第34話【優しい人】


「で? どう? ミカはわたしに愛してる。って言われて幸せですか?」


セレネは私をその言葉で引き留めたかったんだと思う。


「……そうでもなさそうですね」

「ごめん。そういうのよくわかんない」

「あーあ。わたしがミカを引き取ればよかったです。あんな家が引き取るから、おかしなことなるんです。遅効性の毒ですよ」

「選んだのは私だから」

「全部自分のせいにして、一人で抱え込まないでほしいですけどね。友達としては」


 結局私は愛されていたのか、幸せだったのか何も分からない。

ただセレネとはもっと話をしていたかったし、セレネの為に死ねる未来があったのなら、それも悪く無いかもしれないと想えてしまう。

けれど、私は自分のことを最優先にした。

自分自身に降りかかった不幸をひとしきり抱え込んで、残された復讐心を追いかけ続けて、もしかしたら復讐を終えた後も生き続けられるかもしれないなんてバカなことを考えて、何も成せずに無様に死んだ。


「生きる理由がないなら、わたくしを生きる理由にはしてくれませんか?」


 あぁ、まただ。

また、そうやってセレネと似た言葉をソフィアは吐く。


「少し自分勝手……かもしれませんけど」


あの日のセレネと同じ言葉を吐く。


 全部知った上で、セレネは涙を必死に抑え込んで言った。


「ミカ…………もう復讐なんてやめて…………わたしと生きてよ」


人間でいてほしい、最後までセレネはそう言っていた。

結局ミカがしようとしていたことなんて、立派な建前があれどただの人殺しだ。

一度、その一線を越えてしまえば、どんなも人間でも二度と人間と名乗ることも、呼ばれることもできなくなってしまうと。

そう理解していたからこそ、セレネは強くミカに訴えた。

わたしを最後の希望にしてほしい、わたしを選んでほしい、わたしと生きてほしいとそう願って言葉にした。


 けれど、ミカはそれを受け入れなかった。

父を、母を、兄を、姉を、妹を、ミカの日常を全て壊し奪った彼らを許すことなどできず、ただひたすらにミカの心はどす黒く淀んで歪み、濁りきっていた。

友人よりも、復讐がミカの心を雁字搦がんじがらめに縛り付けていた。


「わたくしは、ミカさんだけじゃない。みんなの生きる理由になりたいんです」

「神様にでもなるおつもりですか?」

「……そうなのかもしれませんね。わたくしは、本来人間は、産まれて、生きているだけできっとそれだけで十分なはずで、でもまだ足りないと思うなら……わたくしがその足りない部分を埋められたらいいなと、そう思っているだけなんです。こんな状況になっても……嫌われてると知っても、そう思ってしまうんです」


 床の方を向いてカーペットを細い指でなぞり、意味のない線をふらふらと描く。


「わたくしはたった一晩で大きくなりました。少し大人になりました。わたくしが嫌われていることを知りました、誰の夢や希望にもなれないことを知りました。ほんとうはこの国にいるみんなが幸せになってほしいです。みんなを愛しています……でも、みんながそう思っていないのなら……なら、せめてミカさんだけでも……」


それ以上先の言葉を聞く前にミカはソフィアをぎゅっと抱きしめ包みこむ。

あまりにもソフィアが小さくて、ミカの腕の中にすぽっり収まってしまう。

いきなりの事でソフィアは少し驚くと同時に、ミカの胸に押されて少し息苦しい。


「……ミカさん? ぐるぢぃです」


 この子はダメだ、優しすぎる。


「…………私はソフィア様の為に生きればいいんですか」


こんな小さな身体で背負うべきでない優しさを背負いすぎている。

王女であろうとするが故に、周りから嫌われていることに薄々感づいていたが故に、この子は優しくなりすぎた。

自分自身のことなど二の次にして、人の為にと生きすぎた。

それじゃあいったい、誰がこの子を幸せにするのだろう。

誰がこの子の幸せや愛したいという心を受け止めてくれるのだろう。

この国でもう、その想いを受け止めてくれる人は決していない。


「生きていく意味が見つかれば、それに熱中してください。お裁縫や読書でもいいです、何か生きる意味が見つかればわたくしのことなんて忘れてください……わたくしはお姫様ですから、誰かの生きる希望の中心にはなくて、ただ疲れた時に、前を向けなくなった時に、愛されていると思えなくなった時に、産まれてこなければなんて思ってしまった時に、わたくしのことを思い出して、小さな希望や支えになれたら、それで十分なんです」


 セレネとソフィアは比べるものじゃない。

なにより二人は全くの別人で、赤の他人だ。

セレネはミカというたった一人を愛し、彼女に幸せになってほしいと心の底からそう願い、自分自身を擦り減らすことさえいとわなかった。

ソフィアはこの国に住む全員を、もしかするとこの世界にいる意思疎通が叶う、もしかするとすべての生命体を愛し、そして全員に幸せになってほしいと心の底から願ってい、その為なら自分自身を擦り減らすことを厭わない。

