第20話【夜の国の黒騎士様】
一階にある大きな厨房へ行きドアを叩くと、メイドが一人出てくる。
そのメイドに事情を伝えると、すぐにソフィアの朝食は用意され、キッチンワゴンに乗せられる。
それを押してミカはソフィアの部屋を目指す。
四階へキッチンワゴンを運ぶのは難しい、と思われるがこの城にはなんとも便利なものがある。
城の四つの頂点に設置された狭い塔の中には、石で作られた階段と緩やかに傾斜する滑らかな螺旋状のスロープの様なものが併設された通り道がある。
それを使って一階から四階へと、なるべく駆け足でソフィアの部屋へ急ぐ。
ウェイトレスのアルバイト経験があればもう少し楽にこの仕事ができたのにと、今更そんなどうしようもないことを思う。
「入りますよ。ソフィア様」
部屋の前につくと、またミカは扉をノックし入室許可を貰おうとするが、返事はかわいらしい寝息だけだった。
ミカが部屋に入ると、ソフィアはゆっくりと目を覚ましベッドから降りる。
ミカは部屋にある丸いテーブルの側にキッチンワゴンを置き、テーブルの上に朝食を並べ、ティーセットも一緒に並べる。
「朝から走り回って疲れました」
「ありがとう……ミカさん、ごめんなさい。いつもは下にある大広間で食べるのだけれど」
「明日からはそうしましょうか?」
「うん……そうね。そうしましょう、ごめんなさい。今日は少し起きれなくて、ミカさんに迷惑をかけたわね」
「夜更かしですか? 体によくないですよ」
ソフィアの為に注がれたのは、コーヒーだった。
砂糖はソフィアのお好みで。
ソフィアの為に用意された朝食は、当然ミカが食べたものよりも豪勢なもの。
丸く柔らかそうなパンが二つにスクランブルエッグ、ベーコンとヨーグルト。
デザートにはブドウが五つもつけられていた。
「昨日は、心配だったのよ。ミカさんのことが」
「私が心配?」
ソフィアはパンをほおばりながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「同室の子とは仲良くできてるかしら、ちゃんと寝れているかしら、ご飯はちゃんと食べられたかしら……って、心配で会いにいこうかと思ったくらいですわ」
「貴方は私のお母さんですか。大丈夫ですよ、新しい環境に順応するのにはそれなりに慣れていますから」
「そう? ん……それなら、いいのだけれど」
メイドとはどうあるべきか、ということをミカは何も学んでいない。
きっと歩き方の作法から、食事の提供の仕方、主人との距離感など、様々なことにしきたりがあるのだろうが、ミカは何一つ分からない、というよりも知らない。
だから、こうして食事の時もソフィアの隣に座って話をする。
「あぁ、そうだ。ミカさんには今日お話ししたいことがあったのよ……えぇと、そこにある黒い本を取っていただけるかしら?」
ソフィアにそう言われ、ミカは一度席を立つと部屋にあった小さな本棚から指示通りに黒い本を取りだし、テーブルの上の邪魔にならない様なところに置く。
「この本は?」
「前に話した、黒騎士様のお話がここに書かれているの。ぜひ、ミカさんにも読んでほしいと思って」
「あぁ、黒騎士様の……」
真っ黒なとても分厚い本の表紙にはミカには読めない文字が書かれてあった。
少し中を開けてページをペラペラとめくってみるが、中身もミカには読むことができない文字で埋められており、当然内容を理解することはできない。
「大丈夫よ。わたくしが読んであげるから、もちろん全部となると大変だから、かいつまんでにはなるけれど、いいかしら?」
「えぇ、ぜひ……けれど、まずは朝食を食べてしまいましょうか」
ソフィアはとても美味しそうに、常に笑顔で朝ごはんを食べ続ける。
しかし、コーヒーを飲むときだけは少し苦そうな顔をして、瞬きをする。
「ミカさん。二つ相談があるのだけれど、いいかしら?」
「ええ、私にできることなら」
「ではまず一つ、厨房の方々に明日から別の飲み物を出すようにお願いしてください……コーヒーはあまり好きではありません」
「分かりました」
「それからもう一つ」
「はい」
「……このコーヒーを飲んでくださらないかしら」
そう言ってソフィアはミカにティーカップを差し出す。
「こういうのっていいんですか?」
