第14話【わがままで生かされる】


 結局、ミカは今にも崩れそうなベッドと汚らしい布団で眠る生活をしばらく繰り返す。

当然安眠なんてできる訳がなく、少し眠っては起き、また眠っては起きを繰り返す最悪な日々が続く


 今が朝なのか夜なのかも分からない部屋にいるミカに朝を知らせる者などおらず、窓もなく、埃っぽく、時々見たこともない虫や馴染み深い虫ともよく出会う。

食事も満足にとれず、水すらまともに提供されない。

服を着替えることもなければ、水浴び一つさせてくれない。

排泄だけは、トイレを貸してほしいと扉の前にいる衛兵に言えば連れて行ってもらえる。

ここに人としての真っ当な権利など存在しないのだろうと、いっそそういう思想を広める活動家にでもなろうかと、そんな事すら頭に浮かぶ。


 気分はまるで大罪を犯した囚人。

しかしそう考えると、今のこの待遇は何も間違っていないのかもしれない。

けれど、不満を言いたくなる。


 せめてシャルロットが話し相手にでもなってくれたらいいのだが、残念なことにシャルロットは黙り込んで、引きこもって、呼びかけても出てくることはない。

ただ、一度だけで現れてここでの扱いが酷いことには賛同してくれた。


 そんなが生活を続け、推定で一週間ほど過ぎた頃、珍しく部屋に朝を知らせる兵士がやってくる。

ミカの感覚的に今は夜だったので、きっと推定一週間というのは大きな間違いなのだろう。


「朝だ! 起きろ!」


 ドアを数回力強く叩くと、そんな言葉をわざわざ大声で叫んだ。

そんなことをされなくなって、とっくに目は覚めていた。

これ以上この生活に不快感を追加してほしくないと、ミカは溜息をつく。


 朝ごはんとして用意されたのは、固いパンと生ぬるいコーンスープ。

いつもの固いパン一つに比べらたまだマシかと思いながら、死なない程度になるべく急いでそれらをかけこむと、ドアを叩き食器を片付ける様に兵士に頼む。


 そしてまた部屋のドアが耳が痛くなるほどに強く叩かれるまでの時間は、考え事でもしながら時間を潰す。

例えば、結局ここは誰の屋敷なのかということだ。

どんな物好き貴族がこんな監禁部屋を常時用意していたのか、あのドラニクスという人物の屋敷なのだろうか。

もしくはここは外見だけは立派な屋敷に見せた屋敷モドキのナニカで、こういう監禁部屋がいくつも並べられているだけの場所なのではないか、と色々考えるが答えはでない。


 お風呂に入れることが滅多にない世界とは言え、孤児院でも最低でも三日に一度は水浴びができた。

それにもし水浴びができなかったとしても、それで困るのはシャルロットであってミカではない。

だから今まではあまり気にならなかったが、流石にそろそろ汗や体にこびりついた血を流したい。

そんな思いを抱えながら、ずっとキュウキュウ鳴り続けるお腹の音にいい加減苛立ちを覚え、いっそ力強くでもここから抜け出してしまいたい様な、そんな気持ちになってきた頃。


「開けろ。ドラニスク・ベエールだ」

「はっ、はい!」


 扉の向こうでそんな簡単なやり取りが行われ、それを聞きながらミカはあくびをする。

そして厳重に警備されていた扉が開く。

ミカの意識は眠気と空腹感で半ば飛びかけていたが、彼が部屋に入ってくると自然と空気が張り詰めて、眠気もどこかにいってしまう。


「君の処遇が決まった」


彼はえらく立派な丸まった紙を広げ、大きく息を吸う。


「王女殿下が相当なわがままを言ってくれた。おかげで処刑ということにはならかった。が……そうだな、これは今君を知る者の総意であり、君が魔女であるかもしれないという疑いは依然として変わらない、それでも生かされることを喜び、王女殿下の温情に感謝しろ」


こういう時、どういう風に対応すべきか分からないミカはとりあえず立ち上がり、黙って話を聞き続ける。

そして感謝も忘れないように少し頭を下げて、生かされているということを忘れないように。


「シャルロット・ミカヱルは、ソフィア・シュロリエ王女殿下の寵愛によって、王女殿下の城にて、王女殿下の侍女じじょになるようにとの命が下された。これにより貴様は本日中にワーグロール城へ向かうことなる。異論はないな」

「ございません」

「よろしい。以上がソフィア・シュロリエ王女殿下のお言葉になる。出立の時間に迎えの兵がくるのでそれを待つように」

「分かりました」

「それでは、私はこれにて失礼する」


 必要なことだけを簡潔に伝え終わると、ドラニスクはそそくさと部屋から出ていった。

そしてまた部屋にカギがかけられ、空虚な時間が続くことになる。

その時間でミカはまた考える。

ソフィアはいったいどこまで話を聞いているのだろう、そして魔女の話をどこまで知って、魔女と疑われた人間がどうなっているのか、それをどこまで知っているのだろうか、と。

