第27話【恋花】


 翌日、ソフィアは予定通り乗馬の練習をする。

城の裏には開けた空き地があり、そこでソフィアは馬を走らせる。

集まった貴族たちはそれを見て、手を叩いてすごいすごいとソフィアを称える。

その拍手に馬が怖がって、時々ソフィアの言うことをきかなくなる。

それでも、ソフィアは一度として馬から落ちることはなかった。


 午前の時間はそうして過ぎ去っていった。

貴族たちの拍手やおべっかを聞きすぎて耳が痛くなったのか、普段は寂しく感じていたあの大広間での食事をソフィアは少し心地よく感じてしまう。


「疲れましたわ。朝からあんな大勢の人に囲まれて、お馬さんもすごく怖がっていました。わたくしも……怖かったです。今にも落ちてしまいそうで」


テーブルの上には食後のデザートとして、アイスクリームとコーヒーが置かれていた。

相変わらず、そのコーヒーをソフィアが飲むことはできず、ミカがそれを飲む。


「午後はどうしますか? 平和的に花を愛でても、貴族の方々に囲まれることは間違いないでしょうね」

「はぁ……これがずっとなんです。ずっと、わたくしが何かするたびにすごいすごいと言って、わたくしを囲んで、言われる方も疲れるんです。ただ側にいるメイドさんが変わらないことだけが、唯一の安らぎです」


