第30話【面影】


 私には一人、大切な友達がいた。

ゆずりはセレネという可愛らしい名前をもった、たった一人の友人がいた。


「人はね。誰かに愛される為に産まれてきたと思うんです」

「……なに、急に」


 冷たい雪が傘に積もる。

歩道橋の上で立ち止まって、通り過ぎていく車の群れと二人を囲む街の明るさに目が眩みそうになる。


「もっと言うなら、そして幸せになる為に産まれて、生きていると思うんです」

「また自分の好きな本からの引用?」

「違う。これはわたしの告白」

「……何、急に」

「えぇと、それで色々な愛され方が、この世の中にはあると思います。家族愛、友愛、性愛……とにかく色々あると思います。わたしはその縁の中に、ミカもいてほしいなって思っているんです」

「私が?」


 私の側にずっといてくれた大切な友達。

私があの世界に残した、唯一の寂しく思う心残り。


「ふふっ。でも、その反応を見る限り、きっとミカは自分が愛されてるなんて思いもしないんでしょうね」


私の人生を満たしてくれた。

殺し、殺されるまで、あの日常にぽっかりいた虚を全て君が満たしてくれていた。

君が必死に満たそうとしてくれた。


「だから……代わりにわたしが伝えます。ちゃんと」


 母親の代わりでもあって、姉の代わりでもあって、妹の代わりでもあって。

そしてたった一人の、変わることのない友人、それが楪セレネだった。


 君がいたから私は狂気的な世界で冷静を保っていられた。

だから私は冷静を保って、復讐心を持って、そして最後までちゃんと殺すことができた。


「ミカ。わたしは貴方を愛してる…………」


でも、やっぱり最後にもう一度君に会いたかったな。


「いい? ちゃんと覚えていてね。それだけはこの世界で変わらない、唯一の真実なんですから」


 あの時と似た言葉をソフィアは冷たい声で吐く。


「人は……幸せになる為に産まれてきたんです。愛される為に、産まれてきたんです」


セレネの優しかった声色と、どこか歪んだ必死な笑顔。

優しくて、温かい、私に与えられた唯一の日常。

その象徴だった、セレネとソフィアが重ねて見える。


「もし、わたくしのせいで幸せになれないのなら。この首一つで幸せになれるのなら、みんなが愛し愛される様な……そんな世界に変わるなら、わたくしはそれで…………それで構わないんです」


振るえる手を握りしめて、精いっぱい笑って見せる。

それでも耐え切れない苦しみと、恐怖に負けて、ソフィアの表情はコロコロと変わる。


「わたくしは知らなかったんです。この国に住むみんながここまでこの国に不平不満を抱いていることを、そしてわたくしにはそれを知る術がなかった……無理無力なお姫様です。もう、これ以上生きる理由なんてきっとないんです……ですから、彼らに未来を託せば……きっと……きっと……」


不安や恐怖を噛み殺してそうして見上げたミカの顔は、その目は、ソフィアが今まで見たことのないほどの輝きと驚きで満ち、そして小さな涙が今にも零れだしそうだった。


「ミカ……さん?」


 面影を重ねて、言葉を重ねて、声を思い出して、記憶が巡りだす。

忘れていたわけじゃない、なるべく考えないようにしていた。

思い出したら、寂しくなることを知っているから。

二度と帰りたくないとさえ思うあの世界に、もし帰れるなら帰りたいと想う唯一の心残りだから。


「あぁ、うん…………なんでもない」


 右手の手首辺りで軽く二度ほど頭の側面を叩き、首を振るとミカは記憶を振るい落す。


「死ぬ気なんだ、ソフィアは」

「えぇ、それでこの国に幸せが訪れるなら」


ミカは立ち上がって、ソフィアの側による。


「断言する。それは絶対にない」


そして不安そうに震えるソフィアの手を握り、その手が温かくて笑ってしまう。


「ソフィアが死んでも……きっと、貴方のお兄さん達が死んでもこの国は変わらない」


 面影は重なった。

そのせいもあってか、ミカの言葉は軽くなる。


「お父さんなら…………別かもしれないけど、そうなるともうこの国はなくなるでしょうね」


 ここにいるのは楪セレネではない。

ソフィア・シュロリエという一国のお姫様で、話の規模だって一個人の人生の話ではなく、数万、数十万、数千万、という人間の、そしてそこから続く未来の子供たちの話だ。

こんな十歳に満たない子供が背負うべきものじゃないし、考えらられるものじゃない。

綺麗事や思い出話でどうにかなるわけでもない。


 「結局誰に託しても、未来なんて分からないんですよ。どんな聡明な人間に託しても悪くなるかもしれないし、どんな愚鈍な人間に任せたとしても、いい結果になることもあるかもしれない。だから私は、託すんじゃなくて、自分で決めて進んでいくのがいいと思ってる。そうれば全部、自分のせいだから」

「でも……わたくしは……何もできないの……だから、それなら!」


 ミカはソフィアの首筋をそっと撫でる。

ミカの手は冷たく、その指で撫でられたソフィアは、ミカの鋭い目つきも相まって少し怖くなり、鳥肌が立つ。


 ミカは重なった面影に全てを賭ける。

なにより、この一件に加担する理由を無理矢理つくるなら、もうこれしかなかった。

昔の友人に似ていたお姫様を助けたくなった、それは真っ当な理由だろう。

それを害するものを殺すというのは許されることだろう、きっと、いや絶対に、そうでないと困る。


「…………私は怒ってるんですよ」


 なによりミカは怒っていた。

こんな小さな子供に責任を押し付けてる奴らにも、こんな小さな子供を殺したらどうにかなると思っている大人達にも、そして何よりもその寄せ集めみたいな過去の自分自身にも、過去の自分に似たエクラにも、その全てに苛立って、怒りを覚える。


