第29話【重ねる想い】
死に際に叫ぶ貴族たちの声に耳を貸すこともなく、ミカは宮殿の中へと戻る。
宮殿の玄関に向かっていた時とは違い、焦る呼吸とは正反対で、落ち着いた小さな足取りでソフィアの部屋をミカは目指す。
道中、ミカは何度もシャルロットに呼びかける。
右手で拳を作り、心臓の辺りを強く叩きながら、何度も何度も問いかける。
「ねぇ、どうするの。これからさ、どうしたらいい」
何度目かの問いかけで、ようやくシャルロットは恐る恐る声を出した。
「わかんないよ。わたしには……どうしたらいいのかなんて」
「誰の味方でいたいの」
「わかんないよ…………」
「誰の敵になりたいの」
「わかんないって……だから」
「じゃあ、私はどうしたらいい」
「知らないよ! そんなの!」
あの騒ぎが嘘なのではと思うほどに、月は美しく月明りは眩しい。
暗い廊下にはコツコツと、ミカの足音だけが響く。
シャルロットの声はミカにしか届かない。
「…………なんなの貴方は」
「八つ当たり?」
「いつもわたしのことを最優先に考えようとして、だけどもうその身体は貴方のものじゃない…………顔だって、生きてる時間だって、全部わたしのものじゃない……貴方のものじゃない! わたしなんてどこにもいないじゃない!」
「だから、貴方に返そうって」
「いらないよ! そんな身体! いらないよ…………そんな痛いことだらけの身体」
これがシャルロットが身体に宿した魔女の才華なのだろう。
日常的に感じる耐え難い痛み苦痛、それが常に体中を駆け巡る。
その痛みは日に日に増していき、いっそ殺してくれと叫びたくなってしまうシャルロットの気持ちも分からなくもない。
「わたしだって、わたしの人生を生きていたかった……なんの痛みもない、当たり前の、普通の人生を…………わたしがほしかったのはそれだけなんです…………でも、それは叶わない」
当たり前と普通。
そんな手を伸ばしても届かない理想を、シャルロットは抱え涙を流す。
「わたしの中には生まれつき貴方がいた。小さい頃からわたしが二人いて、一人はわたしじゃなかった……立って歩けるようになった頃には、未熟な二本脚じゃ支えられないほどの痛みが身体中に痛みが走っていた……髪も黒くて、そのせいでずっと嫌われて……孤児院でも嫌われて、唯一出来た友達も……殺されて、わたしも殺されて……そんなわたしが苦痛としか感じなかったことを、貴方は当たり前みたいに受け入れて、いつかわたしに身体を返そうって、そうやって。わたしのことを苦しめて……」
「苦しめてなんてないよ。ただいらないだけ、ただ返したいだけ」
「貴方の人生にすればいいじゃない!」
シャルロットの中に湧く怒りは、ミカの中にもドクドクと流れ伝わってくる。
怒りだけじゃない、不安も悲しみも、嫉妬も復讐心も全てがミカの中にドクドクと流れ込んでくる。
「その痛みをなんとも思わないなら、なんの感情もわかないなら! 貴方のものにすればいいじゃない! わたしのことなんて忘れてさ!」
「……そう、できたらよかったんだけどね。これが私の第二の人生なんだって割り切れたら、そりゃあ私も楽だろうね」
でも、そう割り切れない。
ミカにとって、この世界で生きる意味がない。
第二の人生として受け入れたい様なことも特別ない。
「貴方が決めてよ」
だから、シャルロットに決めさせる。
これはシャルロットの人生で、これはシャルロットが決めた目的や目標で、だけどそれはシャルロットには荷が重かった。
だから代わりにミカが背負う。
それくらいでないとミカは生きていけない。
ミカにはもう次の目標を決めて生きていく気力なんてないし、第二の人生を謳歌する余裕なんて、もうミカにはない。
きっとあの日、ミカは人間ではなくなってしまった。
家族を奪われ、復讐を誓い、偽りの家族に偽りの家族愛を植え付けられ。
そして自らの意思で、自らの手で人を殺してしまったあの日から、ミカはきっと人間ではなくなってしまった。
それと同時に、どうしようもなく無気力で無関心になってしまった。
「…………ソフィアを殺す? 一応、
「……そうだね」
「王族は、貴方の平和を奪った。違う?」
「それを言うなら貴方もでしょ」
「じゃあ、ソフィアを殺して、私も首を切って、貴方に体を返そうか」
「だから!」
「はいはい、いいよ。分かったから」
結局、お互いがこの人生における全てのことを決めかねて、お互いにこの人生を押し付け合っていた。
もういっそ死んでしまえた方が楽だったろうに、それすらできず思い悩んで苦しむ。
お互いがお互いに決定権を譲り合って、お互いがお互いに意思をはっきりと表明しない。
「……確かに王族の人は嫌いだし、殺せるなら、殺したい。だって、わたしの日常を壊したモノの一つだから」
ソフィアが一人で怯える部屋、その前に来ると扉からは離れて壁に背をつけシャルロットの言葉をミカは聞く。
「じゃあ、殺す?」
「でもっ!」
シャルロットはミカと通して、ミカと同じ景色を見て、ミカと同じ様にソフィアの言葉を聞いていた。
「……お母さんに会えないのは、寂しいと……思うから……でも」
たった一つの同情が、シャルロットの中にあった王族に対する怨みと並んで悩ませる。
元よりシャルロットは王族を怨んでいなかったのかもしれない、それ以上に孤児院を襲ったあの貴族や兵士達の事を怨んでいただけだったのかもしれない。
