第25話 愛桜とダイレクトアタック 上
ノー残業デーの水曜日の退勤後。
晩夏の夕日に照らされる長い影を引き連れて、僕は今日も
最近の愛桜は、バッティングフォームを研究することにご執心で、今日は全身を脱力してグネグネと揺れながらタイミングを取っていた。
こんにゃく打法?というらしい。
見る限り、フォームは様になっているのだが、別にそれが打撃成績に直結するわけではないようだ。
ブースから出た愛桜は、こんにゃく――というよりかは『こんにゃくゼリー』のように、足腰をふにゃふにゃにしてベンチに倒れ込んだ。
「あー、全然打てなーい!」
「おつかれさん。えっと、やっぱり普通のフォームがいいんじゃないか?」
「んー、それはそうかもだけど、やっぱり個性を出していきたいというか……」
そういうのは、打てるようになってからするべきなんじゃないだろうか。
愛桜は、小さめにため息をついた後、そのため息をかき消すように元気な声を出して嘆いた。
「最近スランプだなー。やっぱりここ最近の疲れが出てるのかも」
「そうだな……。あんまり無理しないようにな」
僕は、「もともと言うほど打ててなくないか?」という疑問を、いったん胸の奥にしまい込んで愛桜の身を案じた。
円滑なコミュニケーションのためには、思ったことを口に出す前によく考えることが大切なのだ。
僕のような気遣いマスターには、それが手に取るように分かる。
それから、しばらく二人で夕空を見上げた後、愛桜は何かを言いたそうなジト目をして再びブースへと入っていった。
もちろん、その間に何も会話は発生していない。
カラスか鳩の飛び立つ羽の音だけが、僕たち以外に人のいないバッティングセンターに、やけに響いていた。
うん、ごめん。全然気遣いマスターとは程遠かったわ。
難しいよな、人間って。
愛桜に目を向けると、今度は両打席ブースで、右打ちと左打ちを一球ごとに交互に切り替えて打っていた。器用かよ。
たしかに、甲子園で相手投手を混乱させるためにそんなことをする選手もいたらしいが、ピッチングマシーンの心を揺さぶっても何も効果がないと思うぞ……。
僕は、そんな愛桜を眺めつつ、時には気遣いにあふれる茶々を入れながらも、ゆったりとした退勤後の時間を過ごした。
*
程よく汗をかいた僕たちは、バッティングセンターのあるビルの一階の中華料理屋である、『
相変わらず、店の名に似合わず店内はガラガラだが、このお店は大丈夫だろうか。
愛桜と一緒に来た駅に戻ろうとすると、凛が駅に向かう人通りの少ない道を反対方向から歩いてくるのを見つけた。
今日の凛は、胸元にワンポイントで白いリボンのついた白いブラウスに、くすんだピンクのミモレ丈のスカートを着ている。
全体的に、オフィスカジュアルといった装いで、いつもより上品かつフェミニンな雰囲気の服装だ。
時間的にも、おそらく会社から帰るところだろうか。
そうか。以前から、バッティングセンターのあるこの駅名に何か聞き覚えがあると思っていたが、凛の勤務地か何かだったか。
平常時だったら特に何も考えずに話しかけるのだが、何もない平日に僕と愛桜が会っているのを見られるのは不味い。
――いや、別に本来は一ミリも不味くはないのだが、変に関係性を隠している以上、できるだけ見つからない方がいいだろう。
僕と愛桜は、顔を見合わせて頷くと、ひとまず近くにあった横断歩道を渡って反対側の道へ移動することにした。
他には僕たちしか待っていない、小さな歩行者信号が早く青になることを、今か今かと待つ。
そして、暖かな信号の電球が緑色の光を放ちだした瞬間、僕と愛桜は弾かれたように動き出した。
でも、急に走り出すと注意を引くかもしれないので、気持ち早歩き程度のスピードで信号を渡る。
横目で凛の姿を確認すると、僕たちのさっきまでいた辺りまで到達した瞬間、いきなり凛が走り出したのが見えた。
これは、もしや気づかれたかと思いきや、凛は僕たちの方には脇目も振らずに通り過ぎていく。
僕が思わずびっくりして固まっていると、その後ろからすごいスピードで凛を追いかける男が現れた。
その男は怒気をはらんだ声で凛の名前を叫んでおり、ただならぬ様子ではなさそうだ。
おそらく、以前に凛が話していたストーカーなのだろう。
その男は凛に追いつくと、後ろから凛の腕を引っ張って何かをがなり立てているのが見える。
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今回もお読みいただきありがとうございます。
次は、明日の12/22の更新です。
先輩で同期で後輩の愛桜ちゃん 上ノ空 @OSoraku_Sora
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