
当然ミカよりは小さく、しかしソフィアよりは大きい、丁度二人のくらいの大きさをしていたのが、エクラだった。
「自覚はしてます」
「まぁ、大きくても仕事ができなきゃ意味がないんだけどねっ。分かってる?」
「えぇ、デカいだけの無能にはなりたくないので、今日からご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
そう言ってミカが丁寧に頭を下げると、エクラは驚いた様な顔をする。
それでも先輩としての威厳を保とうと、顔を澄ましてそっぽを向く。
そしてエクラはまた歩き出すと、自分のテリトリーに戻ることなく、ドアの方へと近づいていく。
そして不思議そうな顔をして振り返ると。
「何してるの?」
「え?」
「仕事よ。来なさいよ」
「あぁ、はい」
そう言ってエクラが先に外に出ることで次の行動をミカに示す。
それについていく様に、なるべく速足でミカは歩き出した。
一階以外の全ての階層には、人が寝泊りをしない部屋が一つあった。
その部屋の目的はドアを開けるとすぐに明らかになる。
「ここに仕事着をしまいなさい。私服も寝間着もあるわ、仕事以外の時はそれを着ること」
「他の着替えは?」
「何着か入っている。交換、返品は受け付けてないし、わたしに言われてもしーらないっ、からね?」
「分かりました。何か不備があれば、ソフィア様に」
「えぇ、そうしてくださいな。ソフィア様お気に入りの魔女様」
「その……あんまり嫌味言うの、やめたほうがいいですよ?」
「え?」
「あんまり毒がなくて、ちょっと痛々しいです」
「なっ!」
「な?」
「痛々しいってなによ! 痛々しいって!」
「……ごめんなさい。言い過ぎました」
そこはロッカールームの様になっており、服を収納するための縦型の小さなクローゼットの様なものがいくつも並んでいた。
そんな中から、ミカは自分自身のスペースを探す。
当然の様にそれの扉には鍵なんてついておらず、プライバシーなんてものは微塵もない。
結局、全てのドアの扉を見てミカのロッカーだとわかる様な印を探す。
すると、部屋の一番奥。左側にあった収納の扉に罰印が書かれた紙が挟まってあった。
「ここか」
扉を開けると、そこには私服になるような服が二着とパジャマになるような服が二着。
新品のタオルが三枚と、靴下も三足、下着は下だけが三枚重ねられて置かれてある。
あとは数点、小物が置かれてあった。
「うん。まぁ、十分かな」
靴やアクセサリーなんてものは無い様で、今履いている仕事用のショートブーツを履き続けるしかなさそうだ。
エクラは部屋の扉を閉め自分のロッカーを開けて、メイド服を脱ぎ私服に着替え始める。
そんなエクラの姿を見て思い出したかのように、ミカもメイド服を脱ぎ用意されていた私服に着替え始める。
「この後はみんなで晩御飯を食べるんだけど。貴方はどうするの? 部屋で一人で食べたいなら、一応配慮はできるけど……というかそうしてくれた方がみんなは安心できるんだけど、だからどちらかと言えば貴方は部屋で一人で食べてほしいんだけど」
「あぁ、いえ、結構です。皆さんと一緒に食べます。全員に顔を覚えてもらいたいので」
「貴方の顔なんてどうでもいいよ、どうせみんな髪で覚えてるし」
「一応、ここで一緒に働くんですけどね。私情抜きで関わってくれると嬉しいんですけど」
「黒い髪だって聞いた時点でもう関わりたくないって思ってるし、ソフィア様の専属になったって聞いたときはさすがにみんな君に同情したけど、でもやっぱり黒髪ならって君を蔑んだし、わたしが君との同室になったと知ったら、メイド達はみんなわたしに同情してくれたよ」
「ダメそうですね。悪評ばかりで」
「逆にどうして自分が好かれると思ってるの?」
「好かれるだなんて思ってませんよ。嫌われるべき人間だと、私は私自身をそう評価しています」
「自己評価が低のね」
「貴方から聞いた限りだと、他者からの評価も軒並み低いみたいですけどね」
用意されていた私服は二種類と言えど侮るなかれ、その中でも充分に種類は豊富だった。
一着は白いワンピース、もう一着は黒のワンピースだった。
「エクラはどっちを?」
「わたしは基本白だけど」
「じゃあ、黒にしようかな」
「……別に同じ色でも文句は言わないよ、わたしは」
「でも嫌いでしょ? 私のこと」
「まぁ、そりゃあ……嫌い」
エクラは歯切れが悪そうだった。
しかしミカは、ここまで嫌われていると逆に清々するとさえ思う。
好かれる努力をしようともしなくていいし、嫌われていることを前提に動くことができる。
そもそも王族のわがままの元で雨風凌げる宿舎を得られ、食事を得られるのなら、この世界で安定して生きていくのには十分だ。
あとはなんのトラブルに巻き込まれることもなく、淡々とメイドとしての仕事をこなし、シャルロットの心が落ち着いたら、シャルロットに体を返す。
その為の日々を生き続ければいい。
誰に嫌われるかじゃない、誰に好かれるか。
そして私は他人の人生で最大の正解に出会ったはずだ。
「そういえば、私たちのお給料ってどうなってるんでしょう?」
「……衣食住が保障されている。なのに、自由に使える銅貨銀貨の報酬を貰おうだなんて、贅沢な話よ」
「確かにそうですね。私がバカでした」
「まぁ、半年に一度は街に出て少し遊べるくらいの銅貨銀貨は貰える」
「そうなんですね。半年に一度……十分ではないですよね」
「ないけど。それ以上を貰おうだなんてごーまんな話よ、つつしみなさい」
着替え終わると、ロッカーを閉め二人は足並みを揃えて部屋を出る。
