01章 ≪ 満月ではじまる流転輪廻 ≫

第01話【ある孤児院でのこと / シャルロットの生活】


 その世界で、シャルロット・ミカヱルという少女が生を享けて、十六年の時が経った。


 シャルロットという名前には、可愛らしい女の子になりますようにという願いが込められ、ミカヱルは孤児院で孤児の世話をしているシスター達が啓示を受けて授けた、苗字にあたるものだ。


「んっ、しょ……」


 青い空の下、井戸で汲んだ水は木で作られたバケツに貯められ、それをシャルロットは慎重に運ぶ。


 孤児院にある聖堂ではシスターをはじめとした神職を目指す少女達が勉強をし、男女で別れる寄宿舎の裏では将来兵士になる少年達が剣を振るう練習や、槍で突き刺す練習をする。

そしてシャルロットの様に料理や掃除、洗濯等の仕事を中心に行っている少女達もいる。

彼女らは将来、貴族のお屋敷などでメイドとして働くことが大半だ。


「あっ……」


 何に躓いた訳でもなく、シャルロットは体勢を崩し転んでしまう。

そしてバケツを落とし、せっかく汲んだ水を溢す。


「また、やっちゃった……」


 どうやら、シャルロットは原因不明の病を患っているらしい。

ということを小さい頃にシスターに教えられた。


 その病の一つとして、シャルロットは常に痛みに苛まれる。

具体的にどういう痛みなのかというのを、シャルロット自身は上手く言葉にできないが、チクチクとしたものや、ズキズキとしたもの、ドクドクしたものもあれば、グチャグチャしたしたものもあり、それらが一つずつではなく、全ての痛みが同時に、そして休む間もなく常に、シャルロットを襲う。


 そしてその痛みは騒然今もシャルロットを襲っており、痛くて痛くて気を抜いたら思わず泣いてしまいそうになる。


 そんな痛い思いをずっと我慢しながら生活しようとしても、簡単にそうさせてくれるわけもなく

結局こうやって、痛みに負けてバケツを落としてしまうことなんて日常茶飯事だった。


 この病気のことを、というよりもこんな病気を持つ者達を、とてもシンプルに「魔女」と呼び、そんな魔女達は忌み嫌われていた。

そんなことをシャルロットが知ったのはつい数年前のことだった。


 この孤児院には、そんなシャルロットの様な魔女と呼ばれる様な子供が数人いる。

中にはそれを親に見せて、気持ち悪がられてここに連れてこられた子供や、産まれた直後から身体的に何かしらの特徴があり、それを気味悪がられてここに連れてこられた子供もいる。


 しかしシャルロットがここで出会った魔女達は、花が少し早く咲くようになる魔法や、水が甘くなる魔法、雲の形を好きに変えれるものなど、楽しげなものばかり。

だというのにシャルロットは自分自身に痛みを与え続ける魔法という、誰も幸せにならない魔法。

そして強く強く、意識して我慢しないと、様々な魔法が溢れ出てきてしまう。

指先から水が垂れてくるだけならまだマシなもの、持っていた花が突然燃え出した原因が自分にあったと知った時は、ずいぶんと驚き困ったものだった。


 そしてもう一つ、シャルロットには魔女と呼ばれる原因があった。

それは、シャルロットが聞こえる声のこと、それもただの声じゃない、自分の中に潜んでいる「有栖川ミカ」と名乗る別世界からやってきたと言う人の声が、シャルロットは聞こえる。


 これをシスターたちに相談した時は、時々二人の人を宿して産まれてくる奇病があるから、それなのかもしれないと言われ、シャルロットとしてはなんだか少しはぐらかされてしまった気がしている。


 さらにシャルロットには不幸が重なり、これら全てを隠したところでシャルロットの魔女疑惑というのは晴れない。

なぜならシャルロットはこの国には決して産まれることがないとされている黒い髪をもって、産まれてきてしまったのだ。

別に黒い髪だから必ず魔女だ、という見方をされるわけではないが、大半の人がシャルロットを見ると、魔女だと決めつける。

実際、シャルロットが生きていく中で自分自身が魔女なのかもしれないという疑惑は、日に日に確信に変わっていくもので自分が人から嫌われる魔女かもしれないという疑惑は、シャルロットに辛い現実を与える。


 そんなこともあってか、こんな狭い孤児院の中でもシャルロットは他の子供たちから避けられ、中にはイジワルをする子もいる。


「あぁやっぱり、シャルだ。大丈夫? 怪我はない?」


勿論そんなシャルロットと仲良くしてくれる、同じ孤児もいた。


「あぁ、ルマ……」


ルマル・シャンテという、二つ年上の女性。

来年にはここを出て、貴族のお屋敷で働く歌の上手な、シャルロットの大切な唯一の友達だ。


「やっぱり、シャルにこういう物を運ばせるのは危ないわね。シャルにとっても、モノにとっても」


 ルマルに手を引かれて、立ち上がるとワンピースについた土埃をぱっぱっとはらいおとす。


「ごめんなさい……」

「別にいいよ。シャルにはシャルに向いてることがきっとあるんだろうし、それを頑張ればいい。で、どう? 痛む?」

「うん……ずっと」

「どうにかならないのかなぁ、その痛み」


 シャルロットを襲う痛みは日に日に強くなっていき、耐えられなくて大声をあげて泣き出してしまうことが最近増えた。

唯一、こんなシャルロットを理解しているルマルが、自らシャルロットの同室になりたいと言い、それが認められたことで、ルマルは数年前からシャルロットの同室となり、シャルロットが泣き出してしまったらいつもルマルが頭を撫でて、気が落ち着くまで側にいてくれている。


