第33話【別離】


 抵抗感がなかったわけではない。

わたしたちメイドの仕事は、部屋の掃除や食事の用意であって人殺しではない。

当然それはわたしや他のメイド、そしてミカも同じだと思っていた。


 だからたくさんの建前を積み重ねて、わたし達は正義を成す為だと人殺しを正当化して、抵抗感をできるだけ減らしていった。

ただ目の前の悪を討っているいるだけで、人を殺しているわけではないと、言い聞かせていた。

それでも、だとしても、抵抗感が全くなるなることなんてなかった。

例え相手が、忌むべき悪であったとしても。


 だというのに、ミカはあまりにも飄々としすぎている。

人を殺すことにあまりにも抵抗感がなさすぎる。


「貴方……ほんと容赦ないね。これじゃあ、魔女が嫌われるのもしかないかって気にさせられるよ」

「それ、魔女かどうかの問題? 私個人の問題でしょ。それに、私を魔女だって呼ぶなら、貴方もそうでしょ」

「わたしが?」

「そんなモノを使って人を殺して、ていうかそんなモノを使わなくても人を殺してる時点で、もう人間じゃない。この世界の呼び方でいうなら、まさしく魔女だよ」

「……バカ言わないでよ、わたしは人間よ。一緒にしないで」

「あっそ。じゃあ勝手にそう言ってなよ」

「…………前から思ってたけど、人間味がないよね、貴方。ずっーっと生気を感じられない」

「それはもう、人間じゃないから……かな。あの日からずっと、そうなんだと思う」


 認めるしかない。

ミカは実際この世界に来る前に、まだ自分にそういった特別な力がない時に、人を殺してしまっている。


 セレネにも散々言われた、殺人というその一線を越えてはいけないと、そこを超えると人間じゃなくなってしまうと、そうしつこく言われていた。

けれどミカはその一線超えた、軽々とじゃない覚悟を決めて。

そこでタガ外れたのかもしれない、けれどミカの過去を知る人間はここにはいない。

誰も昔のミカと、あの一線を越えてしまった後の今のミカを比べることはできない。


「正直さ、生きる意味なんてないし、殺す意味もない。誰かの味方をする理由もないし、誰かの敵になる理由もない……なんだろうなぁ、ほんとうに意味がないんだよ。全部」

「でも、ソフィアの味方になった。わたしたちを裏切って」

「なったのかな……わかんないな、私は私のことが分からない。だって、あの日死んまぁそれで終わりかってある程度納得してたつもりだったから。だから、続きなんて用意されても。困るんだよ、それも他人の人生でやり直せって」


