第10話【王女様】
「しっ、失礼なことをいう子ね! この名前にはお父様やお爺様が考えてくれた、大切な意味があるのよ!」
続けてソフィアはそう言って、さらに息を荒くしミカに顔を近づけ、すぐに離れる。
「それじゃあ、ご教授願います」
「いいでしょう! まず、誰もがご存知……きっと貴方は知らないのでしょうけれど! この国に住まう人なら誰もが知っている、そう! シュロリエとは!」
「はい。シュロリエとは?」
「この国を治める王家の家名よ!」
「まぁなんと」
「えぇ、しっかりと覚えておくように!」
自信満々に家名を口にして、ソフィアは両手を組んで得意げな顔でミカを見る。
ミカは小さく拍手をしながら、ソフィアのその可愛らし顔を眺め、確かに目の前にいる人物は王女様と言われれば納得できる様な人物であると、心の中で一人納得する。
「次にわたくしのお名前の解説よ!」
「よろしくお願いします」
「ソフィアには知恵という意味が込められているの。賢い子になりますようにって」
「なれたの?」
「これからよ!」
「では、続けてどうぞ」
「そう! わたくしの名前は、ソフィア・シュロリエ! この国の次期女王様……に、なる人よ! たぶん!」
「そりゃあたいそうな身分の人を私は助けたわけだ……」
「そう! 誇りなさい!」
そんなたいそうな身分の人間が誘拐されていたのであれば、そのたいそうな身分の人間を一人助けられただけでも、ほかのすべてを殺してしまったこと等価にはなるだろうか。
「えぇ、誇ります」
「んぅーもうちょっと驚いてもいいのだけれど……まぁ、いいわ」
一通り名乗り終わると、一息つくために地面にソフィアは座る。
そして今現在の自分の状況を理解するために、辺りをキョロキョロと見渡した時、ようやくその全てが、その純粋無垢な幼い瞳に映る。
焼け焦げた臭いが、幾重にも重なり鼻をツンとさす。
これまでの人生で一度も嗅いだことのないその異臭の正体は、考える間もなくすぐに判明する。
その正体は、この辺り無数に、そして無残に無造作に転がる数えきれないほどの焼死体の数々だった。
驚きと恐怖で咄嗟にソフィアは腰が引け、口を手で覆う。
すぐ側には汚れのない綺麗な青い川、四方八方どこを見ても美しい緑の森が広がる。
だというのに、ここには、この集落の跡地には―――――。
「これ…………は?」
無残に焼け焦げた焼死体ばかりが積みあがっていた。
「あっ、ちょっと」
ミカが咄嗟に出した手じゃソフィアを止めることはできず、ソフィアは立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
ミカはそれを止めようとはせずに立ち上がり、ソフィアを追いかけるように、少し後ろをついて歩く。
「――――あ……ぁあ……あぁ……」
目の前に転がるのは、きっと親族が見たとしても誰なのかすら分からないほどに真っ黒に焼け焦げた大小様々な、そして性別も様々な焼死体。
焼き殺されてしまった人間そのものだった。
しかし中には焼けていない、刺し殺された『人』だとしっかりとわかる、苦悶の表情が残る死体も多くあった。
そのどれもがソフィアとほとんど年の変わらないような子供ばかりで。
「あぁぁあ……あ、あぁ、あ……んっぇえ……ぉッえ」
ついにソフィアは限界を迎え吐き出した。
固い地面に膝と手をつけ、白いドレスの様なパジャマが汚れてしまうことなど気にする余裕などなく、はしたなく嘔吐する。
それでも近くにある焼死体に失礼のないように、ソフィは少しだけ頑張って遠い場所で吐こうと立ち上がろうとするが、そんな願いは叶わず、ソフィはその場で嘔吐する。
元々小さいソフィアの背中がさらに小さく見え、起こす場所をもう少し考えるべきだったと反省しながら、ミカはその背中を撫でて嘔吐を促す。
「…………この真っ黒なのは全部……全部……おッぇ」
王女様というたいそうなご身分の人間が、こんなグロテスクな死体の数々を日常的に目にすることは少ないだろう。
それは、今こうしてこの光景を生み出したミカ自身も変わりないはずだが、彼女はこの景色に対する嫌悪感を抱く資格など自分にはないと、ひたすらに自責し続けていた。
ソフィはしばらく嘔吐を続け、ミカはその側でソフィアの気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。
ソフィアの気持ちや息がある程度落ち着くと、川の水で口を軽くゆすいで不快感をなくす。
そんなことを一通りやり終えて、ソフィアは覚悟を決めてもう一度目の前に広がる光景を目に映す。