「その、声が聞こえるとかいう。アリスさん? が、なんとかしてくれたらいいのにね」

「あの人は……もう慣れたって言って、出てこなくなっちゃいました」

「ふーん。自分勝手だね、きっとその痛みもアリスのせいよ」

「あはは、どうでしょう……」


 そんなシャルロットの孤児院での生活は変わり映えのしない平和なもの。

朝早くに起きてシスターたちと聖堂で祈りを捧げ、シスターたちと一緒に朝食を食べる。

テーブルに並ぶのは決まって固いパンが一つか二つだけ、とてもそれでお腹が満足してくれるなんてことはないけれど。


 そして、今日一日で終わらせるべき仕事をする。

それこそ水汲みであったり、お洗濯であったり、この山の中にある孤児院から町へと買い物へいくこともあった。

そんな全てを通して、つくづくシャルロットが感じているのは「生きるのに向いていない」ということ。


 姿を見られれば「あいつ、魔女なんじゃ」と囁かれ、クスクスと笑われるならまだしも、軽蔑され、その疑いがあるだけで人として扱われないことだってある。

物を買いたいと言ったら、他の人の倍以上の値段を提示されたり、店に入るだけで水をかけられることだってある。


 そして、毎日自分を苦しめる激痛と友達にならなければいけない。

これを痛いと感じない、これを苦しいと感じない、これをおかしいと感じない、そんな私に変らないと、この身体でこの人生を歩んでいけない。


「……普通になりたい」


 それが、シャルロットの口癖だった。


「シャルはこの孤児院での暮らしはイヤ?」


ついつい、そう漏らしてしまった言葉は、ベッドの上で今にも眠ろうとしていたルマルの目を覚まさせる。


「あぁ、ごめんなさい……そうじゃなくて」

「分かってるよ……そういうのが、何もなければってことでしょ」


ルマルは自分の指先を眺める、するとそこから小さな氷がぽろりと落ちる。


「奇病、流行り病……魔女」

「そういうのがない、普通のわたしなら、どんなに幸せな人生だったかなぁって……ついつい考えちゃうんです」


痛み、苦痛がない。

突然身体のどこから水が出てくることも、炎が出てくることも、周りにある木が倒れだすことも。

それそこ、誰かの声が聞こえてくるようなこともない「普通の人生」ちゃんとした「人」としての人生、それがあればどれだけ幸せだっただろうかと、どうしても考えてしまう。

むしろシャルロットは、そんなことを考えない日の方が少ない。

毎日思う、普通の人生を歩みたいと。

両親が揃っていて、温かいご飯があって、身体のどこも痛くない、そんな当たり前な普通がほしいと、そう思ってしまう。


「……私はさ、諦めるしかないって思ってる」

「え?」

「人生って、そういうもんじゃん……どうしようもないことしかなくて、楽しいことなんて一つもなくて、幸せなんてぼんやりとしたものはまた遠い向こうの、それこそ手が届かないほど遠い世界のことで……だから、諦めていくしかないんだよ。私はそうはなれない、そんなものは手に入らないって」

「……そうなのかな。ほんとうに諦めないといけないのかな」

「わがままだよ。それは」

「……わがままかな」


普通を望むことは、当たり前を望むことは、自由を望むことは、そんなにわがままなことなのだろうか。


「私みたいに諦めないと、将来行くとこがなくなっちゃうよ?」

「えぇーそれは困る」

「でしょう? いつかはシャルもここを出ていかなきゃいけないんだから、その時にそんなわがまま言ってたら、シスターに怒られるよ」


 ほんとうは死んでいたはずの命をこうして今まで生かしてもらっている。

そのことに感謝して、謙虚に生きていく。

それが正しいこととされ、男は国の為に兵士として働き恩を返す。

そして、女は国の為に良い子供を産み恩を返す。

それが正しいとそう教わってきた。


「へぇーそういう考えた方なんだ?」


 ある日の有栖川ミカの言葉が浮かぶ。


「悪いとは思わないけど、みんな嫌がらないの? そういうの」


そういえば、私も言ってたっけ。


「イヤがる? それが普通じゃないの?」


それが普通だって、じゃあ今のわたしも十分普通の中で生きてるのかな。


「いや、知らないけど……あんまり口だしする気もないし」


それとも、この世界がそもそも普通じゃなかったりするのかな。


「あーやめましょう! 夜になると、こう……ばぁあぁって! たくさん考えてしまって」

「だね。早く寝よー明日もあるし」


 難しいことはまた明日に持ち越して、今日はもう眠ってしまおう。

そうしてまた明日、ぐだぐだうだうだと考えながらも生きていけばいい。

時間は十分にあるだから、考えなんてまとめなくていいし、結論なんていくらでも保留にしてしまえばいい。

ゆっくりと目を瞑って、あとはそのまま二人で明日を待つだけ。



 ・

 ・



 音が聞こえる。

それは二人がロウソクの明かりを消して、しばらくした時のことだった。

カチャカチャと聞こえるその音は聞き馴染のないもので、瞬時になんの音か判断することはできなかった。


「フォルス・シュロリエ・ブラヴ・セサル国王陛下の命により参った!!」


そんな大きな男の声はぼんやりと夢の中。


「速やかに魔女と思われる者を私たちに差し出せ!」


魔女というその言葉で夢から覚め、二人は体を起こす。


「さもなければ……魔女狩りを行う!!」


 わたしたちに明日などなかった。

思い悩む時間も、普通や当たり前を考える猶予もなく。

そして孤児院は炎に包まれる。

夢は、潰えていく。

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