第03話【 ある王女様の退屈 / 転がる満月】


 ソフィア・シュロリエという、小さな王女様の日常は退屈と窮屈で満ち溢れていた。

だからこうして居城から離れて、遠くにある宮殿でのんびりを海を見て過ごせる休暇をくれることだってある。

だけど、小さな王女様が望んでいるのはそういう子供だましなことじゃない。

例えば、自分自身の足で歩いて街を見てまるだとか、そういうこと。


 ここでできることといえば、いくつもある広い部屋の窓から遠くにある海を眺めてそこに何がいるのかを考えること、それなりに広い書庫から興味もない難しそうな本をもって来てダラダラと読み、飽きたらそれを本棚に戻して、そしてまた興味の持てない難しいそうな本を引っ張り出すこと、それとそれなりに美味しい朝昼夕の三度の食事、だけどそれにもそろそろ飽きてしまいそう。


 なによ、十分じゃない。

十分に充実しているじゃない。

分かっているわ、そんなこと。

だけど、わたくしと同い年の子たちは今頃もっと別のことをしているはずで、もっと楽しくて華やかな毎日を過ごしているはずなのに、王女だからって、国王様の子供だからって理由だけで毎日お城に閉じ込められて、定期的に外で出されるかと思ったら今度は宮殿に閉じ込められて、ピアノのお稽古、歩き方のお稽古、読み書きのお稽古、お稽古お稽古お稽古お稽古ばっかりで。

こうしてまれに別の宮殿へ行ってもすることなんて何もなくて。

させてくれることなんてこれっぽっちで。


 もちろん、中には楽しいこともあるわ。

あるのだけれど、それ以上につまらないの、もうあきあきなの。

なんて、思いながら。

でも、将来今わたくしがイヤだと思っているすべてがこの国のためになるのなら、全部を我慢するのも別に悪いことじゃないような。

そう思えてしまうくらいに、わたくしはこの国が好き。

でも、好きだけじゃ耐えられないことだって、我慢できないことだってあるし、その限界だってもちろんある。

だけどお父様はそのことを知ってくれないし、考えてもくれない。


「……はぁ」


 バタバタとせわしなく宮殿の中を歩きまわりながら、一日中そんなことを考える。

暇になると人は色々と考えこんでしまうらしいが、それは本当のことの様だ。


 そろそろ広い海も見飽きた、本は読み飽きることのないほど量があって、とても読みきれそうにない、毎日違うドレスを着て、一人でファッションショーを開催するのも、そこにメイドたちを巻き込んで色々なドレスのわたくしを見てもらうのも、やっぱり飽きた。


 メイドたちを困らせてみようかと、花瓶でも倒してみようと思ったけれど、わたくしはそこまでイジワルじゃないし、退屈だからという理由だけて壊していいほど花も花瓶も安いものじゃない。


 ふかふかベッドに顔をうずめて、窓の外に広がる遠くの海や街を変わらず毎日眺める。

いつかあんな街を自由に歩いてみたい、そこにいる人たちとまだ知らない色々な話をみてみたい、そんな小さなことが王女様にとっての大きな夢だった。


 まだ十にも満たない小さな王女様の行動範囲は、王都にある大きなお城とそのほかの豪華絢爛な宮殿の中と、そこに併設された大きなお庭だけ。

その両方の行き来は、カーテンが閉められ周りの景色を見ることができない馬車の中。

そのせいで『つまらい』その一言で小さな王女様の人生は満たされ溢れかえっていた。


 両親は遠くの宮殿でのんびりと仕事をして、上に三人いる兄もどこかの村やどこかの宮殿に行ったっきり帰ってこない。

中には長引いているらしい戦争から帰ってこない兄弟もいる。

一人きり、一人ぼっち、そして退屈で窮屈。

そんな言葉で言い表せてしまうくらい、小さな王女様の人生は単純だった。



 ・

 ・



 そんな退屈と孤独で溢れかえっていた人生を変えるきっかけは、ある日突然小さな王女様の頭に降って湧いてきた。


「……そうだわ!」


 どうしてこんな簡単なことすら思いつかなかったのだろうと、小さな王女様は枕に顔をうずめて笑顔を隠しながら、足をバタバタを動かし身体中から溢れ出す喜びを可愛らしい笑顔で必死に隠す。