メイド達が食事をとるのは、六つあるメイド寮とは別の食堂だけがある食堂棟らしく、そこまではあまり整備されていない道を歩くことになる。
この山やそこにある森はとても広い様で、それにしては警備をしている兵士が少ないように思えた。
これなら外敵がもし侵入しても気づけないだろう、どころか正門を潜ることなく街にだって降りることができてしまいそうだ。
「わたしたちの寮が一番先頭、そこから寮が二つ続いてその一番後ろにある平べったい建物が食堂、その奥にはわたし達が水浴びをする場所があるから。覚えておいて、次は案内しないし、聞かれても教えないから」
「はい」
「体調がすぐれなかったとしても、自分で取りに来て。誰もしないし、わたしもしてあげないから」
「はい」
しっかりと返事をし、エクラの後ろをついて歩く。
空はすっかり暗くなり、夜当番のメイド達が足並みを揃えて城内への出入り口へと向かっていた。
基本、多くのメイドは早朝から晩まで仕事をし、食事をし寮で眠る。
そしてまた、早朝から仕事を始める。
それが一日の基本だが、一部メイド達はどうやら夜にも仕事をしているらしい。
といっても、夜の仕事は城の見回りと、昼に終わらなかった仕事の処理、朝と夜の食事の調理やその手伝い、あとは書庫の整理や洋服の整理などだろう。
あまり人が必要な訳ではないので、夜当番は交代制で、昼当番の人が時々夜当番になる様だ。
「昼と夜で仕事の時間が分かれるなんて、ここはずいぶんと人道的な職場ですね。てっきり昼夜問わず夜通し働けみたいな状態なのかと」
「さすがにそこまで酷くはないよ……でも、どうかな一生メイドとして飼い殺し、まぁ外に出て生きている人間じゃないわたしたちにはもったいないくらいの環境なのかな、満足すべきなのかな」
「野垂れ死ぬが、誰かの奴隷になるか、ですか?」
「でも、その二択なら、後者の方がよかった……とも、思えないけどね。わたしは」
あわよくば自分の意思で自由な選択肢の中から自分の人生を選びたかった。
産まれや育ち、環境に左右されることのない、膨大な選択肢にまみれ、自分のような清らかな産まれでないものにも、平等に望む人生を送ることができる。
そんなありもしないもしもを、エクラは欲していた。
「贅沢な望み、高望み。でも欲望こそが人間の本質だと、わたしは思ったりもするんだけどね」
「何かを欲するから生きられる。物でも想いでも、そういうことですか?」
「そう、欲望がないと生きていけないわよ、人なんて……貴方はなにかあるの? 欲しいもの」
「……そうですね」
夜空を見上げて、月と星を少しの間だけ眺める。
そしてミカは自分自身の欲しいものを考える。
今、この世界で欲しいもの、なんて聞かれても頭の中には何もうかばない。
莫大な金銭や豪華なお屋敷、なんてありきたりなものを言う気にもなれず。
結局ミカはこの世界に来てから、そしてシャルロットから身体を渡された時に感じたことを、そのまま口にしてしまう。
「この世界で私が欲しいものは……なにもない……かな」
元々有栖川ミカの人生はこうだった。
全てを奪われたあの日、ミカの中にあったのはただ一つの復讐心だった。
しかし、その復讐すら満足に叶えられず死に、そして与えられたあるはずのなかった続きに、いったいなんの希望を見出せばいいのか、ミカはそれが全く分からない。
「ふーん……なら、貴方はこの世界で生きている意味のない人間なのかもね」
「とてつもない罵倒ですけど。まぁ、そうですね。私はこの世界で生きている意味のない人間ですね。間違いなく」
出会ってからまた数時間、彼女は常に憂鬱を纏っているように見える。
言葉や行動に生気が感じられず、どうして生きているのか不思議に思うくらいには、空虚だ。
けれど時々、目に意思が宿ることがある。
いったい彼女が何を考えているのか分からない。
不気味さだって感じる。
黒い髪をしているから、魔女であると知っているから、魔女と呼ばれるだけの何かをもっているから、きっとそれだけじゃない。
本能的にわたしは彼女を怖いと思ってしまう。
生きている人間だと思えないなにかが、彼女にはある。
少なくとも彼女はそういう雰囲気を纏っている。
「わたしが言うのもなんだけど。あんまりそういうこと自分で言わない方がいんじゃない?」
そう言って、エクラは足を止めて、振り返る。
「ほんとうに、貴方に言われる様なことじゃないですね」
ミカはそう言うと、ため息をつきながら次の言葉を探す。
「それで? そういうエクラさんは?」
「わたし?」
「貴方のほしいものはなんなんですか?」
「……わたしのほしいものは……ほしいものは……」
唾を飲んで、息を吸って吐いて。
考える間もなく、エクラの頭の中には確固たる夢がうかんでいた。
「平等とか平和とかそういう途方もないようなもの…………かな」
それはほんとうに途方もないもので、きっと千年先も二千年先も叶うことのない夢。
皆が望み、皆が壊し、皆がまた望む、そしてまた皆が壊すもの。
それが平和とか愛とか平等だ。
エクラもまた、人間らしくそういったものを求めている様だった。
「……そのために、わたし達はやならなきゃいけないんだ」
エクラはミカに聞こえない様な小さな声でそうつぶやいた。
ミカはエクラが何か言ったような気がしながらも、聞き取ることはできず、しかし詳しく探ることもないまま、振り返って食堂の方へと歩き出したエクラの後ろを、遅れない様に少し速足で歩いてついていく。
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