第05話【悪趣味な集落】
まるで満月を追いかける様に、小さな草木が揺れる音や動物の足音一つ一つにさえ、怯え走り続けた先は全く知見のない、深い森の中。
そもそもこの世界に来てから孤児院とその近くにある村以外、どこにもいったことはないし、その両方ですら、彼女自身の意思で向かった場所ではない。
はじめてこの世界を自分の意思で歩いてみて、走ってみて気づくのは、夜は暗いことと森は危険が多いというごく当たり前のこと。
何度草木で足を切って、何度なにかに引っ掛かって転んだころんだか、数えるときりがない。
「あっ、あの……」
幼い女の子の声が聞こえる。
声の主が、自ら立ち上がって辺りをきょろきょろと見渡していたおかげで、草陰に隠れたミカも満月に照らされる人影がうっすらと見えた。
「たっ、たすけて」
女の子は身体から力が抜け、再びぺたんと地面に座る。
か細いたすけを求める声が森の中に響く。
「だれかいるなら……たすけて……たすけてよぉ……」
ミカがどうしようかと悩む暇も与えられず、途端に女の子は森中に響き渡る様な大声で泣き出してしまった。
「ママァ……パパァ……お家に……お家に帰りたいよぉ……うっ、ん。うっぇ」
どうしようもなく切なく、甲高いその声を聴いて、心が痛まない人間はこの世界はほとんどいないだろう。
それはミカも同様だった。
「あぁ、その……泣かないで? ね? 誰かに見つかるとマズいでしょ? お互い……だから、その……ね? 分かるでしょ?」
草むらから身を出し、不器用にそう言って女の子に近づく。
すると女の子は土の地面に独特なお父さんとお母さんの似顔絵を描きながら、鼻水を垂らし泣いている真っ最中であった。
「お姉さん? お兄さん?」
「お姉さんだよ」
「もしかして……神様?」
ぺたんと地面に座ったまま女の子が顔を上げると、少女にも少年とも見える一人の人間が立っていた。
背は高く、しかし細い身体を小さな穴の空いた薄汚れたボロ布一枚で身を包む。
闇夜と同じ程黒く、そして地面についてしまいそうな長い髪。
その髪のおかげで、ガーネットの様な濃い赤い瞳の右目がほとんど隠れてしまっていた。
「違う。私は人間」
「助けてくれる?」
「あぁ、うん……できる限りは、だけど」
「助けてぇ……くれるの?」
「だから、できる限りは。ね?」
正直、人助けに乗り気になれる状況ではない。
しかしここでこの子を置いて逃げ出すのは、それはそれで難しそうだった。
「ほんとうに?」
「あぁ、もぅだから……」
「ほっ、ほんとうに……んっん、うっぇ、だずげで……ぐれるの?」
鼻水と涙交じりに女の子がそう言うと、地面に手を突き立ち上がるが、すぐにバランスを崩し転び、それでもまた立ち上がってミカの足にしがみつき、大声で泣き始める。
「ひとまず、状況と教えてほしい。どこで、なにがあったのか、具体的に、私にだってできることとできないことがあるから」
改めて少女から離れ、泣き止んだ女の子は金色の髪をし、汚れのたくさんついた体格に見合わない大きな白い服を身にまとっていた。
「……では、その。わたしは、辺境貴族の娘のアリア・ベロニッサといいます」
「あぁ、うん。アリアね」
「失礼ですが、お姉さんの名は?」
「えぇっと……」
どう名乗るべきが少し考え、ミカはひとまず無難な名乗り方をする。
「シャルロット・ミカヱル、呼びにくいなら……」
この世界に来て、
それを「
なのに今日、この夜。
今度は「
シャルロット・ミカヱルというわたし、そして有栖川ミカという私、その二つを名乗る。
「そうだね、ミカでいいよ」
「では、ミカさんと」
「で? 何があったの?」
「あぁ、そうでした。んんっ、数日前、庭でいつもの様にお花を見ていたら突然、攫われて……」
アリアが語った話はこうだった。
攫われたあと、アリアは川辺にある集落にいた。
そこにはたくさんの盗賊たちが住んでおり、集落の中央ではおそらく成人くらいの男性や女性が丸裸にされ十字架で磔にされ、男女問わず子供たちが一つの小屋で生活をし、毎晩数名の子供が集落中で一番大きい家屋に呼び出される。
そして呼び出された子供は二度と帰ってくることはない。
「君はそこから逃げてきたの?」
「えぇ、わたしはそこからどうにかして逃げ出して、もう二日ほど森の中を彷徨っています」
「で? 助けてほしいらしいけど、私が貴方を家まで帰せばいいの?」
「そうしてほしい……気持ちも山々です。が、できればそこにいるほかの子供たちも助けてほしい、です」
無茶な話だ。
「分かっています。難しいことは……」
普通なら、国かどこかに援けを求め騎士団でもなんでもいいから救助隊を派遣してもらうべきだ。
だけど、この国の名前を、そして国王の名前を掲げる騎士にロクな奴がいないのは、今晩で痛いほど知った。
「でも、わたしだけが逃げ出して、助かるのは……イヤ、と言いますか」
それに、こんな森で出会った見知らぬ少女がどうにかできる訳がないことくらい、アリアも分かっていた。
「わたし一人が、生きて帰ってどんな顔をされるか、どんなことを言われるか」
「あぁ……そういうこと」
「他にも貴族の娘、息子さんが囚われていたんです。それもわたしよりも権威のある方が……」
自分のために、人を助けたい。
そういう潔い、自己満足で自己中心的な話だ。
そのために、こんなわけのわからない少女一人に頼ろうとアリアは無謀にも考えていた。