「わたくしからのお願いよ。これでダメと言われたら、わたくしの名前を出して駄々をこねればいいわ」
「分かりました……では、遠慮なくいただきます」
ミカはティーカップを受け取り、中に残ったコーヒーをゆっくりと飲む。
久しぶりに飲んだそのコーヒーは、ミカに一つの記憶を思い出させる。
「ねぇ、ミカ? 美味しいですか?」
ソフィアと同じ様に、ミカさんと呼んで、ミカと呼んで、側にいてくれた彼女のことを。
優しく甘い声、私が置いていった彼女の声を思い出す。
「いつもと変わらず」
「それじゃあつまらないです」
「いつもと同じだから、いつもと変わらずなんだよ」
「まぁ、そうですけど。なら、たまには劇的なアレンジを加えてみましょうか」
「やめときなって、お客さんいなくなるよ」
「それはこまります。地域に根差した喫茶店を目指しているので、評判が悪くなるようなことはしたくありません。お父さんにも申し訳ないです」
いつも丁寧な言葉遣いで、ミカと接していた彼女のことを思い出す。
奪われたミカの居場所、その代わりになった温かいミカの唯一の居場所。
ただ一人の友達で、ただ一つの心残り。
この世界に来て初めて飲んだそのコーヒーは確かに子供には苦すぎた。
ミカもコーヒーはそれなりに好きではあるのだが、毎朝これを飲むは流石に億劫だ。
なにより、小学生くらいの年の子供が毎朝これを飲むのは、いくら砂糖をいれても少し辛いだろう。
「オレンジジュースやリンゴジュースがあればいいんですけどね」
「ただのお水でいいわ。苦いのは大人の味よ」
朝食をゆったりと食べるソフィアを見ながら、ミカはコーヒーを飲む。
最初は苦いが勝ってあまり美味しくなかったコーヒーが、だんだんと美味しく感じられる様になっていく。
そしてついに、ミカ自らの手で二杯目をティーカップに注ぎ、読めもしないのに本を膝に広げてページをめくる。
未知の文字を読むにはどうすればいいだろうか。
今こうして話すことはできているのだから、それと対応する文字を探せばいいのだろうか。
しかしどうやって対応する文字を探そうか、法則性を見つけて読み方を当てようか。
そんなことに悩んで四苦八苦しているうちに、ソフィアは朝食を食べ終わる。
「お待たせしました……さ、読書をしましょう!」
結局、ソフィアに読んでもらうのが一番手っ取り早かった。
ソフィはミカの方に寄るために椅子を近づけ、もう少しで肩が当たりそうな距離まで近づくと、テーブルの上で本を開いた。
「えぇと、最初は……そうね」
そしてソフィアはゆっくりと語りだす。
この退屈な日常の中で見つけた、大好きなお話を。
その話はある一人の
その少女は夜の国からやってきたといい、お姫様がいる国のことは何も知らない様だった。
だがその者にはとても強大な力があり、そして様々な知識があり、丁度騎士を欲していたお姫様にとっては喉から手が出るほどほしい存在だった。
「まるでミカさんのことみたいじゃない?」
「そうですか?」
「わたくしは似ていると思うわ。それと……ミカさんがどこから来たかって、聞いたかしら?」
「まだ話していませんでしたかね?」
「えぇ、まだ聞いていなかったということは……もしかして、夜の国ですか!?」
そう言ってソフィアは目を輝かせてミカに顔を近づける。
ミカはその圧と輝き、そしてなにより子供の夢を壊してはいけないという善良な心に負けて、嘘をつく。
「……そうですね。私は夜の国から来ました」
「ふふ。ごめんなさい、ちょっとイジワルしちゃったわね」
「急に大人ぶらないでいいんですよ。子供は子供のままで別にいいんですから」
その金色のお姫様が暮らす国はとても荒んでおり、もはや国としてはまともに機能していない様な状態だった。
堕落した王を国民は嫌い、皆美しい王女を慕い、愛し、また王女様も国民を愛していた。
「この国はそこまで酷くないけれどね」
黒髪の少女には様々な知恵があり、その知恵と王女様の寵愛によって国はどんどん改革をなし、姿が変わっていった。
そしてその少女は騎士としても、活躍し戦争でも戦果を挙げた。
そうして、国は次々と改革を重ね、誰からも愛されない国王は倒され、誰からも愛される王女が王となり、黒騎士と共に千年の平和が続く国を築いたという、それがソフィアの愛した黒騎士様とお姫様の物語だ。
