第3話 野良猫がやってくる

 前世の記憶が目覚めて幾日がすぎる。

 素敵な学園生活を送るため、ボクは特訓をはじめた。


「もうダメ……死ぬ……」


 そして、ベッドのうえで身動きできなくなっていた。

 筋肉痛である。


 将来青春の汗を流すためにも、優れた肉体は必須。つまり筋力がとてもだいじ。なので腕立て10回、腹筋30回、スクワット5回を目標に鍛えはじめた。


 マッスル・オブ・ザ・オリン。

 マッスル・オブ・ザ・オリン。

 おかげで全身がきしむ。


「うう……身体が痛い……。もしかして前世と同じぐらい貧弱なんじゃ……?」


 どうしてこうも貧弱ボディに縁があるのか。

 お肌ツヤツヤ筋肉ぱっつんぱつん、背中には鬼を宿しちゃう系の肉体になれると思っていたのにダメそう。


「で、でも憧れのマッスルボディは諦めてないぞ……。いてて……」


 ベッドでミミズみたいに身悶えた。


 父上と母上にはえらく心配されてしまい、こんなことがないようにもっと鍛えると言ったのだが、母上に止められた。


『オリン、いけませんよ。人は腕立て10回、腹筋30回で死ぬのです』

『死にはしませんよ⁉』


 死にかけたボクが言えた台詞じゃないけどさ。

 父上と母上は魔術学会で講義があるということで出張したが、心配したのか屋敷にはボディガードもこなせる使用人を残していった。


「困ったな」


 聖痕を試したいし、将来のために身体も鍛えたい。

 だけどこれじゃあことあるごとに心配をかけてしまう。

 エスキュナー家破滅フラグ回避のためにも親子関係は良好でいたいし、ボクだって仲のよい家族は憧れだ。


「二人が安心できる強い人が側にいたらなあ」


 どーしたものかとベッドで悶々とする。


 すると、屋敷がわーぎゃーと騒がしくなった。


「この泥棒猫め‼」「待て野良猫が!」「そっちに行ったぞそっちに!」


 野良猫相手にえらいバタバタしているなー。

 なんぞやろうと思いつつ、風を支配する。


風運流ウインドムーブ~」


 適当な呪文名を唱えて、超精密操作で身体に風をまとわせる。筋肉や骨代わりになってもらい、そよそよとベッドから立ちあがる。


 これ楽ー。超楽ー。人をダメにする魔術の完成だー。

 エスキュナー家が代々風使いだからか、風を操るのがやっぱり得意みたいだ。


「なーにがあったのかなー」


 ボクは幽霊みたいなふらーとした足運びで部屋からでる。

 玄関広間では、数名の使用人が掃除用具を手に大立ち回りしていた。


「そっちだってば!」「あのクソ猫、バカにしやがって!」「降りてこい!」

「なにー? どうしたのー?」

「オリン様⁉ ここに来てはいけません! 獰猛な野良猫です!」


 メイドが血相を抱えて叫んだ。

 トラでも迷いこんだのか思ったが、ボクは大きな影に納得した。


「なるほど、猫だ」


 大きな黒猫もとい、獣人族の女の子が女神像に腰かけている。

 肉の切れ端をあーんと食べて、足をプラプラとさせていた。


 女の子は可愛らしくてあどけない顔つきだけど、瞳には隙がない。黒髪に黒耳、黒い猫尻尾。ボロボロの服だけど、どこか強者の余裕を感じる。

 ボクと同じぐらいの年齢かな。


 猫娘は小馬鹿にしたように笑う。


「なかなか美味しかったですよ、料理人をほめてあげましょー」


 使用人たちは額に青筋を立てる。


「ざっけんな‼」「お前の餌じゃねぇぞ!」「どこから入ってきやがった!」

「やだー、怖いですー」


 猫娘がおどけるような仕草をしたので、使用人はさらに怒鳴っていた。


 すごいな。全員戦える人たちなのに軽くあしらっていたんだ。

 えーっと、たしかあの種族は。