怨みきれない、気持ちに整理がつかない、どうしていくべきか、するべきなのか、シャルロットには何も決められない。
決めることすらできないほどに、心は疲弊しきっていた。
「わかんないよ……わたしにはなにも」
大切な人が死んで、辛く苦しくなってとじこもってしまう人の気持ちが分からない訳ではない。
気持ちの整理がつかないのも、これからどうしていけばいいのか悩むのも、それにすぐに答えが出ないことも、ミカは知っている。
だからあの時、おとなしく死ねたらよかったのに、なんてことを思ってしまう。
「そう…………時間がない、また後で」
もう少し時間が必要なら、その時間を造る役割がミカにあるのかもしれない。
どちらにせよ、このままずっとシャルロット任せではいられない。
けれどミカにはこの世界でやりたいことなんて一つもない、だからここから先の全ては他人の為の惰性だ。
「殺す……か」
結局何も結論がでないまま、答を見つけられないまま、限られた時間は終わりを迎える。
ついに宮殿の中が騒がしくなりはじめたのを感じて、ミカは急いで扉へと近づきドアノブを回す。
そして部屋にゆっくりと足を踏み入れると、そこには大粒の涙を流し床にぺたんと座ったままのソフィアの姿があった。
「みっ、ミカさん! 外で何が!」
ミカは急いで扉を閉めると、扉の前にたって指を立てて自分の口元へ持っていき、静かにするようにソフィアに仕草で指示する。
「んっ……」
それを見て、慌ててソフィアは両手で口をふさぎ、出かけていた言葉を塞き止める。
内側からドアにカギをかける方法などなく、誰もこないことを祈ってミカは扉から離れ床にぺたんと座るソフィアに近づき、近くにあった椅子に座りソフィアを見下ろす。
「……ミカさん」
いつにも増してソフィアは不安そうな顔でミカのことを見上げる。
心の中に溜まった不安や恐怖を掻き消したくて、安心して大丈夫だって思いたくて、だからソフィアは言葉を口にする。
「わたくしはやっぱり…………嫌われていたのでしょうか」
ゆっくりと、今心の中にある不安を吐き出していく。
「よく耳にしていた噂話は…………紛れもない真実で、だからわたくしは…………」
こんな言葉を、吐きたくはない。
こんな弱音を、吐きたくはない。
こんな不安を、吐きたくはない。
「殺されて…………しまうのでしょうか」
言葉は震え、ぽろぽろと零れ落ちていく。
涙はゆっくりと、ソフィアの輪郭をなぞって落ちていく。
この世界は知らないことで満ちている。
知れないこと、知ることが許されていないことで満ちている。
それでも、完全に全ての事情情報からソフィアを遠ざけることなんてできる訳がなく、メイド達のちょっとした小言でソフィアは世界を知っていく。
嫌われていた、嫌われて疎まれていて、嫌われて疎まれて、ずっと嫌な顔をされ続ける。
この国が楽園だってそう、教えられていた。
けれど、みんなにとってここが楽園じゃないなら、幸せになることができない場所なら、それを変えたいと思った。
本に出合って、人に出会って、それでも何も変わらなくて、やっと出会った黒髪の君となら、そう思ったのに。
「……わっ、わたくしの」
目が怖い、目だけじゃない雰囲気が、今目の前にいるミカさん自身が、全てが、ミカという全てがそう、怖くて怖くてたまらない。
わたくしのことを殺してしまいそうなほど、怖い。
けれど。
「わたくしの首一つで……わたくしの夢は……この国が幸せで、笑顔で満ちた楽園になるのなら……それはきっと、いいことですよね」
こんな小さい子を殺すのは正直気が引ける。
なんの罪もない、と思うこんな小さい子を殺すのは正直、嫌だ。
確かに殺した、確かに私は人を、小さな子供さえも殺した。
でもあいつらには産まれてきたという罪があった、そう仮定して、断定して、屁理屈をこねて殺した。
だけど、正直ソフィアに対して殺意を向けることができない。
せめてシャルロットの中に明確な怒りや復讐心があればよかったものの、それすらもないのなら、ほんとうにこの子を殺す理由がない。
けれど、それと同じくらいエクラに味方する理由もない。
もっと正直になっていいのなら、この一件に加担する理由が何一つとしてない。
勝手にしろ、それがミカの中でたった今ついた結論だった。
「――――――人は、幸せになる為に産まれてきたんです」
まるで遺言を吐くかの様に冷たい声でソフィアは語る。
言い残したことを吐き切って、ミカに伝えたいことを伝えて、後腐れなく死のうと、ソフィアは決める。
しかし身体は震え、怯え、恐怖する。
それを落ち着かせる為に何度も息を吸って、吐いて、言葉をゆっくりと零していく。
「そして誰かに愛される為に産まれてきたんです」
ミカはそっぽを向いて、意識がふわふわと浮いてソフィアの言葉もどこか上の空だった。
そんな意識は、たった一言、その言葉一つで、この世界に引き戻される。
「え」
それは、彼女の言葉と同じだった。
あの日ミカにかけられた、ミカを人間でいさせる為の、最後の言葉と同じ言葉だった。
ソフィアは同じことを吐く、虚ろな目で怯えながら、ミカに殺されてしまうことを心のどこかで受け入れて。
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