≪ ベルラ・メル宮殿襲撃事件 ≫

第26話【ぬくもり】


 ベルラ・メル宮殿は王都から遠く離れた場所。

宮殿は山の上にあり、宮殿の正面には港町そして広大な海やその上で泳ぐ船の姿がよく見える。

それゆえか、ソフィアに出された昼食には魚介類がよく並ぶ。

近くに大きな港もあるおかげで、他国の特産品や他国の景色を描いた絵画などが宮殿の中にはいくつかある。


 そんな特産品が宮殿の一室にはズラリと並び、気分はまるで期間限定の物産展。

しかしそんな特産品の中に、有栖川ミカが産まれ過ごした日本らしい物は見当たらなかった。


 ミカやソフィアが住むエルテネル、そしてその隣国があり、またその隣国へと大陸が続く限りの場所には大小様々な国や国に満たない様な集落などがあるらしい。

しかしそのほとんどが地図には記載されず、未だに正確な世界地図を描くことはどこの国にもできていないという。

そして、例え正確に地図を書けていたとしても、そもそもこの世界に日本や日本に似た様な国があるのかどうか、それすら怪しい。


「この中が、わたくしへのお土産ですって」

「これ全部がですか?」

「ええ、ここにあるものは全部わたくしのもの……らしいですけど、困りましたわねぇ、またお城の一室が埋まってしまいますわ」


 ここにある物は全てエルテネルとその国の友好の証。

らしいのだが、ソフィアにとってはほしくもない、というよりも興味もない様な物を大量にもらったとしても、扱いに困ってしまう。

食べ物なら、滞在中の食料にすれば良いが衣類や飾り物はどうしてもかさばってしまう。

そもそも宮殿に数日滞在するだけなのに、大量の土産物を貰うなんて大げさすぎる。


「せめて、みんなに配ったりできたらよかったのだけれど……そうもいかないのよね」


 結局、貰った物のほとんどを一日かけて馬車つめて王都にある城や別の宮殿へと送ってもらった。


 乗馬の練習、その為にソフィアはこのベルラ・メル宮殿へやってきた。

けれど、ソフィアいわくそんなことはきっと建前で、お父様、つまり国王がまたソフィアにわがままを言われない様に、ここへ行くよう命令したのだろうと、そんな風に言っていた。


「わたくし、大昔にわがままを言ってしまって」

「わがままですか?

「どうして王都すら自由に歩けないの! どうして自由に外へ出ることができないの! どうしてお城の中にずっといなきゃいけないの! ってお父様に直接言ったことがあるの。そしたら定期的にこうして宮殿に連れていかれる様になってしまったわ」


 正気、いくら他の馬車よりも高級で座り心地のいい椅子がついた馬車に乗っていても、数日かけての大移動はとても疲れる。

あげく宮殿についてはじめにすることと言えば、この辺りに住む貴族たち数百人の面会希望になるべく応え、その全員からのおべっかを聞いて、お土産を貰うこと、そしてお土産の整理。