「自分よりも権威のある貴族の娘、息子も助けたい。自分も生きて帰りたい、だけど自分じゃ何もできないから、こうして逃げた先で出会った人に助けを求める」
「……その通りです」
人助けをする、なんてガラじゃない。
そもそも人助けをしていいような人間じゃない、私は人殺した。
今日この日を生き延びるための、身勝手な大量殺人鬼だ。
そんな人間が今更善行を積んだところで、死後にたどり着くのは地獄だろう。
もしくは、死後にたどり着いたここが地獄なのだろうか。
「まぁ……そうだなぁ」
なら、ここが私にとっての地獄なんだろう、とミカは妙に納得する。
「悪人もたまに善行をすることだってある」
「え? お姉さん悪人なんですか?」
「うん。自他共に認める悪人だよ」
「とてもそんな風には見えませんが」
「人を見る目がないねぇ……で、教えてもらおうかな。その集落がどこなのか」
それでも自分自身が人助けをする、ということに対してはとてつもない嫌悪感があった。
そんな嫌悪感を紛らわすために、自分自身の力量を知っておきたい、というを本来の目的としておく。
孤児院を襲撃した騎士団を退えた際に、確かに自分が規格外なことは知った。
だが、まだ知りえていないことがあるのかもしれないからそれを知るために戦う。
人助けはそのついで、ということにしておこう。
「あぁ、あと。一つ私と約束して?」
その力をひけらかすことは、きっと良しとされていない。
もっと言うなら、私みたいな存在は忌み嫌われて、片っ端から殺されている。
今日も、そのお題目で私たちが暮していた孤児院が襲撃された。
「私がどんなことをしても、どんな方法をとっても、どんな結果になっても、貴方は私を恨まないし、そのことを口外しない……というか、私について一切誰にも何も言わないでほしい」
そんな風に脅されても、迷わずはいと答える用意はあった。
しかし、ミカが何をするのか、それについてアリアは全く見当がつかなかった。
それでも、助けてくれるのならそれでいいと、後々自分が困る様なことにならなければそれでいいと、藁にも縋る想いでアリアは首を縦に振る。
「わかりました」
「で、彷徨ってきたはずなのに、その集落の場所は分かるの?」
「ある程度はまっすぐ歩いてきたのでそこを帰れば、ある程度大きな集落で声も響いていたので、近くになればすぐにわかると思います」
一か八かの感に賭け、アリアが辿ってきた道を二人は歩いていく。
こんな暗い森の中で、しかも似たような景色が続く森の中で辿ってきた道がわかるのか、と言われれば答えは絶対に「NO」だ。
それでもアリアが通ってきた道に生えている木には目印になるような傷をつけているらしいし、必ず月が視界に入る様にして歩いていたらしい。
逃げ出した当初はでたらめに歩いていたとはいえ、ある程度冷静さを取り戻したあとにつけた傷が残っているのなら、その集落へたどり着けるだろうと、そんな希望的観測だった。
月に背中を預けたおかげか、希望というものが味方してくれたのか。
ある大木を超えて少しした時、小さな女の子の悲痛な悲鳴が森に響いた。
その悲鳴を聞いた瞬間、すぐに異常な集落が近いとミカは察する。
「近い……よね?」
「ええ」
絶え間なく響く悲鳴の方へと、足を進める。
しばらくして、一際目立つ大きな明かりがうっすらと見えた。
そこに集落があるのだろうと、ミカは確信し大きく息を吸い覚悟を決める。
ある程度姿勢を低くしながら、その村を見下ろせるような場所に近づいていく。
次第に女性の悲鳴だけではなく、男性の笑い声も聞こえるようになってくる。
その声に嫌悪感を覚え、同時に悲鳴を聞き続けることに苦しくなってしまい、アリアは途中で吐いてしまう。
立派な集落の様なモノが川沿いと森の中に築かれていた。
川辺に建てられたのは血で汚れた十字架、森の中には簡素な家屋が立ち並ぶ。
十字架で磔にされているのは、男女を問わない少年少女たち、村の奥の方に大きな邸宅が見え、そこには村長か誰かが住んでいるのだろう。
集落を守るための壁などはなく、一応目印になるような門はあるが、適当に木を組み立てたようなもので境界線以上の意味などなく、そしてそこに見張りが立っていることもない。
だからこうして一人の少女が見下ろして、じっくりと中を観察することも容易だった。
「ここが貴方の逃げ出した場所?」
「はい……間違いなく」
縄で縛られ一か所に固められた少年少女たち。
中には眠ったフリで恐怖を誤魔化そうとする者、悲鳴を上げる者、一連の抵抗を終え殺されてしまった者、血をダラダラと流しながら死にたくないと嘆くものまでたくさんの人がこの村に集められていた。
「そう……ずいぶん悪趣味だね」
で、さて。
これをミカはどうするつもりなのだろうか、とアリアは不思議に思う。
今更ではあるが、森の中で彷徨ってやっと出会えた彼女は、よくよく見れば剣も持っていなければ戦えるような恰好もしてない。
そんなことに当然気づいているはずの彼女は、集落に対して嫌悪感を抱いていても、それでも堂々としており、そのことが少し不思議に思えた。
――いったい彼女は何をするつもりなのだろう。
と、そう思いながらアリアは不思議そうにミカのことを見上げた。
ミカはうっすらと笑みを浮かべて、拳を強く握る。
その笑みはこれから行うことに対する自信ではなく、嫌悪感の現れだった。
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