第2話 先輩の愛桜さん
居酒屋を出てハチ公前の広場を横切り、駅の反対側の出口にある店の前に行くと、既に十人ほどが集まっていた。
今回の食事会は、三年以内のゼミの既卒者に声をかけて開催されたらしい。
集まっている人たちの顔が確認できるくらいまで近づくと、先輩の何人かが
僕は「おつかれさまです」とだけ告げて、同級生のグループへ混ざるためにその場を離れる。
その中の一人が、僕を見つけて声をかけて手を振ってきた。
「よう与一、久しぶり! この前の忘年会以来?」
「おぉ
同期の鳥栖は、ひとことで言うと、コミュニケーション能力の高い青年である。
誰とでもすぐ打ち解けることができるタイプで、対立する勢力や学部の壁を越えて多くの友人がいる。
そのバランス感覚を遺憾なく発揮して、大量の講義を受けながら卒業に必要な単位数のギリギリを見極め、必要最小限の労力で学部を卒業してみせた。
いつも黒縁の眼鏡をかけているが、GPA(大学の成績)は片目の視力より低かったらしい。
鳥栖は、人差し指を鼻に近づけてその眼鏡の位置を軽く直した後、思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、今日は珍しく、
「へえ、会うのは卒業式ぶりかも。まあ、SNSではけっこう連絡とってるけど」
「そうなの? お、噂をすれば……」
僕たちがいた居酒屋のある方向から、光沢の無い白のブラウスに、ネイビーのロングスカートを着た凛が歩いてきた。
アップにされた前髪と、背筋をピンと伸ばした上品な歩き方は、生真面目さと育ちの良さを感じさせる。
凛は、僕たちに気が付くと、控えめに手を振って近付いてきた。
「みんな、お久しぶり」
「凛! 久しぶり」
「凛ちゃん、元気にしてた?」
僕たちは、凛に手を振り返しながら答えた。
同期の凛は、上にならってひとことで言うと、才色兼備な女性である。
理路整然と物事を考えるタイプだが、他人に理屈を押し付けることは無い。そのため、テスト前には彼女に教えを乞う長蛇の列ができ、献上されたお菓子類が山のように積まれていた。
――というのが、おそらく大学における凛の周囲からの印象であろう。
実は、僕と凛は地元が一緒だったので、小学校高学年から中学校にかけて同じ学校に通っていた。
そこでの昔の凛は、どちらかというと「元気キャラ」だったことを覚えている。
休み時間に男子と混ざってドッヂボールをし、給食の残り物じゃんけんにも参加するが、授業中はウトウトしているといった具合である。
だから、中学の終わりごろに転校した凛と、大学生になって再会したとき、その変わりようには正直驚いた。
まあ、どちらの凛も本人の持つ魅力が人を惹きつけるのか、人の輪の中心にいることには変わりがないのだが。
近況報告がひと段落すると、凛が怪訝そうに聞いてきた。
「そういえば、与一って愛桜さんと仲良かったっけ? さっき私の前を二人で歩いていた気がして……」
「あ。いや、たまたま駅前で会っただけだよ」
「ふーん、そうなんだ」
そう、僕と愛桜はゼミの関わりのなかでは、ただの後輩と先輩という関係性なのである。
ゼミ活動中の愛桜は、先行研究調査や発表資料作成の手伝い、はたまた論文に悩む女子へのメンタルケアなど、非の打ち所がない程度には「先輩」だった。
僕もその「先輩モード」の愛桜に大いに助けられたこともあり、なんとなく周囲に仲の良さを伝えるタイミングを逃している。
その後、時間ぴったりに教授が到着して店のなかに入った。
先ほどの居酒屋とは打って変わって、店内は落ち着いた和風であり、間接照明が目に優しい。
僕の前に愛桜が座り、横には凛と鳥栖が座った。
席に着くなり、愛桜によく懐いていた凛が、待ってましたとばかりに愛桜に話しかける。
「この度は、大学院のご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。ついにモラトリアムが終わっちゃった……」
「愛桜さんなら、すぐにでも社会で活躍できますよ!」
僕は、その後の愛桜の就職先の業界の話を、まるで初めて聞いたかのように相槌を打ちながら聞いていた。
愛桜は、久しぶりに会った後輩たちとの距離を感じさせないような、親しげな表情を浮かべて言った。
「みんなは、どう? やっぱり、お仕事大変?」
「俺はけっこうやばいっす。なんか資格取らなきゃいけなくて、正直大学の頃より勉強してますね」
「え、大変だね。院生より勉強してるかもね」
「いやー、さすがにそこまでは……。そうだ、勉強のモチベーションを上げる良い方法ってあります?」
こうして、鳥栖の愚痴を聞きつつもしっかりと相談に乗る愛桜を見ていると、やはりこの人は先輩なのだなと実感する。
事前に二杯ハイボールを飲んでいることなどは感じさせないような、理性的な受け答えである。
鳥栖の話に、とりあえずスマホを破壊しようという物騒な結論が出た後、愛桜が僕に話を振ってきた。
「どう? 与一くんは、何か悩みとかある?」
「あー、特にないですね」
僕は何となく話題を流そうとしたが、鳥栖が食い気味に口を挟んだ。
「愛桜さん、こいつの悩みなんて、恋愛事しかないっすよ」
「え、与一って、彼女いたの!?」
勝手に適当なことを言わないで欲しい。
というか、こういう話題に興味の無さそうな凛まで反応したことに少し驚いた。
「残念ながらいないですよ」
「えー、ほんとかな? じゃあ好きなタイプは?」
愛桜の追加の質問に、また間髪入れずに鳥栖が差し込む。
「愛桜さん、こいつは黒髪ロングに目が無いですよ」
「ふーん、与一くんってやっぱりそうなんだ!」
本当に勝手に適当なことを言わないで欲しい。
凛が、ちょっと居づらいみたいな雰囲気で、自身の肩まである艶やかな黒い髪の毛先を撫でているのが見えた。
気まずいのはこちらも同じである。
幸い(?)にして、愛桜は僕に彼女がいないことを知っているので、話題は大して盛り上がることなく流れた。
なお、僕は黒髪ロングより、どちらかというと茶髪ボブの方が好みだ。
ただ、女性の好みを上から目線でとやかく言えるような身分ではないので、もし黒髪ロングの女性から好意を向けられたあかつきには、真剣なお付き合いを考えさせていただく所存である。
その話の流れのまま、凛が愛桜の髪色についての話題を振る。
「あの! 今日の愛桜さんの髪、すごく可愛らしいと思ってました」
「ありがとう嬉しい。そういえば、凛ちゃんはずっと黒髪のイメージあるけど染めないの?」
「実は、染めたことなくて。いつか茶色とかにしてみたいです。愛桜さんの髪色は、なんていう名前なんですか?」
そこまで二人の話を聞いていて、僕は思わず口を挟んでしまった。
「その色、トレンドのミルクティーベージュですよね。いやー、今日会った時からすごく似合ってるなって思ってました」
愛桜は、一瞬、何か言いたげな表情をしたが、すぐに表情を取り繕って言った。
「ありがとう。与一くんの髪も、エスプレッソブラックって感じで素敵ね」
「いや、かっこよく言っても、それただの黒い地毛じゃないですか!」
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