 けれど、後悔もしていた。

生きていたかった、殺したかった、でもやっぱり生きていたかった。

そんな思いが、あの瞬間。

あのベランダから突き落された瞬間に芽生えてしまった、だからこの今が存在するのだろうか。

だとしても、他人の人生を間借りしてのやり直しなんてどうかしている。


「他人?」

「あぁ、もし君と出会っているのが私じゃないなら、きっと彼女は貴方に賛同しただろうね。同じこの国に真っ当な人生を奪われた者同士、仲良くなれていたのかもね」

「……何、言ってるの? さっきから」

「あぁ、ごめん。八割独り言……で? どうする? 殺される?」


 ミカは自分自身が用意した刀の切っ先をまっすぐ、エクラの首へと伸ばす。

エクラはもう隠し玉を使い終えた、戦うための武器はない。

そして到底、ミカに勝てるとは思えない。


「貴方が味方なら、どれだけ頼りがいがあったか」

「そうだよね。私も私が怖い、こんなことができるんだって」

「……見逃してくれない?」

「どうすればいいのかなぁ、こういう時って」

「殺す理由はないんでしょう? だったらいいじゃんそれでも」


エクラの命の主導権は、完全にミカに握られた。

あとは全て、ミカの気分と考え次第だ。


 ミカが考え悩むのと同じくらいに、エクラも考え悩む。

この革命の目的はソフィア・シュロリエを殺すことで、シャルロット・ミカヱルを殺すことではない。

なら、ここでするべきことはなんだとエクラは自分自身に問いかける。

そして答えは決まっていた。


 エクラは勢いよく走りだす。

目指すのは、ミカの警備がない白い扉。

その先にはソフィアの姿がはずだ。

せめてソフィアの首をとることができたら、それだけで革命は成功する。

たとえ自分自身が死んだとしても、ミカを殺せなかったとしても、それでもソフィアを殺せるならそれでいい。


「なんでそういうことするかな」


 扉の前まであと一歩、そんなところまでエクラが近づいたとき、ミカはエクラの横腹に、死なない程度の致命傷になりそうな矛盾に満ちた一撃をくらわせる。


 エクラの方へと真っすぐ伸るのは、アザミの花。

ミカの腕から生えて真っすぐ伸びるその茎葉けいようは、まるでムチの様にしなりながらエクラの横腹をそれが劈くと、茎葉の先に鮮やかなアザミの花が咲く。


 そしてアザミの花は勢いよくエクラの身体から抜けスルスルとミカの方まで戻ると、その勢いに負けてミカは後ろに転んでしまいそうになる。


 エクラは体に穴が開き、そこから大量の血を流し地面に叩きつけられる様に倒れる。

しかしエクラは必死に立ち上がり、血を流しながらもふらふらと歩き出し、それでも痛みに耐えられず苦しくなると壁沿いに歩き出す。

そしてゆっくりと、しかし確実にミカの側から離れていく。


「最後に言うことは」

「ないよ。裏切者」

「最初から貴方と同じ意思がなかっただけだよ」

「さいてーだよ」

「まぁ、そうかもね…………」

「もう二度と会いたくない」

「私も」

「君はそこで、せいぜい苦しめばいいさ……自由も平和もない世界で、一生他人を虐げればいいさ……一生そこで悪い魔女をしていればいいさ」


 結果的にミカはエクラを見逃した。

しかしエクラの命というのは、もう長くはなかった。

横腹の辺りを手で押さえ、流れ出る血を塞き止めようとするが止まる気配は微塵もない。

横腹を抑えた手は真っ赤に染まり、ただでさえ赤いカーペットも更に赤く染まりはじめる。


 壁を伝いフラフラと歩き続け、朦朧とする意識を必死につなぎとめる。

例え、倒れてしまったとしてもガタガタと身体を震わせながら立ち上がり、また歩き出す。


「エクラ!」


宮殿の正面玄関近くにエクラがつくと、仕事を終えたメイド達がエクラの側へと駆け寄ってくる。


「どうしたの! その傷」

「まさか、ソフィアが」

「それはない……」

「じゃあ、あの魔女が!