「あの……似てます? 容姿以外」
「似てるわよ?」
「私別にすごい知恵があるわけでもないですし、この国をよくするための案なんてないですよ?」
「協力してくれないの?」
「期待されても困りますよ。この通り文字一つ読めないんですから、それに貴方はこのお姫様みたいなことがしたいんですか?」
その言葉に対して、すぐにソフィアは言葉を返さなかった。
「…………そうね、わたくしはこの国をよくしたいと思っているのよ。このお姫様みたいに」
物語はそこでお終い。
誰からも愛されるお姫様のところへやってきた、黒髪の少女。
彼女と共に誰からも愛されない国王を倒し、誰もが幸せな国を二人で作りました。
というその話に、ソフィアが強い憧れをもち、自分も一人のお姫様として、その物語にできたような改革をしてみたいらしい。
「それにわたくしは、この黒騎士様の王女様に尽くす姿勢がもう…………」
黒騎士様が唯一愛した女性。
国民全員から愛されていたいと願ったお姫様を、お姫様としてではなくたった一人の女性として愛した黒騎士様。
そんな黒騎士様がたまらなく、ソフィアの胸をドキドキさせる。
あの黒騎士様の本は、ソフィアにもこの国を変えることができるかもしれないという希望を与え、そして一つの恋の話しとしてソフィアの胸をトキメかせる。
「大好きなのよ」
「……そんな黒騎士様と一緒に国を変えたいんですね」
「それが貴方だったらいいなと。今は思っています」
実際ミカからしてみてもこの国はいつ滅んでもおかしくない様な国に見える。
王都の事情はよく知らないが、その外にある町では魔女と断定された人が処刑され続けている。
庶民の生活は貧しく、シャルロットが産まれた孤児院では日に日に食事が貧しくなり、一日一食ということも珍しくなかった。
あげく、戦争のためににと通常よりも早く、十五を超えた男児は兵士として、孤児院から出ていった。
建物はボロボロで道も整備されていない、女子供への犯罪も多い。
町を歩いていると、もう誰も国王への不満を隠していない様で、国王に対する罵詈雑言をよく聞いた。
シャルロットの中にいながら見れた景色だけでも、そのくらいのひどい国ではあった。
しかしこれを一人の女の子がどうにかできるとは、とても思えない。
「わたくしは王都から出たことがないわ。出させてもらえないから……馬車で移動しながら景色をみることさえ禁じられて、認められた宮殿と城の中を行き来するだけのお姫様……でも、それじゃあこの国をよくできない」
分厚いその本を大切そうに抱えながら、ソフィアは神妙な面持ちになる。
「そもそも、わたくしが王女としてこの国のことに口だしできるのかすら、まだ分からないけど……それでも、この国に産まれた人たちがみんな、少しでも幸せであればいいなと、そう思ってるんです。それが、わたくしが産まれた意味……生きる理由なのかもしれない……って」
「年の割にずいぶん哲学的ですね」
「……考えてしまうんです。よく、そういうことを。それで、わたくしの側に貴方みたいな人がいれば、それはとても幸せなことで、また新しいお話になるんじゃないかって。そう思ったんです。だから、できればわたくしに強力してほしいんです」
ソフィアは大切に抱えていた本をミカの膝に置く。
そしてうつむきながら、言葉をゆっくりと吐いていく。
「返事はまた。今度でいいです……別に、わたくしのしたいことに協力してくれなかったとしても、ここを追い出したりしません。無理なことを言っているのは分かっています……だから、心の片隅にでもおいておいてもらえれば」
ソフィアは立ち上がり、自ら本を棚にしまう。
そして、朝食の片づけをしようとミカに提案するが、流石にその片付けをソフィアに手伝ってもらう訳にはいかないと、ミカはソフィアを座らせたままにして食器を全てワゴンにのせる。
今日は何をしようかと、ミカはソフィアの希望を聞きながら、今日の予定を一つづつ決めていく。
少し気まずく、冷たい朝の空気の中、こうしてまたソフィアとミカの新しい一日が始まる。
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