 長い髪に指を絡めかき乱す。

怒りを必死に抑えながら、苛立ちを露わにする。

ソフィアの為に、そしてその奥に感じたセレネの為に私は今日人を殺す。

そう、ミカは決め覚悟する。

これから自分自身に降りかかる痛みや死を、事前に予想し許容する。


「全部に……全部に、怒ってるんですよ。私はなにもかもに」


 立ち上がったミカはシャルロットよりも軽々とその体を使う。

普段は体中を元気に駆け巡って、痛みを与えてくるだけだった魂達が、ミカの考えに従って「わたしが! わたしが!」と、より強い痛みを伴いながらミカに自分を使えと主張する。


 自分自身の苛立ちの為に、自分自身の過去の為に、自分自身の過ちの為に、自分自身の怒りの為に、全ては自分自身の為に――――。

そして、セレネと重なった君の為に――――。


「私は私は暴力を振るいます。人を殺します。未来を奪うんじゃない、未来を創るんです。こうしたことが正しかったと…………貴方はその正当な理由を私にください、くれないなら私が勝手にそれを見出します」


 そうやって主張した魂の中から最適なものをミカは選び、魂を成形する。

あるいは、その魂の本質を引き出す。

そうしてミカの手には、短刀が一本現れ、それをソフィアに握らせる。


「それに、同じ暴力なら貴方の為に振るいたいと、私は今そう決めました。だから戦いましょう。暴力を振るいましょう、人を殺しましょう」

「わたくしは嫌よ! みんな……みんなわたくしになんの期待もしていないわ。お父様だってお兄様達だって! わたくしが幸せになってほしいと思っていたみんな……わたくしのことを、必要していないじゃない!」

「そうかもしれませんね」

「なら!」

「じゃあ、私が勝手に期待しておきます。応えなくても別にいいです」


 ミカはソフィアと視線を合わせる為に、床に膝をついて座るとソフィアの両手をしっかり握る。


「私が勝手に期待して、それを邪魔する彼らを嫌って、貴方を守らなければとただのメイドなのに勘違いしてしまって、暴走してしまった。そういうことにしておいてください」


 ミカはもう一度立ち上がり、体を巡る魂に問いかける。

趣向を凝らしてみよう、昔お祭りの屋台なんかで見かけた狐のお面を思い出してそれを真似てみよう。

そこに少し、ソフィアの憧れも足して。


「それじゃあ、行ってきます。ソフィア様はこちらでお待ちください」

「まって! このナイフは?」

「自決用です。私を待つよりも自分の首を切る方が賢明だと思うなら、そうしてください」

「そんな……」

「でも、一つだけ言っておきます」


 ミカが次に生み出したのは、全面が黒く目元と耳の中だけが赤く彩られた狐のお面。

それは、ソフィアが語った黒騎士様のちんけな真似事。

しかしそれをつけることで、ソフィアを安心させることができるのなら、ソフィアが少しでも信用してくれるなら、とそれを顔につける。

そしてメイド服のポケットから取り出した、小さく折りたたまれた黒いローブを羽織りフードを被る。

こんなカッコつけをしている自分が、ほんの少しだけ恥ずかしい。


「私は絶対に死にません」

「なんの根拠があって……」

「実体験ですよ。それも一度死んで蘇ったという、中々得られない体験です。だから信じて……というのは、少し無理がありますね」


 顔を隠したが服はメイド服、フードで隠したところで真っ黒の髪が見え隠れする。

そのせいで、誰が見てもミカだと分かるだろう。

それでもいい、この仮面はソフィアの為の、そして自分の為の境界線だ。

ソフィアの為に戦う黒騎士様を演出するための黒狐の仮面。

ソフィアの夢や憧れを実現する為の黒狐の仮面。

そして、有栖川ミカではなく、あくまでもシャルロットの身体を借りて生きている、通称ミカと飛ばれる人物が行った、他人の殺人であると、自分に言い聞かせる為の黒狐の仮面、あるいは「狐につままれた」と言い訳をつくる為の黒狐の仮面。

その為だけの、黒狐の仮面だ。


「それじゃあ。また後で」


 わたくしが今目の前にいる彼女を怖がるのは、きっとなにも間違っていない。

ニヤリと悪い笑みを浮かべ、黒い狐のお面でそれを隠した貴方は、普段わたしくの側にいて、わたくしの話をただ黙って聞いて、淡々と仕事をこなしてくれる貴方ではない別の誰かの様だった。

あるいは今ここにいる貴方が、普段隠して見せない様にしているほんとうの貴方なのかもしれない。

わたしくは、貴方が秘めたナニカに触れた。

刺激いなくていい感情を、おそらく刺激してしまったのかもしれない。


「…………信じますから、その言葉」


 その言葉に返事を返すことなく、軽く手を振って部屋から出ていったミカをソフィアはただ信じて待つ。

自決用にと渡されたナイフを床に置いて、先の未来を考える。

ミカが選んでくれた自分を、信じきれなくたって、自身がなくなって、信じて、ただ帰りを待つ。

帰ってきたら、どんな話をしよう。

その前に、この国についてもっと知るために街へ出たい。

知らないことを知っていきたい、その為の努力をもう惜しまない。

自分にできることならなんだってすると、そう覚悟を決める。

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