馬車の中話した限りじゃ何も知らない様にも思えたが、しかし今日の判断を聞く限り知っていることが多少はある様に感じた。

それもまた、ソフィアの「直感」という奴なのだろうか。


「さすが王女様って感じの才能なのかな」


 またしばらくすると、部屋の扉が開けられ着替えが用意される。

流石にボロ布一枚で王女様のところへ行かせる訳にはいかないだろうと、そう判断したのだろう。

そうして用意された服は白一色のワンピース、腰のあたりで黒いベルトをしっかりと締める。

少し汚れている様な気がするが、わがままなんて言っていられない。

そもそも彼らはきっとまともな服を用意する気など毛頭ないのだろう。


 それに着替え終わると、またしばらく空虚な時間が続き、そしてまた呼び出されてミカは動き出す。

その様はまるで囚人の様、もう少し効率的に業務を進められないのだろうかと、だんだんとミカは苛立ってしまう。

けれどそれも着替え終わった後の呼びだしで最後だった。


 長い廊下を歩く道中、そして屋敷を出た瞬間にミカを襲う強烈な太陽の光。

それがあまりにも眩しくて、瞬きを繰り返し立ち眩みをして倒れそうになる体を、ミカの周りを囲う兵士達は誰も支えない。

仕方なくミカは自分の足で自分の身体を支え、太陽の光に体を慣らす。


「乗れ」


 ミカに対する扱いというのは相変わらずひどいものだった。

乱暴な言葉使いに、気を抜いた兵士達の嘲笑、わざとワンピースの裾を踏む兵士までいる始末。

魔女という疑いをかけ、怪しんだとしても、そして嫌悪したとしても、王女様が特別気にかけている人間なのだから、もう少し丁寧に扱ってほしいものだと思ってしまう。


「言われなくても」


 ミカが乗り込んだ馬車は当然ソフィアと乗った様なふかふかの椅子が備え付けられていたような馬車ではなく、ボロボロの椅子やボロボロのカーテン、今日ミカに嫌がらせをするために用意された馬車の様にも思えてしまう様な粗雑なものであった。


 馬車は屋敷を出ると、しばらく街の中を走る。

埃っぽい破れたカーテンをめくり通り過ぎていく景色を見ると、街の中は思っていたよりも活気づいていた。

人通りも多く、子供も多い、一人で出歩いている女性もいれば、シスターの集団もいる。

馬車も行きかい、兵士も街中を歩き、治安は一定程度保たれている様だった。

なによりこの王都を流石王都と言わしめるのは、血が一滴も流れていないことただその一点に尽きると、ミカは思う。


 どこを見ても処刑台がない。

人を逆さづりにする為の装置も、体を捻じる為の装置も、四肢を引き裂くための装置も、この王都という場所にはそういったものが一つも見当たらず地面に血はなく、死というものとは縁遠い、まるで楽園の様にも見えた。