「今までは行く先々にいるメイドさんと顔を合わせて、自己紹介をして、そのメイドさんにも気を使いなら過ごしていたから、もっと疲れていたのだけれど……」


 用意された広々とした部屋、そこにある大きなベッドに思いっきり飛びこんで寝転ぶと、ソフィアは手招きでミカを誘う。

ミカはその誘いにすぐに応えて、ベッドの上にそっと座る。


「でも、今はミカさんがいるおかげで、いつもよりも気が休まるわ」

「それはどうも……で、結局明日は馬に乗るんですか?」

「んーどうなんでしょう? きっと、乗りたいといえば乗らせてくれますが、何も言わなければ一日中ミカさんとこの部屋に居たって誰も文句を言うことはないと思うわ」

「じゃあ、一日中この部屋にいます?」

「んーそれまた明日考えましょう…………でも、今日は」


 ふかふかの枕に顔を沈めて、ふかふかの布団に体を沈める。

今にも眠ってしまいそうな疲れとふわふわもふもふに身を委ね、ゆっくりと目を瞑る。


「このまま眠ってしまいましょうか……」

「ダメですよ。珍しく温かいお湯に浸かれたり、晩御飯だって用意してもらっているんですから」

「むぅ、ミカさんのイジワル。ちょっとくらい休んだっていいじゃない」

「それじゃあ、少し休んだら食べますか?」

「そうするわ…………」

「では、そう伝えてきます」


 そう言ってミカが立ち上がると、ソフィアはミカのスカートの裾を優しく掴み、引き留めようとする。

ミカが振り返ると、そこには寂しそうな小さな目で見つめてくるソフィアの姿がった。


「……では、もう少しだけ」


ミカはその目、母親を求める様な小さなうるうるとした目に負けて、もう一度ベッドに腰掛ける。

そして、ゆっくりと眠ってしまったソフィアの頭を軽く撫でる。


 ソフィアは眠りなら、何度も母の名前や物語に出てきた黒騎士を呼ぶ。

よほどその話しが好きなのだろう。

一国の無知なお姫様という、自分自身を客観視した時に得られる評価と同じモノをもつヒロイン。

そこに現れた、異国からやってきたというカッコいい黒狐の騎士。

そして荒み荒れていた国がどんどんと良くなっていき、人々に幸福が降り注ぐ、その姿にソフィアは強い憧れをもつ。


 少なくとも、ミカが知る限りのこの世界はあのお話よりも酷い状態にあった。

度重なる拷問、見世物の様にされる処刑、無数に転がる死体、それを横目に荒んだ笑顔で暮らす人々。

貧富の差は激しく、それを解消するすべもない。

実際、シャルロットの行く先の未来は神官やシスターなどの神に仕える仕事かまともな給料が出るかどうか怪しい製造業や農業などの手伝いしかない。

それはシャルロットがある程度まともな孤児院にいるから保障されていた未来であって、まともなところでないのなら娼婦にされていたか、他国に適当な値段で売り渡されていただろう。


 そんな世界をソフィアは変えたいというが、シャルロットが見てきた様なこの世界の実情を全くと言っていいほど知らない。

どこかから見聞きした断片的な情報だけで、城や宮殿の外は酷い状態なのだろうと、推測することしかできない。


 もし、ソフィアが望むこの国の変化をソフィアでない第三者が行ったとして、それをソフィアは認め肯定するのだろうか。

あの黒騎士と姫が行った変化だって、知恵を使った平和的なものばかりではなかった。

他国との戦争だってしたし、貴族の処刑だって行った、市民の反乱だって暴力的な方法で鎮圧した。

それで確かに、その物語に登場する国は平和になり、その平和が長く続いたのだろう。

であれば、平和や平等を目指し邁進する市民集団の反乱を、そしてそれに加担する黒狐がいたとしても、ソフィアはそれを肯定し、この国の為ならと彼らにその細い首を渡すのだろうか。