「森の中にも……というか、この集落を囲うみたいに並んでいますね」
「そう……だね、うん」
「大きな血の痕もありましたし、ここにあった家もたくさん燃えたみたいでした……たくさんの人が死んでしました」
「そうだね」
「そして……この状況を作り出したのは」
そう、ソフィアの頭の中には一つ疑問があった。
誰がソフィアを見つけたのか、誰がこの状況を作り出したのか、ということだ。
元々ここはこうだった、そこにたまたま自分が倒れていて、さらに偶然が重なり珍しい容姿の少女が立ち寄り、声をかけてくれた。
なんて偶然の連鎖を想像することは簡単だ、けれど今隣に立つ少女は全身のあちこちに傷をつくり、血がまだこびりついている。
奇跡的な誰も傷つかない優しい偶然が重なったとは思えない。
「――貴方……なんですか?」
ソフィアは何も知らない。
覚えているのは昨日の夜、勢いのまま宮殿を抜け出し山を転げ落ちたこと。
そして月を見て、星を見て、何かに沈んで、次に目を覚ますとこの状況だった。
「私……だね。全部、私がやったよ」
なにがあったのか、それをソフィアは何一つとして知らない。
川辺にあるこの集落をこの少女はなんの理由もなく焼き払ったのだろうか、そして黒い死体の山を築き上げたのだろうか。
「理由が…………あったんですよね」
「……さぁ、どうだろね」
私は嘘をついた。
理由ならあった、明確な理由が一つ。
このソフィアと呼ばれる少女の救出した理由、それはアリアという少女に助けを求められたから。
けれど、それが理由にならない様な結果をもたらしてしまったという現実がある。
罰せられるべきだろう、正当な理由だとはとても思えないし。
それにきっとこの子は私を信じない。
「貴方が王女様だった時点で私の負けだよ。それに私が人を殺したことは紛れもない事実で、それを罰する権利が貴方にはある」
「でも、助けてくれたんですよね。わたくしのことを」
「さぁ、どうだろね? 私は貴方を助けたかったのかな」
事実、別にミカはこの子を助けたかった訳じゃない。
想像もしないような力を使い、圧倒的な力ですべてを制することが全く楽しくなかったなんてことはない。
圧倒的な力による虐殺、それがこの世界での私の役割なのかもしれないと、そう誤解しそうになるほどには、あの日の復讐の続きがここにあるのではないかと、心のどこかで考えてしまっていた気がする。
「…………そう、ですか。どんなことであれ、話してくれない分からないのですが」
目の前の景色から再び目をそらし、ソフィアは川の中を見る。
そこにはソフィアが普段注視して見ることのない未知の世界が広がっていた、そういえばそういうのを見たくて少し強引に、乱暴に宮殿から抜け出したのだと、今更そんなことを思い出す。
「ですが、わたしはっ!」
急に心の距離が遠くなった様に感じ、ソフィアはそれを寂しく思って言葉を続けようと振り返り、未だ焼けた死体を見つめる少女に声を掛けようとしたとき、遠くの方から綺麗に揃った馬の足音が聞こえてくる。
それと同時にハッキリとした男達の声が遠くの方から聞こえてくる、その声は何度もソフィアの名前を叫んでいた。
「じゃあ、そういうことで私は」
「あぁ、ちょっと! まってくださ!」
ミカはその声を聞いてすぐにその場を去ろうとするが、ソフィアはすぐに彼女の服の袖を掴み引き留める。
それでもミカはその場を離れようとする。
直感的に、というか昨日孤児院を襲いシャルロット達を殺したのが『国の守護者』だの『正義の執行者』だの、そういう胡散臭いものを名乗る重厚な装備をつけた騎士や兵士だったせいで、小さな王女様に捕まるだけならまだしも、その他の騎士や兵士達に捕まると面倒なことにかならないのは目に見えている。
だからこそ、逃げてしまいたかった。
「わたくしはなにも、貴方が理由なくこの村を焼き払ったとは思っていません。ですから一度落ち着いて…………」
それこそ、もう一度炎を纏ってしまうようなことになったとしても。
「あつっ!」
振り払われた手をもう一度伸ばし、それでもとソフィアは少女の手を握る。
しかし、予想外の高熱にソフィアは反射的にその小さな手を放してしまった。
「ソフィア様だ! ソフィア様がいたぞ!」
男性の荒々しい声が二人の背後から迫ってくる。
炎を振りまこうか、そんな考えがミカの脳内を巡った刹那、目の前に広がる光景を思い出す。
どうしてか、再びこの焼死体が重なる景色をソフィアという純粋そうな王女様の目の前で作り出すことに負い目を感じてしまった。