そんな偶然似た思考し、全く違う答えをだした赤の他人だ。


「今だけは、貴方の希望で。愛や幸せの要でいさせてください……いえ、そこにわたくしを、置いてはいただけませんか」


 ソフィアはぎっと抱きしめられていたミカの腕の中から少しだけ離れて、ミカにそう伝える。

その目は真剣そのもので、先ほどまで抱えていた不安や恐怖を一切感じさせない。


 シャルロットに問いかけるのを、気付けばミカは忘れていた。

ソフィアからかけられた言葉にミカはセレネを思い出し、そしてミカはミカ自身として答えを考える。

だんだんと、ミカとシャルロットが乖離していく。

元々全くの別人だった二人の間に、更に深い溝が生まれ始める。


「分かりました……私の心にあるうろを、とりあえず今は貴方で埋めたいと思います」

「うん、ありがとう。わたくしのわがままを聞いてくれて」


 そう言って笑うソフィアの顔をいつもより優しい目でミカは見る。

月明りだけが、ただ明るく二人を真っすぐ照らしてくれる。


 シャルロットの意思は一切介入せず、シャルロットはただひたすらに自分の人生が奪われていく感覚に苛まれる。

返してほしいだなんて思わない、けれど返してほしいと矛盾を繰り返す。

延々と何もない空虚な世界で、自分が世界の輪から外れていく感覚に、ただひたすらに怖くなる。

わたしにはもう、帰る場所がないのだと。

ひたすらに、矛盾と後悔と、多少の恨みつらみが肥大する。


「さて……じゃあ、これからどうしましょうか?」


 ここから城へと帰る手立てがない。

誰か助けを呼んで連れて帰ってもらうしかないのだが、いったい誰に頼めばいいのだろうか。

おそらく頼らなければいけない大人のほとんどは、もう殺されてしまっているはずだ。


「とりあえず、宮殿の中を見て回りましょうか?」

「いや、それはやめておいた方がいいとおもいます。なかなかしんどいと思うので」


 ソフィアに廊下で広がる景色を見せたくないとミカは思い、一度外の掃除をしようかと、そう考えついた時。

宮殿の中で不気味な歌が響きだす。


「これは……」

「なっ、なんですの……」


平和や平等、愛や正義を謳う大合唱が遠くの方から響きだす。

声を聞く限り、男性の方が少し多いだろうか。


「そっか……エクラを追い払って終わりじゃないか」

「え?」

「敵は大勢いて然るべきということです。当たり前ですけど、忘れてました。私のミスです。申し訳ありません」


 エクラを見逃したせいだろうか、エクラを殺してさっさと逃げるべきだったろうか。

そんな後悔を今更したところでもう遅い。

ミカがエクラに誘われて行っていてた集会所だけでも百人はいた様に見えた。

それに加えて、様々なところから集まった同じ目的をもったグループがいくつも、そして、そのほとんど全員があの強力な銃を持っていると仮定すると、彼らを皆殺しにすることは不可能に近い。

できたとしても、きっとソフィアが死んでいる。


「また歌か」


 どうして、こぞってどいつもこいつも歌を歌いたがるんだ。

シャルロットが暮らした孤児院を襲った奴らも、革命を起こそうとしているあいつらも。


「ミカさん?」

「あぁいえ、独り言です」


 ミカはゆっくりと立ち上がると、また右手に黒い狐の仮面を作り直す。

血が付いた古い仮面は新しい仮面が創られると同時に消滅してしまった。


「すみません、ソフィア様。もう一度行ってきます」


 黒い狐のお面をまたつける。

カッコつけて、それでどうにかなるわけではないけれどソフィアの夢は守れる気がするし、信じてもらえるはずだ。


「ちゃんとここで隠れていてください」


憧れたカッコいい黒騎士様が目の前に現れたなら、きっと安心できる。

ただそれだけでいい。


「それじゃあ。行ってきます」


 ソフィアに背中を向けて、ミカはまた歩き出す。

その背中を見て、ここに残されることをソフィアは寂しく、悔しく思い。


「ミカ……さん」


今にも泣きだしてしまいそうな、今にも消えてしまいそうな小さな声に、ミカは一度足を止める。


「…………大丈夫です。貴方のことは」


 小さな身体で抱えている不安や孤独を掻き消す様な、カッコいいセリフをミカは用意していなかった。


「私が必ず守りますから」


だからそんなありきたりなセリフでカッコつけて、不安を払拭させようとする。


 そしてミカは、ソフィアを置いて部屋を出る。

その背中をソフィアは見ていることしかできなかった。

見て、眺めて、何をできないまま、無力な自分を嘆くしかなかった。


 だんだんと二人の側に近づいていく足音や歌に、ついついい耳を塞ぎたくなってしまう。


 また殺すのか、また殺されるのか。

シャルロットはミカに訴える。

人殺しなんてやめようと。


「殺さなきゃ殺されるだけ。私じゃなくて、ソフィアが」


しかしミカは聞き入れない。


「なにか作戦があるなら聞くよ。誰も死ななくてみんながハッピーになれる作戦があるなら」


またシャルロットは叫ぶ。

何もないと、どうしてそんなに冷静でいられるのかと、しかしその問に答える間もなく、歌は止む。


「お前が魔女……か」

「メイドの死体が四つ」

「こいつが……私たちの仲間を」

「やはり魔女などはじめから頼るべきではなかったのだ!」

「そもそもあのエクラとかいう女の意見を聞き入れたのが間違いだったのだ」


 案外彼らの意思というのは統一されていなかった。

仮に個々人の戦闘能力が高くても、統率がとれていなければそこに勝機があるだろうか。


 見たところメイド服のまま大きな斧や剣をもった女達、まともな鎧などは一切なくただ大剣や斧を持っただけの男達。

しっかりと訓練された兵士は、ここにはいないように見えた。


「構えろ!」


彼らの先頭に立つ、一人の男がそう言うと後ろの方からメイド達が数十人出てきてミカにあの銃を向ける。


「あぁ、なるほど」


後ろを振り返れば、同じ様にメイド達が銃を構えて列をなしており、ミカは数十のメイド達にあの強力な銃を向けられ包囲される。

絶対絶命、何度も死んで、確実に数を減らしていくしかないこの状況を。


「どうしようかな」


どうにかする為の策なんてものはなく、ただそう呟いた。

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