第38話【自責】
しばらくソフィアの息が整うのをミカは待つ。
夜はまだしばらく続く様で、月はうすぼんやりと輝いている。
ソフィアの憧れや夢の為に、今更黒狐の仮面をつけようか、なんてことを考えるけれど、結局仮面をつけることはなかった。
ソフィアに用意してもらった特別なメイド服は真っ赤に染まり、よく切られた腕や脚の辺りだけは妙に綺麗だが、それ以外は原型が分からない程にズタズタだ。
ミカの全身は、それこそ頭から爪先までの全てが真っ赤に染まり、今すぐにでも水浴びをしたくなる。
「終わった…………の?」
夜が終りはじめぼんやりと輝く明け方の星の眩しさに誘われて、ソフィアはゆっくりと目を覚ます。
ミカはソフィアに死体をあまり見せないようにしようとするが、起きて目の前にある死体をどうこうできる訳もなく、結局また死体を目に映すことになってしまう。
ソフィアは目の前のそれに不快感を覚えながらも吐き気をぐっと抑え込んで、しばらく身震いして座り込む。
「ごっ、ごめんなさい。ミカさんの服が」
ソフィアはミカのメイド服の足元についた汚れを見て、すぐに自分のせいだと気づいて頭をさげる。
「ソフィア様にいただいた物ですから。残念ではありますが、どうにかなりますよ」
そう言いながらも、ミカは自分の血まみれでズタズタのメイド服を見て、どうにかなるだろうかと考えてしまう。
「……たぶん」
ミカはソフィアと視線を合わせるたびに屈み、姿勢を低くする。
「ほんとうにごめんなさい……できるだけ、同じものを用意できるように努力するわ」
未だ目の前に転がる死体に対する嫌悪感をソフィアは拭いきれず。
何度も吐き気を抑え込む。
「…………水浴びをしましょうか。お互い汚れがひどすぎるわ」
自分自身の心の奥底から湧いてくるフツフツとした嫌悪感を誤魔化す為に、ソフィアは必死に笑う。
それと同時に何もできなかったという罪悪感がソフィアの心を包む。
偉そうなことを言っておきながら、結局何もできずここで座って、吐き気が続く自分自身がイヤになる。
「でも、その前にこの惨状の片づけをしないといけませんね」
「あぁ、そうね…………それが先よね」
「ここで……は、ちょっと気分が悪いかもしれないので、場所を変えましょうか。そこで、ソフィア様は片付けが終るのを待っていてください」
そしてまた、ソフィアは置いていかれる。
全部人任せにして、置いていかれそうになる自分自身がとてもイヤになる。
「あと、馬車の手配の仕方が分かる様でしたら教えてください。私メイドとしての仕事はあんまりで」
そう言って立ち上がり、またソフィアに背を向けたミカのスカートの裾をソフィアは掴む。
「大丈夫ですよ。もう怖いことはありません。まだ落ち着かない様ならここでもう少し休んでからでいいですよ、ソフィア様が落ち着いたら宮殿の中へお連れするので」
俯いて不安げなソフィアを安心させるためにもう一度屈んでソフィアの目をしっかりと見てみかは言葉をかける。
表情や仕草一つでソフィアの伝えたいことがなんとなく分かる様になれた気がする。
それはこの一晩のおかげだろうか。
「そう、ではなくて…………」
いや、お互いにお互いのほんの一端に触れただけで、分かった気になっている気になっているだけで、お互いの本質は何も分かっていないのかもしれない。
「わたくしにも手伝わせてください」
ソフィアはゆっくりと立ち上がると、ミカの背中にべったりくっつく。
正直、この庭園に広がる光景をソフィアは直視したくない。
同じ様にミカも、ソフィアにこの庭園で広がっている光景をあまり見せたくはない。
心情的にも情操教育的にも、とても見せたい光景ではない。
そんな風に少し思い悩んでいる時、少し遠くにある宮殿の方にうっすらと人影が見える。
「あの……ソフィア様は……そこにいらっしゃるのでしょうか?」
そして聞こえてきた少し大きな声にミカは溜息をつき、またか、また殺さなきゃいけないのかと呆れながら、なるべく大きな声で言葉を返す。
「いますけど。まだ殺し合うつもりですか? 状況分かってますか? 見ればわかりますよね?」
「あの、わたしたちは貴方と戦いたい訳じゃなくて…………ただその、協力したいなと、縄で縛ったり、馬車の手配をしたり……そういうことを」
敵意がないということを示す為に、そう言うがそれでもあまり信用できない。
「下がっててください。何かあった時に巻き込まれたら困るので」
なのでミカはソフィアを自分の背中にしっかりと隠して、だんだんと近づいてくる彼女たちを視界から絶対に外さない様にする。
警戒されていることを知ってか、メイド達は割れた壁から庭園へと出てくると、真っ先にソフィアの方に向かってくるなんてことはせず、戦意を失ったメイドや男達を縄で縛り始める。
ある程度拘束を終えると、複数人のメイドが二人が隠れる高い花のある花壇の側へと近寄ってくる。
ソフィアはべったりとミカにくっつき、姿を見せないようにする。
「申し訳ありませんでした。何もできず」
そのメイドは頭を下げ謝るが、ミカのところへ来たメイド全員が全員ミカに対して敵意がないということはないようで、後ろの方で隠れているメイド達はミカから目を反らす。