「シャルロットが産まれた町とは違う……不気味なくらい綺麗な街」


 そんな街とソフィアが住むという城は険しい森で隔たれていた。

森の中に何か怪しいものでも隠しているのだろうかと、注視してみたが、特別面白そうなものや怪しいものは見当たらない。


 街から城へと続く道は綺麗に整備されており、馬車は迷うことなく城へ向かっていく。

きっとここを徒歩で登ったとしても、迷うことなく城へと辿りつけるのだろうけれど、転寝うたたねしてしまうくらい長い道のりを歩いて登ろうとなんて誰もしないだろう。


 そんな道のりを登りきり目的の城へつくと、馬車は城門をくぐり小さな屋敷と馬小屋がある一つ目の小さな開けた場所につく。

そこで馬車は一度止まると、どうやら後ろからついてきていたらしい数頭の馬も止まり、兵士が数十人馬から降りると、ミカが乗る馬車を取り囲む。

すると馬車は兵士の歩く速さに合わせる様にゆっくりと進みだす。


 小さな橋を越えまた城門を通ると、いよいよそこが本来の広場なのだろう。

さきほどより広いその広場で馬車が止まると、兵士たちは変わらず馬車を囲みながら、またドアを三度強く叩く。


「出て来い!」


 そしてまた、大声で荒々しく叫ぶ。

いい加減耳が痛くなってくる、どこかにクレームを言いつけることはできないだろうか。

しかしこの場合黒い髪で産まれてきてしまい、嘘をついてまで隠さなければいけない強大な力を持って産まれてしまったシャルロットやミカ自身が悪いのだろうか。

そんなことばかり考えているとまた眩暈がしてくる。


「だからいちいち怒鳴らなくたって……あーもぅ、うるさいなぁ」


 なるべく冷静でいたくても、なるべく可愛らしくいたくても、なるべく穏便に全てを終わらせたくても、ミカにだって許容できる範囲はある。

狂人のフリをしても狂人にはなりきれていない、人を怨むことに慣れていても怨まれることには慣れていない。

悪評で全身に泥を塗られ、嘘を吐き続けて、叶わない怨みが心で揺れ続ける。

そんな人生にたった一週間程度で耐えられなくなりそうになる。


「有栖川さんって言うんだって……あの子」

「あーあの。有名な?」

「可哀そうだよねぇ……有栖川さん」


 けれど、色々な人から憐れまれて、同情されて、可哀想だ可哀想だと、言われ続けて勝手に下に見られるよりはマシな生活なのだろうか。

しかしミカはとてもその二つを比べられない、比べてもミカの中ではとても優劣のつけられるものではなかった。


 ミカが馬車を降りた時、強い風が吹く。

それを片手で防ごうとしながら少し上を見上げると、もうそこには白と濃い青で彩られた、左右にある塔や中央突出した部分を含めた大小全てを合わせると、五階建てにもなる立派な城が目の前に迫っていた。


 城を囲う壁と四つの塔、とても広大な広場では、石畳で道が示され、そうでない部分には可憐な花が咲く花壇が置かれる。

礼拝堂と思わしき建物もある。

城の大きさは一目みるだけでは測りきれず、さすが元国王の城。

そして現在は王の子供たちが住む城というだけの威厳があった。


「……シャルロットが来たのよ!」


遠くの方から優しく温かい声がする。

そんな一言で兵士たちの怒号で感じていた苛立ちは搔き消される。


「お待ちください! 急に走られては!」

「今度こそシャルロットが来たのよ! 早く迎えにいかないと!」


ソフィアの声は聞こえるのに、未だ姿を見ることはできない。

そんな常態になって、兵士たちは戸惑いとりあえずシャルロットを城内に入れようと動き出す。

とりあえずミカは促されるままに歩き出し、正面玄関へと歩き出す。


 そんな時、遠くの方から声がする。

最初は小さな声だったが、それが兵士やミカに届いていないと知ると、ソフィアはもっと大きな声をだす。


「あっ、いた! おーい! シャルロット!」


 大きくなったその声は、ようやく全員に届き、正確なソフィアの居場所を知らせる。

ようやく届いたその声を聞いて全員が上をむく、するとそこには三階の高さにある窓から身を乗り出して手を振るソフィアの姿があった。


「すぐにいくわ!」


 兵士達は足を止め、ソフィアが下りてくるのを待つ。

同時に何人かの兵士は正面玄関から城内へと入り、ソフィアを迎えに行った。


 靴音が聞こえてくる。

コツ、コツ、コツ、という音が連続して忙しなく聞こえてくる。

ついにソフィが来るとなれば、兵士達もさすがに緊張し、私語をやめ、正面玄関の左右に列をなして立つ。

ミカだけがその流れについていけず、主面玄関の真ん前に置いてけぼりにされる。


 重たそうに見える大きな扉がゆっくりと開く。

ミカは形式的にこういう場合はこういう恰好をすればいいのだろうと、とりあえずそうしておけば不敬なことにはならないだろうと、昔見たマンガやドラマの見様見真似で片膝を立てて跪づいて頭を下げる。


 忙しなかった靴音は一度止まる。

そして小さな笑い声が聞こえると、また靴音が鳴り出す。

今度は特別忙しい、という訳ではなくなんだか楽しそうなステップを踏む足音だった。


「顔を上げて」


今度はミカの前で足音が止まる。

すると、そんな優しい声が聞こえてくる。

言葉につられて、ミカは顔をゆっくりと上げる。


「いらっしゃい。シャルロット……じゃぁーなくて、ミカさんのほうがよかったのかしら?」


ソフィアは両膝に手を置いて、少し屈んだ姿勢になってそう言うと、優しく微笑んだ。


「これからよろしくね。わたしくのメイドとして……えぇ、そう。わたくし専属のメイドとして、よろしくね。ミカさん」


 姿勢を正しそう言うと、ソフィアはまた優しく微笑んだ。

その優しさが、その微笑みが、ミカにとってはあまりにも眩しすぎた、その全てがあまりにも優しすぎて暖かすぎた。

その全てがミカにとって、毒にもなれば薬にもなるのだろう。

しかし今のミカにとっては、この世の全てが毒だった。

無意味な人生を引き延ばすだけの毒だった。

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