第19話【初仕事】


 食堂は広々としており、天井がとても高く中央にはなんとステンドグラスの丸い窓もある。

白いテーブルクロスが引かれたとても長いテーブルが横に三つ並び、そこには十代から二十代くらいの少女達が座っている。

時々それよりも年が上に見えるメイドもいて、その人達はよく目立つ。


 食堂で出される食事は当番のメイドたちが作っている

そしてできたものは食堂入口近くのテーブルに並べて置かれ、少し埃をかぶってしまう。


 銀色の丸いお皿の上には丸いパンと小さなサラダ、おまけ程度に一本の細いソーセージと小さなブドウが一粒のっていた。

スープ用のカップやフォークやスプーンは別のテーブルにまとめて置かれてある。

そこから必要なものをとって、必要ならばスープも取って、自分が納得いく席につく。


 「……」


 席につき、食事を目の前にするとミカはついつい癖で両手を合わせてそう言ってしまう。


「それはどこの国のおまじない?」


そんないつもの癖でミカが発した言葉は、エクラにとっては聞き馴染のないものだった。


「え?」

「いや、聞いたことのない仕草と言葉だから」


この国では食事の前に手を合わせて、いただきますだなんて言わない。

そもそも「いただきます」なんて日本語を、エクラが聞き取れる訳がない。


「あーその、産まれの違いですかね?」

「産まれの……貴方も孤児院なんじゃないの?」

「孤児院なんですけど……地域差みたいなものだと思います」


どう誤魔化すべきか、どう伝えるべきか。

歯切れが悪そうにしている間にエクラは言う。


「まぁ、詮索はしない。ここにいる子で産まれが綺麗な子なんて滅多にいないし、聞いて嫌な気分になりたくない」


 食堂の中、ただ椅子に座って食事をしているだけで、ミカはとてつもない量の視線を感じる。

ほんとうにとてつもない視線の量で、食事中にも関わらず思わずミカは吐きそうになってしまう。


 パンはどこで食べる物とも同じでとても固く、飲み込めるほどにまで噛む途中で歯が砕けてしまうのではないかと心配になるほどだった。

かろうじてスープは温かく、他の物もある程度は味がしたが、どうしても物足りなさを感じてしまう。


 こんな食事と、視線の数、そして時々聞こえる小さな噂話の声。

奇異な目や噂話に多少慣れているといえど、ここまで奇異だ奇異だとそんな目で見られ、噂話をされるのは流石のミカでも疲れてしまう。

次からは自室で一人寂しく食事をとろうかと、そんなことさえ考えてしまう。


「そういえば、ソフィ様は一人で食事をしていますよね?」

「うん。そのはず」

「ちょっと寂しいですね」

「やめなよ。あんな子に同情するなんて」


 途端にエクラは言葉を尖らせる。

どうもエクラはソフィアのことが、嫌いとまではいかなくても好きではないらしい。


「貴方もすぐに分かるよ。側にいたら……」


いや、もしかすると嫌いなのかもしれない。


「ソフィアがどれだけ酷い子なのか、ってことが」


 孤児院産まれならきっとすぐにわかる。

例え孤児院産まれじゃなくても、わたし達貴族や王族の産まれでない者はみんなすぐにわかる。

ソフィアがわたしたちにとって、どれだけ毒になるかということを、一日でも一緒にいればすぐにわかるはずだ。


 食事を終えるとあとは寮に戻り、布団にもぐって眠るだけ。

文字をしっかりと読むことができれば、読書の時間にあてることもできたのだろうが、あいにく今はそうもいかない。


 同室のエクラと話すことも特別ない、それどころかエクラはミカよりも先に眠ってしまった。

おかげでミカは退屈な夜を過ごすことになる。


 固い布団にもぐり意識が緩んだ時、ミカは改めてこの身体に無数の痛みが絶えず流れ続けていることを、改めて痛感させられる。

別に普段その痛みを忘れているわけじゃない、痛みを感じない時間なんてない、これにあの子が耐えられないというのもよくわかる。


 もう、あの子が呼びかけに答えてくれることはない。