幸いにも夜は宮殿の警備が手薄だ、部屋にある大きな窓から飛び出してもきっと誰にも見つからないだろう。

そんな悪知恵が働いて、小さな王女様はすぐに決意する。


「退屈なら抜け出せばいいのよ! この窮屈なお城から!」


 突然出した大声にブレーキをかけるために、自分の口に慌てて手を当てる。

ベッドから飛び降りた小さな王女様は、その勢いのまま裸足で太い窓枠にお行儀悪く上がってしまう。

そこには数冊の本や小鳥に餌をやるための小さなお皿が置かれていた。


 大きな窓を開けることなど造作もない。

開け放たれた窓の先には暗い世界、その先にはぽつぽつと明るい煌びやかな憧れの街、吹きつけるのは優しい風。

それはまるで小さな王女様の門出を祝うようで、まるで王女様の大いなる第一歩を誘うようで。


「ふふっ」


小さな王女様はその誘いにのって、なんのためらいもなく飛び出した。

えいっ、と勢いよく閉ざされていた外の世界に飛び出した。


 窓の外に広がるのはどこまでも続きそうな深い森、宮殿を囲むような人工の城壁の様なものは一切ない。

まさか、この大自然が不敬な輩や小さな王女様の行く手を阻むだろうと思ったのだろうか。

いや違う、この部屋の窓から綺麗に街を海を眺めるためには、そこに石造りの床や壁を作ってしまうのは無粋で無駄なことだったのだ。

綺麗な景色を見るためには、外敵の侵入や子供の好奇心など考える必要は一切ないのだ。


 なんということか、えいっと勇気を出してみればそこはもう、ずっと昔から憧れていた外の世界だ。

目をキラキラ輝かせ、まるで満月を追いかける様に、小さな王女様は勢いよく土と石と木々で包まれた自然の坂を走り下りはじめた。

その勢いはものすごく、もちろん自分で制御なんてできる訳がない。


「わっ……わっ、わわ……わっ! ふふ……ふふっ……ふふ、はやい……はやいですわ!」


 坂を下らる勢いは収まることを知らない。

まるで風に背中を押される様に月の方へ方へと、勢いよく坂を下る。

この勢いのまま坂を下りきって森を抜ければこの先に街がある。

景色は部屋で見ていたものとは変わり、次第に街や海は見えなくなり、木々と満月ばかりが目に映るようになっていく。


「このまま、どこまでも……どこまでも! ふふっ、ふふっ……たのしい、たのしいです! わっ!」


 行けてしまいそうだった。

ほんとうにこのまま憧れの街へたどり着いてしまえそうで。

そう、希望を抱いて顔を笑顔で満たしたその時――――。


「あっ……あ」


 地面にあったのは石か、それとも木の根か、誰かの落とし物か、それがなんなのか、咄嗟のことで小さな王女様にはわからなかった。

とにかく、自然の悪戯に小さな王女様は躓いてしまったのだ。


 小さな王女様は、コロコロと転がるばかりで成す術がない。

その小さな体はとても軽く、どこまでも坂を転げ落ち、その度に体中に刺さる小さな石が痛くて痛くてしかたない、さらに転がる勢いは止まるところを知らず、体への痛みは増すばかり。

ドレスと何ら変わりないようなふわふわの白いパジャマは土だらけになり色が変わっていく。


「わっ……ぁ」


 ふわっ、と軽い体が宙に投げ出され浮いた。

その瞬間、小さな王女様は痛みで瞑っていた目を開ける。

身体中土まみれ、草木や小石で身体に今までの人生でついたことがない様な小さな傷が大量につく。

そして、右腕をまっすぐ満月の方へと伸ばした時、赤い雫が宙を舞い、自分自身に降りかかる。


月は―――なかった。


 少し横をむけば、きっとそこにある。

だけどほんの一瞬で、そんな余裕なんてなく、ただ彼女は右腕を最初に見えた、自分にとっての一番星に向け掲げ、手のひらを広げ、右手を右から左へと動かして、一番星だけじゃない見える限りすべての星を自分自身の手のひらにかき集める。


「あぁ……キレイ……星が…なんて」


 ふわっ、と浮いた身体はくるりと回ると勢いを増して落ちていく。


「美しいの」


そして小さな王女様の身体は容赦なく、固く少し深い川に叩きつけられる。


ドボン、と音が鳴る。


 全身は冷たく気持ちのいい水に包まれ、視界はぐにゃぐにゃと歪み、だんだんと真っ暗になる。

下へ下へと身体は沈む。

どこかへ、流されていく、身体はまったくいうことを聞かない。

どんどんと、身体から力が抜けていく。


「あぁ、ここが……」


 小さな泡の息を少しだけ吐くと、小さなお王女様はただ流されるだけの存在となった。

目指した憧れの街はまだまだ遠い。

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