  オレンジ色の夕焼け空がだんだんとキラキラと輝く夜空に変わり始めた頃、部屋のドアが二度叩かれる。

ミカが応えると、別のメイドが晩御飯とお風呂、どちらを先にするかとドア越しに聞いてきた。


「ソフィア様。起きてください」

「ん……」

「起きないなら、晩御飯もお風呂も、私がいただきますけど。それでいいんですか?」

「やだ……」

「じゃあ、起きてください」

「やだ……」

「それならせめて、どちらを先にするのか教えてください」

「おふろぉ……」

「分かりました。では、その様に」


 ソフィアはしばらくするとゆっくりと目を覚まし、ベッドから降りる。

服はそのまま、着替えの服やタオルなどを持ってソフィアはミカと一緒にお風呂場へと向かった。


 基本は水浴びのみで、温かいお湯に浸かれるのは一部の貴族や王族のみ。

お風呂に入れるというのは、この国ではとても贅沢なことだ。

なにせ大量の綺麗な水を溜めて、それをまた大量の薪を使って温めることなんて、そう簡単にできる訳がない。

それを、この宮殿では可能にしていた。


 必要ないほどに広い脱衣所で、ソフィアは服を脱ぎだす。

ミカは用意した着替えを適当な棚に置くと、ソフィアが脱いだ服を集めて別のカゴに入れる。


 その広い脱衣所には壁沿いに三段に分かれた棚が置かれ、あとは壁に貼り付けられた鏡と椅子だけ。

床は白い大理石で造られ、転んでしまうと大怪我をしてしまいそうだ。

余った空間はただの空白で何もない。

ただただ、だだっ広い。


「では、私はこちらで待っていますので。ごゆっくりどうぞ」

「ん? 一緒に入らないの?」

「入りませんよ。不届き者がいた場合、成敗する役目も私にはありますし」

「じゃあ……そうね。寂しいけど、一人で入るわ」

「寂しいなら話し相手にぐらいにはなりますから」


 少し拗ねながら、ソフィアは一人で浴室へと入っていく。

ミカは適当な椅子を脱衣所と浴室を区切る扉の前に置くと、その扉に背を向け椅子に座る。


 しばらくソフィアが何かを話すことはなく、ミカも黙って姿勢を正し、椅子に座っているだけだった。

そんな時間に先に耐えかねたのは、ソフィアの方だった。


「一人は寂しいわ。とても広いのに、一人っきりで……ベッドもそうですわ。とても大きいのに一人っきりで、どこにいってもそうです。ずっと一人っきりで、寂しいわ」

「……お母さんが恋しですか?」

「ぶふぉっ…………」


 重たい物が勢いよく水に沈んだ様な音がした。

それはおそらくソフィアだろう、ソフィアが勢いよくお湯の中に身体を沈めてしまったのだろう。

ミカはすぐにそう感じ、助けに行こうかと一度立ち上がったが、すぐに重たいものが水かが勢いよくあがってくる音がして、ミカはまた椅子に座り直す。


「なっ、なんでそういう話になるんです!? ちっ、違いますわよ‼別にお母さんが恋しいなんてこと…………」

「寝てるときにお母さんお母さんって、そう言っていたので、寂しいのかなと」

「呼んでないわよ! 別に!」

「……別に、恋しくてもいいと思いますけどね。寂しくても、当たり前だと思いますし」

「どうして、わたくしがお母様を恋しいと思っている前提なんですか! ミカさん!」


 そんなことを言いつつも、ソフィアの中には確かに母親を恋しいと思う気持ちがあった。


「寂しくない……と、言えば嘘になります。わたくしはお父様とはよく会いますが、お母様とは会うことは滅多にありません。産まれてすぐに引き放されて、それっきりなんです」


湯舟に深く体を沈めながら、ソフィアはゆっくりと言葉をこぼす。


「会いたいと言っても応えてはくれませんでした。お兄様達も、もう帰ってこなくなりました。出したお手紙にもお返事はありません…………寂しくないといえば、嘘になります」

「それなら、寂しくて当然ですね」

「ええ、ですから……縋りたかったんです。お母様やお兄様達の代わりにわたくしの心を埋めてくれるものに」

「それが、あのお話?」

「黒騎士様は、一人ぼっちのお姫様を生涯ささえた騎士様です。側に欲しいと憧れない訳がないでしょう?」


 お湯に浸かり続けると、だんだんと頭がくらくらしてくることを知ったのは、つい最近のこと、ソフィアはそうなってしまう前に湯舟から出て、これまた中々手に入らない石鹸を使い体を洗らうと、身体中についた泡を溜めたお湯で流す。


 そんな騒がしい音が聞こえると、ミカは棚に入れていた着替えやタオル類を手の届く分かりやすい場所に置いて、ソフィアがいつ浴室から出ても良い様に準備をする。


 どこからがメイドの仕事だろうかとミカは少し迷う。

流石に裸の身体の上から下まで全てをミカが拭くのは違う気がする、けれど身体を拭くことも仕事の一部だろうと思うと、どうするべきか少し迷う。


「ミカさん。タオルを」

「はい」


 浴室から出たソフィアはタオルを要求し、ミカは近くに置いてあったそれを手渡す。

とりあえずミカはソフィアがどこまでを自分でするのか、それを見てみることにした。


 身体の大体の部分を自分で拭き終わると、ミカが側に置いておいた下着を、ソフィアは自分から見付け、着替える。

しかしまだ身体は濡れており、髪だってほとんど渇いていない。

そんな中、ソフィアはミカが座っていた椅子に座り、ミカにバスタオルを渡す。


 後はミカの仕事なのだろうとミカはすぐに理解して、別の小さいタオルでまずはソフィアの脚や足の指についた細かな水滴をふき取る。

それが終ると、今度は大きなタオルでソフィアの濡れた髪を乾かす。

ドライヤーでもあればよかったのだが、そんな物はないので当然時間は掛かってしまう。


「こういうことを。メイドさんじゃなくて、お母様にしてほしかったと思ってしまうのは、わたくしのわがままでしょうか」


その質問に、ミカは何も答えることができなかった。


「…………温かくて、とても切ないです」


ソフィアは髪を拭くミカの手を優しく握り、細い腕に頬を近づける。


「私はお母さんの代わりですか?」

「……いえ、そうではありません……ミカさんはミカさんだと思います。でも、この温かさは……触れた記憶のない、お母様を思い出してしまいます」

「私に母は……少し、荷が重いですね。それも、お姫様の産みの親、なんて」

「もぅ、こんな時に……今とっても切ない雰囲気なのよ? そんな冗談を言って、茶化さないでくださります?」

「すみません、癖で」

「いいのよ。別に」


 お母様とはきっと違う。

けれど、ミカさんには温かさがあってそれに触れると切なくなってしまう。

これが母親の温かさでなかったとしても、きっとわたくしが求めていた人の熱。

心にぽっかり空いた空白を埋めてくれる、わたくしの目の前に現れた黒騎士様に似た様な人。

ずっとそばにいてくれたのなら、わたくしの人生はどれほどの色で満ちるのだろう。

彼女と見る、この国の未来はどれほど明るいものなのだろう。


 なんて夢を、理想を、心の内にソフィアは抱える。

それがもう、この国では叶うことのない夢や理想だとも知らずに、ソフィアの歩みを止める正義がすぐそこまで迫っていると、知るよしもなく、ソフィアは抱き胸に秘める。

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