「ほら、貴方達も。ソフィア様の前よ」
そう言われてようやく後ろで目を反らしていたメイド達が頭を下げる。
これはミカに対しての謝罪じゃない、ソフィア・シュロリエというお姫様に対する謝罪だ。
「貴方たちは?」
「騒ぎが起きてから、ずっと隠れていたんです。兵士の方々も殺されて、貴族の方々も殺されて、わたし達メイドも殺されて……逃げまどいながら隠れて」
「戦わなかったんですか? ソフィア様の為に」
「普通メイドは戦いませんよ」
「あぁ、そっか……で、生き残ったのはこれだけですか?」
「まだいるかもしれませんが、今のところはこれだけです」
「そっか」
「あの、ありがとうございました…………魔女でも役に立つ人もいるんですね」
「どういう意味?」
「え?」
「あぁ……ううん、いいよ。別に」
きっと悪気はないのだろう、普段からこういう考えで生きていて、ただそれが口から出ただけだ。
そこにミカを馬鹿にしてやろうとか、嫌味を吐いてやろうとか、そんな気持ちは一切ない。
むしろただ純粋にミカを褒めてさえいる。
「私はソフィア様の側にいます。ので、後のことは任せます」
「分かりました」
「あと、怪我をしているエクラ・マールールというメイドがいるかもしれないので、見かけたら助けてあげてください」
「エクラ・マールールね? 分かったわ、見つけ次第必ず…………みんなもそれでいいわよね?」
誰もミカの言葉をを聞こうとはしないだろう、しかし隠れていたメイド達の中でリーダーをしている少女の言葉なら、皆が異論なくすんなりと聞き入れ、首を縦に振る。
「ではまた、後ほど」
「えぇ、それでは」
彼女らに敵意はないとミカは判断し、後ろにか隠れるソフィアの背中を軽く叩く。
すると、ソフィアは恐る恐るミカの背中から出てきて、辺りを見渡す。
「ということですので。もう私達の仕事はありません。いても邪魔をしてしまうだけなので、二人で中にいましょうか」
綺麗で愛おしく思っていた花は、散らされ踏みつぶされていた。
その上にはいくつもの死体が積み重なる。
中には大怪我を負って、まともな手当ても受けられず未だ苦しみ声を上げている人の声も聞こえてくる。
ソフィアは嫌悪感を一切口にすることなく、吐き出しそうになる様々な否定的な言葉を必死に飲み込んだ。
そして、ミカに手を引かれながらできるだけ周りを見ないようにして、ゆっくりと歩き始める。
もう少しで宮殿の中、というところでソフィアはミカの手をぎゅっと握り、自分の方へと引き寄せる。
「どうしました?」
それを合図として受け取って、ミカは立ち止まる。
「少し……待ってください」
ソフィアは深く息を吸って目を瞑る。
そして心の中で、一、二、三、と数字を十まで数え。
それでも足りないなと感じたら、また一、二、三、と十まで数えて、合計四十数え終わると、ソフィアは目を開けて大きく息を吐いて、覚悟を決めて後ろを振り返る。
「……これは」
ソフィアの手はミカの手からするりと抜け落ちる。
浅い息を繰り返しながら、目の前にある現実が、ほんとうに現実なんだと再認識していく。
「わたくしのせい……ですよね」
「ソフィア様のせいではないですよ。何も」
「…………わたくしのせい、ですよ」
「ソフィア様のせいじゃないですよ」
「わたくしのせいよ! ミカさんにこんなことをさせたのも…………ここでたくさんの人が死んだのも全部…………わたくしのせいよ…………わたくしがもっと…………みんなを幸せにできていれば…………この国で生きたいと思わせてあげれていれば…………だからせめて」
言葉にできない感情を、ソフィアは全て一人で背負う。
わたくしははこの国のお姫様なのだからと、全てを我慢し飲み込んで。
「みんなに、謝罪をさせてほしいの……」
死んでいった一人一人の様々な感情を、不満を、怒りを、後悔を、未練を、受けとめようとする。
全て自分が悪いのだと、無力で無知で、彼らの不平不満を知りえなかった自分が悪いのだと、彼らの死の責任は自分にあるのだと、心の中でひたすら自分を責め続ける。
「………………わかりました。付き合います」
この子は優しすぎる。
そう思うと同時に、ミカはこの子はあまりにも自分を責めすぎているとも思う。
彼女は優しさを自責が凌駕している。
自分が言えたことじゃない、そんなことはミカにも分かっていた。
けれど、この自責を優しさと勘違いするのは、少し危うい気がしてしまう。
具体的に、なにが、どう、とは言葉にはできないけれど。
ミカの中で少し、感情が詰まる。
「ありがとう…………それとごめんなさい。わたくしのせいで」
「だから、ソフィア様のせいなんて私は何も……まぁ、いいです」
気付けばソフィアは『ありがとう』よりも『ごめんなさい』を多く口にするようになっていた。
また自責に自責を重ねて、自分を追い詰める。
ここで死ななかった罪を、ミカに人を殺させてしまった罪を、わがままをどうやって贖えばいいのか、そんなことがソフィアの頭の中に湧いて出る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます