Sideルルミ:幸せの形
ルルミにとって幸せとは平穏である。
穏やかで心安らかにいることが、なにより幸せだと信じている。世界を構成するものすべてが穏やかになればいいと考えているので、それはときとして幸せのおすそわけとして他者が被害をこうむる。
人形師ルルミは、未来の彼女がたどり着く先だ。
というか、すでに自分の身体を人形に作りかえることは考えている。
老いも怪我もなく飢えもない、半永久的な幸せだ。師匠の監視の目がなければ、あるいは学園にいなければ、とっくに体を作り変えていただろう。
そんなルルミの性質を、師匠は無理に矯正はしなかった。
『それが君の強さでもある』
ルルミは辺境の村生まれで、幼いころに大飢饉にみまわれた。
ただ一人の生存者となった彼女の心には、強烈な飢えと寒さと痛みがこびりついている。
それが錬金術の才能にむすびついていた。
たとえばネプリアはの他人を操りたがる性格と、彼女の赤い瞳に宿る【不可視の糸の痕】がかみ合い、類まれなる力を手に入れた。
ルルミもそうだ。
左肩に宿る【やすらぎと調和の痕】は、己の魔力を媒介にどこでも安定した調合がおこなえる。平穏を欲するという性格も、人々を幸せにする錬金術の本質とは噛み合っていた。
彼女は将来、誰も傷つかない理想の世界のために、大勢の人を傷つけるだろう。
――だからこそ、ルルミは不思議で仕方なかった。
「あ、あのー……」
ルルミは小さな声で呼びかけたが、二人は気づいていない。
スズランは通路の壁を破壊して、できた穴をのぞきこんでいた。
「ダメですね。壁を破壊した先も同じ通路です。ここから出す気はないようですねー。嫌がらせが目的なら、わたしたちがお漏らしをするまででしょうか」
オリンも穴をのぞきながら言う。
「んー……空間歪曲に、石魔術に、幻影少々ってところかな」
「犯人は複数ですか?」
「みたい。完全に目をつけられちゃったねー」
オリンは困ったように笑っていたが、どこか楽しそうだった。
そんな主人を見るのが嬉しいのか、スズランも苦笑している。
「天井を破壊しますか? 地上にでられるかと」
「やめとこう。もし地上に誰かがいたら怪我をしちゃうかもしれないし」
困難を楽しんでいるような二人に、ルルミは再度呼びかける。
「あ、あの!」
二人がゆっくりと顔を向けてきたので、ルルミは大声で叫ぶ。
「し、幸せ液を散布するね……っ‼」
「待って待って、幸せ液ってなに?」
オリンがなんですのそれーといった顔で聞いてきた。
「中枢神経に働く、とってもハピハピハッピーになれる液で……」
「うん、やめようか。というか、その薬は破棄しておこうか」
オリンに優しく微笑まれ、ルルミの頬が赤くなる。
こんなに可愛い子なのに男だなんて、いまだ信じられずにいた。
「ルルミ、どうしたの急に?」
「だ、だって……あたしのせいかもしれないし……」
「地下大迷宮に閉じこめられことが?」
行けども行けども同じ道で、教室にたどり着けない。
心身を削るような嫌がらせに、ルルミは心が乱されてしまい、いっこくも早くみんなを幸せにしなければという使命に駆られていた。
「あ、あたし……なぜか恨みを買いがちで……。赤の派閥の人も怒らせたし……すごく恨まれているのかも……。だ、だから早くみんなを幸せにしなきゃ……」
「余計にややこしくなるんじゃないかなー」
「で、でも、だから……けれど……」
心臓がバクバクする。耳鳴りもした。
大飢餓で全滅した村の記憶は、ルルミの原体験として刻まれている。不安定な状況になってフラッシュバックしかけていたのだ。
そんな彼女の態度になにかを感じたのか、スズランが言う。
「むしろ、わたしのせいかもしれないですねー」
「え? な、なんで……スズランさんのせいなの……?」
「わたし、裏切り上等の嫌われ者ケットシー族ですから」
スズランはそっけなく言った。
獣人への悪感情は、この世界で生きているかぎり必ず耳にする。そのなかでもケットシー族はよく裏切るという話だが、彼女がオリンに心から尽くしているのはルルミにもわかった。
「ボクのせいかもしれないね」
今度はオリンがあっけらかんと言った。
「赤の派閥にも蒼の派閥にも喧嘩を売っちゃたわけだし、上級生たちが生意気な新入生に嫌がらせしにきたのかもね」
「全部オリンのせいでは?」
「かもー」
オリンとスズランは笑った。
ぜんぜん平穏じゃないのに、困難を楽しんでいる二人に、ルルミは余計にわからなくなってきた。
オドオドしていたルルミに、オリンがやわらかく告げる。
「だからさルルミ、ボクたち全員のせいかもね」
「あ、あたしたち、全員のせい……?」
そう言われて、ルルミの心がなぜだか軽くなった。
オリンは特に困ってなさそうな顔で困ったように言う。
「みんなそれぞれで恨みを買ったんだよ。入学式以来、いろいろと目立ってきたわけだしさ。仕方ないから諦めて、困難を楽しむことにするよ」
「あ、あたしが原因かもしれないのに怒らないの……?」
「ルルミはボクたちが原因だとして怒りたい?」
ルルミはゆっくりと首をふった。二人のせいで困難な状況になったとしても、不思議と彼らにイヤな感情を抱くこうとは思えなかった。
どうしてかと考えていたら、オリンがまっすぐに見つめてくる。
「ルルミ、自分だけのせいなんて思わないでよ、ボクたち友だちじゃないか、一緒に面倒を楽しもうよ」
「それが、友だちなの……?」
「わかんないー。なにせルルミが二人目の友だちだし」
オリンはひかえめに笑い、スズランは自分こそが一番目の友だちで親友で最高のメイドなんだといった表情でいた。
ルルミの心に平穏が戻ってくる。いまだ困難の中にいるのにだ。
「あたしも……二人と面倒を楽しみたい……一緒に学んでいきたい、かも……」
幸福至上主義者の自分の言葉とは思えなかった。
すると、オリンが心底嬉しそう笑ってくれる。
「ホント? 嬉しいなー。それじゃあ、こんな場所はさっさとサヨナラして教室に向かおうか。平凡で素敵な日常が待っているよ」
「オリン」
「だいじょーぶ、加減はするよ」
なんのことだろう、ルルミがそう思ったときだった。
オリンが笑顔で指をパチンとはじく。
ただそれだけ、ただそれだけだった。
周りの景色にびしりと大きく亀裂がはいり、亀裂がぼろぼろと剥がれはじめて、隠されていた景色があらわれはじめる。油絵を削ったらその裏に新しい絵がひそんでいたかのような光景だった。
気がつけば、地下の大部屋にたたずんでいた。
上級生らしき生徒が10名ほど慌てている。
「お、おい! なんで魔術が解けたんだ⁉」「顔を見られたじゃねーか!」「はやく結界術と幻影術をかけろって!」
どうやら彼らが嫌がらせをしていたらしい。
近くの男子がオリンたちに向かい叫んできた。
「お、お前たち、このことを誰にも言うんじゃねぇぞ! 一生後悔するぞ! なにせ俺たちは……げう⁉⁉⁉」
最後まで叫ぶことなく、スズランに蹴り飛ばされる。
壁に叩きつけられた男子はぴくりとも動かなくなり、スズランは「ま、死んではいないと思いますよ」と悪辣に言いのけた。
時を止められたかのように固まった上級生たちに、オリンがゆるふわ笑顔で言う。
「君たちが、どこの誰でもかまわないよ」
リーダーっぽい男子が叫んだ。
「はぁ⁉ ちょ、調子にのるなよ、新入生!」
「ボク、今すごく機嫌がいいんだ。だから君たちを敵じゃなくて、たちふさがる困難として立ち向かってあげるね」
愛らしく可憐に微笑まれて、上級生たちの瞳に恐怖がやどった。
グンターとの模擬戦のときにも見た笑顔だと、ルルミは思った。
とても愛らしい笑顔なのに、どうしてだか【闇の王】というフレーズを自然に思い浮かべてしまう。
リーダーっぽい男子がぷるぷると身体をふるわしながら叫んだ。
「う、うう……! こうなったらやけくそだ‼‼‼ に、二度と生意気な顔ができないよう叩きのめすぞ!」
上級生たちが光の魔術を放ってくる。加減はしているだろうが、私闘で魔術を使ってきた。先生に見つかれば停学ですめばいいぐらいの所業だ。
オリンとスズランは場慣れしているのか、魔術を軽々と避ける。
そんな強い二人に、ルルミは羨望のまなざしを送っていたが。
「お前も標的なんだよ、根暗女! 保健室送りにしてやるよ!」
ひょろ長い上級生が接近してくる。
いつもなら幸せの錬金道具で幸せになってもらうところだが、今のルルミはちがった。
唇をきゅっと結んで腰のポシェットをさぐり、超高速で錬金する。
「し、幸せ液・改……!」
ひょろ長い上級生に幸せ液を散布すると、彼は「ハピハピハッピー! 超うれしいー! 世界はこんなにも幸せにみちあふれているうーーーーー!」と踊りはじめた。
誰もがドン引きした中で、ルルミは安心させるように微笑む。
「だ、だいじょうぶ……一時間で効果が切れるように改良したから……」
自分の幸せは他の人にとっては幸せじゃない、そこまでは思わないが。
幸せにはいろんな形があるのではとルルミは感じはじめていた。
オリンとスズランのやり取りが、人形師ルルミへつながる未来を少しだけ変える。ルルミに新しい価値観が芽生えはじめていた。。
彼女の未来がどうなるかはまだはわからない。
側に友だちがいるならば、あるいは本当の幸せを得るのかもしれない。
だが。
「ハピハピハッピー……あ、あびゃああああああ⁉⁉⁉ ハピハピハッピー! あびゃああああああああ!」
途端、上級生が幸せと苦痛に身もだえはじめる。
誰もがさらにドン引きしていたが、ルルミは安心してとさらに笑顔になった。
「だいじょうぶ……。し、幸せと
それはそれとして危険性があがった。
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