第10話 愛桜は諦めない 上
「そうなんだよね……。私は、営業をやりたくて、うちの会社に入ったわけじゃない」
「
「でもね。うちの会社の商品は好きだし、別に転職とかをしたいわけじゃないんだ」
そう言うと愛桜は、ブースの外で待っていた僕を通り越し、自動販売機の横のベンチまで歩いて行った。
僕も後を追って自動販売機まで近づくと、思い立って缶ジュースと缶コーヒーを一本ずつ買う。
ガコンという大きな音がして、陽気なオレンジ色のパッケージと、深遠な黒色のパッケージの缶が転がり落ちてきた。
僕はベンチに腰かけていた愛桜の横に座り、手に持った二本の缶を愛桜に見せながら、下を向いている愛桜に声をかける。
「これ、どっちがいい?」
「勝負の景品じゃなかったの?」
「悩んでいる後輩の話を聞くのは、先輩の役目だから」
「……ありがとう」
愛桜は、缶コーヒーを受け取るとその缶を開封せずに、大切なものを持つみたいに両手で持ちなおした。
僕が缶ジュースのプルタブを開けると、炭酸のはじける音が耳に響いた。その余韻を残したままの缶を、口に運んで一口だけ飲む。
顔を傾けたことで、ふと目に入った空はどんよりしていて、梅雨の時期らしく今にも雨が降り出しそうだった。
酸っぱくて甘ったるいオレンジの香りに取り囲まれながら、僕たちは話を続ける。
「営業、やりたくないの?」
「うーん……。そういうわけじゃないんだけど、今ぼんやりと思ってる私の将来設計からは外れてて、それが少し不安……なのかもしれない」
「なるほどな……」
去年、何も知らなかった入社したての僕は、営業はノルマや実力主義の傾向が大変そうだと思っていたし、もちろんそんな職種を希望したわけではなかった。
それなので、正直、愛桜の言うことも分かる。
なんなら、新人にはとりあえず営業をやらせとけみたいな風潮、何とかならねえかとすら思っている。
でも、それはそれとして、愛桜に営業の面白さや重要性を知って欲しいと思った。
「僕だって、別にやりたくて今の仕事をしているわけじゃない……と思う」
「そうだったんだ……」
「うん。でも、今の仕事はやってみたらやりがいもあるし、数字を作るのが少し楽しくなってきた」
たが、楽しい時だけでなく、辛い時もたくさんあるのが現実だ。
提案を断られることはしょっちゅうだし、例えば月の後半になって月間目標を達成できていない時なんかは、生きた心地がしなくなる。
愛桜は、僕の主観的で鼓舞的な営業にまつわる話を、静かに頷きながら聞いていた。
やがて、大きく息を吸って、小さくため息をついた。
「そうだよね。与一の言うように、営業の仕事も、大好きな商品をみんなに広げていくっていう意味では、私のやりたかったことなのかもしれない」
「うん」
「でもね。私はその商品を作るところに関わりたいの! そういう仕事をしたいの!」
商品を作る仕事。いわゆる、企画職だ。
少し考えてみて、たしかに愛桜は企画職に向いているかもしれないなと思った。
大学時代、国際交流サークルのプレゼン大会では、斬新なアイデアで仮説を立てたかと思えば、根気強い調査によってその裏付けを取って、論理的に説得力のある資料を作っていた。
例えば、デンマークやノルウェーの風土や特徴をまとめていたときには、現地の人たちと交流するなかで、彼らも意識していなかった潜在的な共通のトレンドを見つけ出していたこともあった。
また、鬼のようなスケジュールで何とか提案資料が間に合ったのも、愛桜が効率の良い段取りを立ててくれたおかげである。
少しの沈黙があって、愛桜が缶コーヒーを優しく横に置き、勢いよく立ち上がった。
「もう! なかなかうまくいかないもんだね!」
「そうだな」
「でも、私は諦めたくないの!」
僕は、こんなに声を荒らげて、感情をあらわにする愛桜を初めて見た。
こんな状況で思うことではないかもしれないが、先輩や同期としての愛桜にはなかった側面を見せてくれているようで、少し嬉しい。
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次の更新は、10/26です。
[2024/12/12更新]
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