「そんな!」

「魔女なんて最初から頼るべきじゃかったんだよ!」


そこにはたくさんのメイドや武器を持った男たちが集まっており、貴族の死体が無造作に転がっていた。


「だれか! エクラに手当てを!」


 ソフィアを殺せなかった。

革命は失敗した、その話はすぐに伝播する。

エクラにはもう話す力はなく、まともな応急処置ができる人間などここにはおらず、エクラは床に寝て、ただ天井を見上げるしかなかった。

ミカには手を出すな、そう言うことも叶わなかった。


 メイド達のほとんどはエクラを傷つけられた事に怒り、自らソフィア討伐隊に志願する。

男達はもちろん全員がソフィアの討伐隊に組み込まれ、彼らは必ず今晩中にソフィアを殺すと大声で誓う。

数名だけ残った男女は玄関で寝ているエクラの面倒を見たり、隠れているかもしれない貴族やメイドを殺しに向かう。


「ソフィアを絶対に殺す! 絶対に彼女を許してはならない!」


そして、彼らは口々にそう叫ぶ。


「裏切者の魔女を許すな!」


 討伐対象にはもちろんミカも組み込まれる。

彼女が本来ソフィアを殺すはずだった。

しかしエクラの推薦を受け就任したその仕事を放棄し、まさか裏切るなんて許せないと、そう思う反面彼らは切り札になるような強力な武器を隠し持っていた。

魔女を受け入れよう、平等を実現しようなどと言っておきながら、結局本心ではミカの様な魔女を怖がって、無意識に一線を引いている。

だから、ミカに秘密を造った。


 そして彼らはまた、平和や平等、愛や正義を謳いだす。

それが彼らの建前であり、それこそが彼らの信条だ。

彼らはほんとうに心から、ソフィアを殺せばこの国が変わるきっかけになると、そして平和や平等が訪れるのだと信じている。


 だから彼らはどこまでも残酷になれる。

当初予定になかった貴族の殺害を平気で行う、それどころか貴族の屋敷を燃やしそこにいる女子供も皆殺しにする。

どころか同じ苦しみを与えてやると、中には貴族やこの計画に賛同しなかったメイドを捉え勝手に拷問の真似事を始める人までいた。


 血で染まった武器を持ち、持て余した強力な未知の銃という武器を隠す。

そうして集まった人間は数でいうなら、千はいなくても数百はいる。

彼らの平和と平等、愛と正義を謳う大合唱は宮殿中に響き渡る。



 四つの死体を廊下に残したまま、ミカは部屋の扉を叩く。

中にいたソフィアは震えた声で返事をする。


「いいですよ……」


一応、入室許可を出す。

それを得てミカは部屋に入る。


「ただいま戻りました。ソフィア様」

「おかりなさい…………ミカ、さん」


 汚れ一つなかったメイド服は血で染まり、黒狐の仮面も赤くなる。

ミカはその仮面を外し胸の辺りに置くと、ソフィアに対し丁寧に頭を下げる。

部屋の扉が閉まると、ソフィアはミカの方へと駆け寄ってくる。


「お怪我は」

「今のところは」


二度死んだことは、ソフィアには隠す。


「その血は?」

「あぁ、返り血です。それと、外はみない方がいいと思います」

「……強いのね」

「理不尽なんですよ」


 ソフィアはミカの腰辺りに抱き着いて、ずっとミカの事を見上げて話す。

ミカは不安げな揺れる瞳で見つめてくるソフィアの頭を軽く撫でて、安心してもらおうとする。


「以外と冷静なんですね。ソフィア様」

「不安な気持ちはたくさんあります。ほんとうは今にも泣きだしてしまいたいし、とても怖いです……でも、わたくしが泣いてしまったら、ミカさんを困らせてしまうでしょう? だから、わたくしはぐっと我慢するんです。泣くのはまた後です……あとで、たくさん泣くので……それは、受け止めてくださると、とても嬉しいです」

「……わかりました」


 そう言いながら、ソフィアは必死に涙を抑え込む。

恐怖や不安を耐え忍び、平気な顔をしようとするが、平気な訳がないとそんなことはミカにバレている。


「……ミカさん。わたくし、その。色々聞いてしまって」

「あぁ、そうですよね。ドア一枚挟んで向こうであんな話をしていたら聞こえますよね」

「だから、聞きたいことがたーくさんあるんです。でも、今じゃないですよね」

「そうですね。今は遠慮してもらえるとありがたいです」

「それなら、また帰って。お茶を飲みながらにしましょう」

「えぇ、そうですね」

「でも、一つだけ」

「ん?」

「一つだけ、言っておきたいことがあるんです! これだけは絶対に伝えなければいけないんです!」


 そう言うと、ソフィアは床にぺたんと座る。

そして床をポンポンと叩き、ミカを床に座らせようとする。

ミカはすぐに意図をくみ取り、正座をする。


「……生きている意味がないだなんて、そんな寂しいことは言わないでください」


 ミカはソフィアの言葉に沈黙を返す。

しかしそれでも、ソフィアは言葉を続ける。


「生きている意味がない人なんていないんです。わたくし言ったでしょう? 人は幸せになるために、そして愛される為に産まれてくるんです」

「……その縁の中に、私がいると?」

「えぇ、もちろん!」

「そうですか」

「そうなのよ。お母さまでもお父様でも、ご兄弟、ご姉妹。お爺様やお婆様、愛する方でもご友人、たくさんの人に愛される為に人は産まれくるんです。そして、そうして産まれてくる人は幸せになるんです、必ず」

「必ず?」

「えぇ、そうです! 必ず幸せになるんです!」


 ソフィアはまた、楪セレネと同じことを言う。

人は愛される為に、幸せになる為に産まれてきたんだと、そんな甘い蜜にどっぷりと浸った言葉を吐く。

理想ばかりが高尚で、まったく現実にそぐわないその言葉をセレネと同じ様にソフィアは吐く。

ミカの心が刺激される、化けの皮が創られていく。

人が人でなくなって、これがミカが一線を易々と超えられるキッカケになっていく。

この世界でのミカの存在理由が形成されていく、それこそシャルロットに遠慮することのない存在理由が、ミカの中で産まれていく。

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