拳が緩み、握られていた炎の熱が急激に下がる。
パキッ、という音がミカの拳の中で鳴り、熱は氷に変わる。
が、その生み出された氷で誰かを害するつもりは微塵もない。
どうするべきか、その判断が一分、一秒、ほんの少し遅れてしまったことが、ミカにとっての命取りになる
「おい貴様ッ!」
予告もなく、警告もなく、ミカの身体に矢が刺さる。
一本、二本、三本、その矢は見事に少女の脛やアキレス腱の近く、そして首の近くにも一本刺さり、走りだそうとしたミカの足を止める。
もしミカが逃げ出さなければこんなことにはならなかっただろうか。
きっとここで起きたことと、ソフィアに関する事情を聞かれて、はいさようならで済んだだろうか。
しかし、ミカは騎士を見るやいなや逃げ出したのだ、一目散に走りだしたのだ、それはもう敵対意思があると捉えられても文句は言えない。
「ソフィア様。お怪我はありませんか」
「わたくしのことはいいの! だから彼女を!」
「ご安心ください、すぐに我々が対処します」
「違うの。ねぇ、話を聞いて!」
「ご安心ください。すべて我々が」
「もぅ! だから!」
列をなしてやってきた騎士たちの一部は倒れたソフィアの側で足をとめ、ソフィアを力づくでミカの側から引き離す。
そして、もう一部の騎士や兵士たちはうつ伏せになったまま動けないミカの足を掴んで、軽く投げ飛ばす。
「……ッ」
投げ飛ばされたミカの身体は軽く飛び、固い地面に叩きつけられる。
「ちょっと、なにするのよ!
「ソフィア様、離れてください!」
「あの子に乱暴しないで!何も悪いことはしてないんだから!」
倒れ込んだミカの側へ騎士や兵士達が近寄ると、なんの躊躇いもなくミカの身体を槍で突き刺す。
「余りにも躊躇がなさすぎませんかね。貴方たち」
「黙れ! 自分がしたことをよく見ろ!」
「あぁ、なんとごもっともなお言葉」
きっと殺しはしない。
そう分かっていても、ソフィアはこの状況を看過できなかった。
残虐な方法をとってしまった可能性があるとしても、助けてくれたことには変わりはないはずで。
ここにいるのが王女だからという理由で、その王女が傷つけられたかもしれないというだけのことで、一切話を聞かずに罪を償えというのは、あまりにも横暴だ。
「ソフィア様に対する不敬を死をもって償ってもらおうか、蛮族メが!」
とても王女様や国に仕えるであろう騎士が発するセリフとは思えない言葉を聞きながら、朦朧とする意識をミカは必死につなぎとめる。
ここでもし死んでしまったら、次はどこで目を覚ますのだろうか、もし目を覚ます場所が棺桶や土の中ならゾンビの様に蘇るしかないが、それはあまりしたくない。
ミカの身体からいともたやすく槍が抜かる。
小さく空いたその穴からの出血が辛い。
体からどぼどぼどぼどぼ血が減っていくのを感じる、こんなに血が体から抜けている感覚を強く感じたのは採決のあとくらいだ。
「ねぇ、待って放して!」
遠くの方でソフィアが乱暴にそんな言葉を吐いて暴れる。
それを騎士たちがなだめようとしているが、ソフィアは全くいうことを聞かず、終いには。
「もぅ! どうしてわたくしの話をきいてくれないの! いいわ、分かった。次にわたくしの体に触れた人は死刑よ! その首が見上げる明日はないと思いなさい!」
横暴なことが嫌いだと、そんな風に思っていながらもそう言って、動揺して手を離した騎士達を置いてミカの元へと駆け寄ってくる。
「ねぇ、大丈夫? そんな訳ないわよね」
ソフィアはすぐに少女の体に優しく触れ、声をかける。
そしてすぐに、少女の意識が朦朧としてきていることを悟ると、周りの騎士たちに止血をするよう促すが、誰もそれに応えたがらない。
仕方がないので、ソフィアは近くに落ちていた尖った石で自分のスカートに切込みを入れ、止血用の布替わりにしようとしたところで、ようやく彼らは慌てて少女の止血を始めた。
「止血をしたらしばらく放っておいて……まだわたくしも、この子も、きっとみんな誤解してるし混乱してる……だから、放っておいて……わたくしだってもぅ、なにがなんだか」
頭を抱えて、吐きたくなるため息をぐっと飲みこんで、ソフィアは森の中に止めてあるという馬車に必死に少女を抱えて向かう。
途中で兵士達に手伝ってもらいながら、少女と共に中へと入っていく。
そしてすぐに馬車の扉にカギをかけ、カーテンを閉めて外の世界を拒絶して狭い馬車の中に二人きりで閉じこもってしまった。
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