産まれ育った孤児院が焼かれ、友人を失い、目の前でたくさんの人を殺され、自分自身も死んだのだ。

それに加え日常的に襲われているこのどうしようもない痛みの数。

逃げたくなるのも、嫌になって誰かに人生全てを放り投げたくなる気持ちもよくわかる。


 別にミカは痛みに慣れているわけじゃない、痛みを感じない訳じゃない。

けれど、この痛みの数々に耐えることができている。

それは、あの日々の中で心に負った痛みや、身体につけた傷よりはマシな痛みだと、そう言い聞かせることで耐え凌いでいるだけだった。


 ・

 ・


 翌朝、ミカはエクラよりも少し早く目を覚ます。

窓の外を見るとまだ朝日はぼんやりとしており、世界は霧がかっていた。


 寝る前に抜いた靴はベッドの下、それに履き替え部屋を出る。

まだ目を覚ましているメイドは少ない様だ。


 蓄えられた生活用水を使うのは、なんだか気が引ける。

なので近くにある川を探し、そこの水で顔を洗う。


 メイド服を着るのが先か、それとも食堂で朝食をとるのが先か、ミカはメイド寮から少し離れた場所にも届くパンの良い匂いにつられ、食堂へと足を運ぶ。


 まだほとんど人のいない食堂では、昨日と同じ様に朝食が用意されていた。

メニューは昨日よりも柔らかそうな小さなパンが三つとコーンスープ。

あとはブルーベリーがデザートとしてついていた。


 そういえば、今日の仕事の予定が決まっていないと、ミカは朝食を急いで食べる。

ソフィアに呼び出されるのだろうか、それともソフィアのところに出向く必要があるのだろうか。

そんなことを考えながら、あまり人のいない食堂にミカが使う食器の音が響く。


 ミカが食事をとり終えたくらいの時間になって、ようやく食堂に人が集り始める。

朝食をとる前にメイド服に着替えるか、それとも服に着替えてから朝食をとるかは、人によって様々らしい。


 忙しなく朝食をとると寮に戻り、メイド服に着替えようと、階段を上がり四階の更衣室に入ると。


「あっ、おはよう。貴方、わたしより早いのね。びっくりした」

「おはようございます、エクラさん」

「てっきり呑気に寝てるものかと」

「一応同室なんだから私がいないことくらいわかると思いますけど」

「昨日まで一人だったんだもん。貴方のことを考える頭にまだなってない、今顔を合わせてはじめて、あっそういえばいたなぁって思いだしたくらいだし」

「なんてひどい」

「それに忘れてたのは貴方も一緒でしょ? わたしのこと置いて、勝手に食堂行っちゃうなんて」

「……忘れてたわけじゃないですけど。置いていったのは、事実ですけど」

「さいてー」

「貴方に言われる筋合いはありません。お互い様です」


 お互いメイド服に着替える。

一度靴を脱ぎ、タイツを履く。

黒いワンピースを着て、その上から白いエプロンをかぶせる。

靴は今履いているものそのままで、ヘッドドレスは白。

長い髪を特別可愛らしくしようとはせず、慣れたポニーテールの形に整える。

右目を隠してしまうくらい長い前髪をどうしようかと考えるが、しかしどうにかする為の手段や道具がミカにはない。


「じゃあ、わたしは朝食を食べて、そのまま仕事だから。また夜にでも」

「ええ、また」

「ん」


 エクラは少し急いで着替え終わると、部屋を出て食堂へと向かっていった。

ミカはロッカーに備え付けられた小さな鏡で身だしなみを確認しつつ、ワンピースについた少しの汚れを掃う。


「履きなれないなぁ。ワンピースとかスカートみたいなひらひらしたやつ」


正直、この服はミカの趣味ではない。

けれど、仕事なのだから仕方ない。


 そう割り切って、ミカはロッカーの扉を閉め部屋を出る。

どうやらロッカーにメイド服をしまわずに、部屋に服を置いている者もいる様で、更衣室の出入りはあまり激しくない。

しかし、階段では上りたい人と下りたいひとがよくぶつかりそうになっていた。


 ミカは寮から出ると、覚えた部屋の役割とその場所を思い出し、頭の中で見取り図を作る。