 昨日の晩御飯と似た様な魚料理を食べ終え、アイスクリームとコーヒーカップが空になると、ソフィアの午後が始まる。

といっても、乗馬は疲れたので読書か花を眺めるか、それともまた別の疲れることをしようか。


 ソフィアが選んだのは、ミカとの和やかな散歩だった。

街に出ることはできないが、宮殿の中や宮殿にある庭を歩くことならできる。

それくらいの散歩でも、ソフィアにとっては十分だった。

なお、植物や生物に詳しい貴族やその息子たちの丁寧な解説は丁重にお断りした。


 宮殿の周りというのは普段ソフィアがいる城とあまり変わりがなく、深い森に囲まれたとても広い庭園には様々な花が咲き誇る。

噴水や綺麗に刈り込まれ造られたトピアリーと、それぞれの場所に華麗に咲く花々。

城の庭園と違うことと言えば、その庭園から海が見え、更には庭園に置かれた白いガゼボと呼ばれる、小さなドーム状の展望所が置かれてあることだ。


 赤というよりもピンクを中心に彩られた花々を、ソフィアは屈んで眺める。

ミカは立ったまま、そんなソフィアの姿をじっと見つめる。


「ねぇ、ミカさん。綺麗でしょう?」

「ええ、綺麗ですね」

「まるで午前の騒がしさが嘘の様です」

「ここまでついてこようとしてた貴族の人、結構いましたけどね」

「植物に詳しい方、動物に詳しい方、色々な方がいますからね……あわよくば結婚相手に、なんてことでしょうね。あぁやだやだ」

「そういうことを考える相手はいないんですか?」

「いないわよ。そんな結婚相手なんて……きっと、お父様が良い人を連れてきてくれるわよ。わたくしはただそれを待つだけ」

「そうですか……そっか、そうなんですね」

「うん! それで? ミカさんは?」

「え?」

「いないんですか? 好きな人」

「あぁ……なんの迷いもなく恋バナを始めた私が言うのもどうかと思いますが。いませんね、そういう相手」

「ミカさんカッコいいのに」

「カッコいい……ですかね? まぁ、よく分かりませんけど、とにかくいませんでしたね。そういう相手は」

「じゃあ、見つかったら紹介してくださいね? ミカさんが選んだ方がどんな方なのか、気になります」

「まぁ、機会があれば?」

「ええ、楽しみにしています」


 なんて年相応の可愛らしい会話を楽しみながら花を愛でる。

広い庭園を、ソフィアはゆっくりと自分のペースで歩き、気になった花やミカに見せたい花があると立ち止まって、楽し気に話をする。

ソフィアにとっては何度も訪れた庭園、だけどミカがいるだけで楽しみが何倍にも膨れ上がる。


 ソフィアの人生は確かに様々な色で満ちていた。

華やかな城や宮殿、そこに咲く花々。

色とりどりの服や装飾品。

豪勢な食事と、わかがままを言えばどこからでも出てくる知らないお菓子。

街に出られなくても、たくさんの国や街が側にある。

確かにソフィアの人生は色鮮やかだった。


 けれど、その世界は日に日に色を失っていた。

全てが見慣れたものに変わって、全てから色が抜け落ちた。

それでもまだ知らないだけで、外にはきっと素敵な世界が広がっているんだと、幸せが広がっているんだと、ソフィアは思っていた。

けれど、メイド達からあまりよくない噂をよく耳にするようになって、外には幸せが広がり続けている、なんてことも嘘なのかもしれないと思いはじめて、世界から色が抜け落ちる。

だからこそ、ソフィアはあの黒騎士様の物語に出てきた「ある言葉」が、胸に残り続ける。


 少し歩き疲れて、ソフィアは庭園にあった白いガゼボの中にある椅子に座る。

ミカはソフィアの要望を聞いて、お茶とクッキーなどのお菓子を貰いに少し急ぎ足で宮殿の中へ戻る。


 しばらくすると、キッチンワゴンにティーセットと三種類クッキーがのせられたお皿を乗せてミカがソフィアの元へ帰ってくる。

ソフィアの要望通り、ぶどうジュースが用意され、ミカは少しわがままを言ってコーヒーを用意してもらった。


「ここから見る海は綺麗でしょう」


 ガゼボの中は風通しがとても良く、景色もよく見渡せる。


「ここから見る景色は……そうですね。心が安らぎます」

「たくさんの宮殿で過ごしてきたけれど、ここの景色は特にお気に入りよ。ミカさんを連れてこられてよかったわ」


テーブルの上に並んだクッキーを食べながら、しばらく二人は黙って、目の前にあるキラキラとした海を眺め続けた。


 そんな最中、ソフィアは一つ胸の内に秘めていた不安を吐露しはじめる。


「……わたくしは、嫌われているのでしょうか」


ぶどうジュースが注がれたティーカップというのは、すこし不思議な気分だった。

それを眺めながら、ソフィアは不安げな顔をして質問をすると、ミカの顔を見て不安を和らげようとする。


「そう……ですね」


安心させてほしかった。

けれど、ミカは。


「嫌われているのかもしれませんね」


分かりきっていた残酷な答えをソフィアに返す。


「よく、耳にするのよ。わたくしの事を悪く言う言葉が、聞こえてくるのよ」

「人に聞こえるところでよくもまぁ堂々と……元来悪口とはそういうものなんですかね」

「ミカさんも、聞いたのよね?」


その質問にミカは答えなかった。

自明だろう、ミカがわざわざ答えなくたってソフィアは答えを知っていた。


「ごめんなさい。バカなことを聞いたわね」


 何を考えているのか分からない。

それが、ソフィアがミカを見て感じる印象の一つだった。

確かに側にいてくれている、メイドとしての仕事も十分こなしてくれている。

よく話を聞いて、よく理解を示し、よく答えてくれる。

けれどそこにシャルロット・ミカヱル、ミカと呼び続けている少女の意思をあまり感じられない。

賛同はしてくれているのだろう、だけど。

明確な言葉にされた覚えがない、応援しているだとか、一緒に頑張ろうだとか、そんな言葉をミカの口からきいた覚えがない。

それがますますソフィアを不安にさせる。

それに加えて、メイド達が口々に言うソフィアやソフィアの兄や父親、つまりは国王。

この国の悪口のせいで、日に日に不安が積もっていく。


「不安になったんですか?」

「ええ、そうね。少し……」

「昨日は私のことをお母さんみたいだとか言っていたのに」

「ごめんなさい。ちょっと不安になっちゃったの、許して」


 そしてゆっくりと日は暮れていく。

空が黒く染まる前に、ソフィアとミカはまた宮殿の中へ入る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る