「ケットシー族だっけ、珍しいね」


 ボクがそう言うと、猫娘はアーモンド状の瞳孔をボクに向けてきた。


「はーい、手癖が悪くて信用のできないケットシー族でございまーす。下賤のモノが貴族のお屋敷に足を踏みいれて怒っちゃいました?」


 煽りよる。貴族が嫌いなのかなー。


 あの子が言ったとおり、ケットシー族は裏切りの種族と言われている。

 獣人族がそもそも他種族とはあまり交流せず、その中でさらに輪にかけた個人主義の種族らしい。裏社会にも精通しているしで評判はかんばしくない。


 ゲームではSSRキャラ(期間限定)で仲間になる子が一人いたけどね。

 人権だのバランスブレイカーだの言われた子。


「下賤のモノだなんて思っていないよ」

「それはそれは光栄です」

「どうしてわざわざ屋敷に侵入したの? お腹が減っていただけ?」

「魔術の使えない貴族の子供がいると聞いて、つい、からかいたく」

「残念。ボクはもう魔術が使えるようになったんだ」


 ボクがさらりと流すと、女の子はつまらそうに片頬をふくらました。

 使用人たちは彼女の小生意気な態度にむかっ腹が立ったのか、表情が険しい。そうとうお冠みたいだ。


 さーて、どーするかな。ちょっと気になる子だよな。


「? ……どうして笑っているのでしょうか」

「いやあ、そりゃあおかしいし」

「おかしい?」

「ただの迷い猫が一流のコソ泥みたいな顔しているんだもの。笑っちゃうよ」


 ボクはにっこりと微笑んでやる。

 彼女のプライドをたいそう傷つけたようで、場の空気がチリチリとした。


「強者のおつもりですか?」

「はねっかえりの猫娘を温かく見守っているつもり」

「ふん……どんなふぬけた面をしているのかと思っていれば、魔術が使えるようになればこれですか」

「怒ったかな?」

「ええ……少しだけ。なので、ちょっぴりだけ驚いてもらいます」


 猫娘は薄気味悪く笑い、フッと姿を消した。


 魔術じゃないな。この屋敷では許可した者以外、魔術は楽に発動できない。

 純粋な体術、彼女のスピードに感心した。


「消えた⁉」「ど、どこに行った⁉」「ぜ、ぜんぜん見えないわ⁉」


 高速移動した猫娘に、使用人たちはあたわたしている。

 ボクだって目で追えていなかった。


「――お覚悟ください!」


 背後で声がする。

 ボクを突き飛ばすつもりかなー、貧弱ボディで耐えきれるかなー。身体能力では絶対に勝てないんだろうなーと、いろいろ呑気に思った。


 彼女がボクに触れる寸前、オートで風魔術が発動する。


「はい、捕まえた」

「きゃっ⁉ や⁉ う、動けません⁉ か、風⁉」


 猫娘は空中で糸にからまったみたいに身動きできずにいた。

 ボクの身にまとわせていた風が反応して、ちょっとした乱気流となって自動で防御してくれたわけだ。

 風防術とでも名付けようかな。


 使用人たちが喜びの声をあげる。


「オリン様が新しい術を⁉」「とんでもない精密な操作だ!」「記録班! 急いでレポートとスケッチの準備を!」「ライラ様がお喜びになるぞおおおおお!」


 記録班?

 母上……愛の重さが加速していません……?


 親の愛に嬉しいやら恥ずかしいやらしていると、猫娘が悔しそうに目を細める。


「ずいぶんと愛されていますのね」

「ホントだね。うらやましいよ」

「なにを他人事みたいに……。わたしをどうするおつもりで?」


 空中で身動きできない猫娘は、警戒心バリバリににらんでくる。

 隙あらば喉でも食いちぎってきそうな子に、ボクは笑顔で告げた。


「ボクと友だちになろうよ」

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