いくつか抜けているところもあるが、ソフィアの部屋の位置だけはハッキリと思い出せた。


「そして! ここが何を隠そうわたくしの一番お気に入りの部屋!」


 ソフィアの自室というのはいくつかある様だが、その中でもよくソフィアが使っているお気に入りの一室を、ミカは昨日教えられた。


「いつもここにいる訳じゃないけれど……でも、ここにいることが多いわ。だから寂しくなったらここに来るといいわ」

「分かりました。覚えておきます」


 白いドアがどこまでも並ぶ、時々茶色の扉もあるが、それは大抵物入や書庫など王族が頻繁に使用することのない部屋の扉の色で、白いドアがソフィアなどの王族が頻繁に使う部屋の証だ。


「ここ……だったよね? 確か」


 ある一つの白い扉の前でミカは足を止める。

確かここが、ソフィアが普段いる部屋だったはずだと、昨日の記憶を思い出しながら、もしそうでなかった場合の言い訳も同時に考える。


 数秒して、言い訳の文章が綺麗に完成すると、ミカはエプロンのシワを伸ばす。

髪を強く縛り、深呼吸をする。

気分は面接前、それもたたの面接前じゃない、事前の練習を一切してこなかったぶっつけ本番の面接前だ。


 コン、コン。

と、二回優しくノックをする。


「おはようございます。ソフィア・シュロリエ様。シャルロット・ミカヱルです」


そしてなるべく大きな声でそう言うと。


「ん……あぁ、みかぁ?」


扉の向こうから、そんな甘い返事が聞こえてくる。


「入室してもよろしいでしょうか?」

「んん……いい、わよ……ん……」


 雑音が少ない環境でよかった。

ドアの向こうから聞こえてくる甘い声はとても小さく、聞き取ることがとても難しかった。

それでも聞き取れた言葉から入室の許可を得たと思い、ミカは慎重に扉を開ける。


「……失礼します」


 部屋は太陽の光がこれでもかというくらい強く差し込んでいた。

そんな太陽の光をまるで無に帰す様に、ソフィアは白と金を基調とした天蓋つきの巨大なベッドで眠っていた。


 ソフィアの自室はとても広く、白と金を基調とした部屋の中に、天蓋つきのキングサイズのベッドを置いてもまだまだ余裕があり、床にもそういった色のカーペットが敷かれている。

部屋にも小さな本棚が置かれており、そこには数冊の本が並べられている。

部屋の真ん中には、小さなテーブルと座り心地がよさそうな椅子が並ぶ。

部屋の隅には花瓶が置かれる。

他にもこの部屋には口述すべきものが様々あるが、取り上げているときりがない。

なによりここで、一番大切なのは。


「朝ですよ。ソフィア様、起きてください」


 キングサイズのベッドを持て余し、小さく丸まって心地よさそうに眠っているソフィアだ。

こんなに心地よく寝ようとしているソフィアを起こすのは少し気が引けた。

だが、これもメイドとしての仕事の一環だと、ミカは心を鬼にしてソフィアの身体に手を置いて、優しく揺らす。


「ん……あと、一時間……」

「どこの国でも、どの世界でも、これが定型文なんですか」

「んん……みかも一緒に寝る?」

「寝ませんよ」

「そっかぁ……」

「朝ごはんはどうするんですか? きっと美味しいものが待ってますよ」

「もぅ……少し」

「はぁ……わかりました。先に朝ごはんを取りに行ってきます。帰ってきても起きてなかったら、私が食べますから」

「わかったわ……んん……」


 朝が辛い気持ちは分かる。

小学五年生くらいの子が朝が辛いと学校に行きたくないと思う気持ちもよくわかる。

だからこそ、あまり強く起こすことはせず、朝食を先に用意しその匂いでソフィアを起こすことにした。


 ミカは昨日教えてもらった設備や部屋の中に厨房があったことを思い出す。

そこへ行けば、ソフィアの朝食を受け取ることができるだろうか。

そう考えてミカは足を動かす、はしたないかもしれないが少し急ぎ足で厨房へと向かった。

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