第5話 読書日和



すっかりと餌付けされたニャトランを元の世界に戻すため、僕は朝から魔導書『死霊組成』を読み進めている。


暗記力向上と高速思考の術式を使っているため8巻はすでに読み終えており、今は9巻を読んでいるところだ。


記憶力向上と高速思考の術式は8巻の巻末に載っていたものだが、出来ればもっと早く覚えたかったというのが正直な心情だ。



まあそれでもこの2つの能力は、魔導書を読破するに辺り大変に役立つ事は間違いない。


それに今日は都合よく休日。連日の記録的な暑さの中でも、この地下室なら冷暖房完備で過ごし易く読書に費やすにはちょうどいい。



ポテチを頬張りながらテレビを観るニャトランを他所に、僕はせっせと第9巻を読み進める。


魔導書の秘術は召退一式で、召喚陣を覚えたら退去陣を覚えるのが基本だ。



『ゲート』の秘術の場合もほぼ同じ。ゲートの開き方、渡り方、戻り方、この3つを同時に覚えなくてはならない。


開き方で異世界へのゲートを開く。この段階ではどの世界にもゲートが通じているランダムな状態で、行き先を決める事は出来ない一方通行な状態だ。


渡り方で任意の異世界へとゲートを繋げる。お祖父ちゃんが選んだ比較的に優しい世界へ繋がる術式だ。


そのため他の世界に行く場合には、新しく術式を組み上げなければならない。



そして最後の戻り方でこの世界とのゲートが繋がり、対面通行として行き来が出来る様になるのだ。


この中のどれかが中途半端だった場合、次元迷子になってしまうリスクが生まれる。


次元迷子とはその名の通り亜空間での迷子だ。



ゲートとは亜空間を経由してそれぞれの世界を繋げる秘術。術式が不完全でゲートが上手く繋がっていない場合、亜空間への脇道が出来てしまう。


そうなるとゲートを通過中に、その脇道に外れる確率が跳ね上がるのだ。


そしてもし亜空間で迷子になった場合、その者は何処かの世界に入る事も出る事も出来ず、永遠に亜空間を彷徨う事になるだろう。


このゲート三原則が出来る前は事故が多かった。亜空間で迷子になり戻らない者がたまに出たのだ。


それに以前に、異なる世界と世界とを繋げるには莫大な魔力と準備日数が必要だ。時には奴隷を生贄にして強引にゲートを繋げていたと云う話もある。



だがこのゲート三原則で安全にゲートを渡る事が出来る様になったのだ。このゲート三原則と召喚.退喚の簡略化はお祖父ちゃんの最大の功績だと言われている。



「…… 成程、『ゲート』の秘術を使う場合は、開き方、渡り方、戻り方の3つの術式を完全に覚えてからの方が良さそうだな」


それともう一つ『ゲート』を通過する為にはある魔道具が必要だ。それは『真紅のトラペソ.アーリキア』という七芒星のお守り。


魔導書によるとこの『トラペソ.アーキア』無しにゲートを渡った者は、異空間に住むといわれる虚無の魔獣『テグ.ンン』に見つかるリスクが跳ね上がるとの事。


赤と黒を雑に混ぜ合わせた不形態の生物で、出会った生き物の精神に干渉してくる不気味で悍ましい生命体だ。


この魔獣『テグ.ンン』に見つかり捕まった者は、逃げる事も隠れる事も出来ずに精神を苛まれ、生きたままに魂を貪り食われて永遠の苦痛に苛まれるという。


『トラペソ.アリーア』無くして、ゲートを渡る際の『テグ.ンン』との遭遇率は50%。


この確率が高いかどうかは人によるが、この魔道具を携帯した際の確率はほぼ0%。それにもし出会ったとしても、このトラペソ.アリーキアを持っていれば襲われる事は無いという。持たない手はないだろう。


僕の場合は魔導書の表紙にデカデカと『トラペソ.アーリア』の七芒星が付いているため、魔導書と共に渡れば何の問題もない。



『死霊組成』の全冊の巻頭に、お祖父ちゃんの丁寧な魔導書レクチャーが書かれており、これから魔導書を読み進めるにあたり大いに助けになる。



(お祖父ちゃん、死んでからも僕の助けになってくれて、ありがとう……)


いつでも死んだお祖父ちゃんへの感謝は忘れない。今日もお祖父ちゃんが好きだった日本酒をお供えしてある。



「ニャハハハ! この漫画という本は本当に面白いニャ、最高ですニャン!」


片手にコーラを持ちながらお祖父ちゃんが昔描いていた、古い漫画本を笑いながら読むニャトラン。こちらでの生活を満喫している様だ。



「……」


それにいつの間に仲直りしたのか、ニャトランの隣でタマが気持ち良さそうに寝入っている。同じ猫同士で通じるものがあったのだろうか、まあ仲がいいのなら問題はない。


僕はそんな喧騒を避ける様に防音設備が整った個室に入った。集中して物事を進めたい時はいつもこの部屋を使っている。


それに今日は暑くも寒くも無く、読書をするのに丁度良い陽気だ。まあ、この部屋の中ではそれも関係ない話しなのだが……



「さあ、気合いを入れて読むか……」


第8巻に載っていた暗記能力の向上や高速思考のおかげで内容を覚える事なら問題はなく、僕は予想よりもかなり早く第9巻を読み終える事が出来たのだ。


お祖父ちゃんが初心者の僕でも順序通りに無駄なく魔導書を読み進められる様に編集してくれており、僕は9巻を読み終えた時点で全ての魔導書の力を扱える様になった。



だが今僕が居る地球では現状、殆どの能力が封印されており使えない状況だ。


扱えるのは魔導具作成の為のちからや、ゲートや召喚など、魔導書の生贄の為の力や異界へ渡る為の力だけ。まるで異界に渡る事を事前に想定されていた感が否めない。


考え過ぎかも知れないが何らかの理由でお祖父ちゃんは、僕を異界へ行かせたいのかも知れない。


とりあえずは今出来る事をするしかない。



魔導書の内容を覚えることは出来た。ならば後は規模を小さくした『ゲート』での実験だ。


ゲートや魔法陣の拡大、術式や魔法陣の縮小は7巻で覚えている。ゲートの規模は30センチ×30センチ、そして繋がったあちらの世界に送る物のが直径8センチ程の軟式球。


今回の実験は開通を確認するだけのものだ。だからこちらから送るだけの一方通行の予定だ。


ボールだけじゃ向こうの世界からゲートを渡る事は出来ないからね。


ゲートを開くと空間に、猫の目を縦にした様な亜空間の裂け目が現れた。その中心から異次元の彼方に光の筋が通って見える



「う〜ん…… 光の筋も通っているし、大丈夫だとは思うけど……」


初見では判断に悩むところなので、何度かの実験は必要だろう。まあ術式は完璧なので余程の間違いか、緊急のトラブルでもない限りは大丈夫だと思う。


だが心配なものは心配だ。それに失敗バージョンの結果も実験で見ておきたい。



「あとは意思のある者にテストパイロットになってもらうか…… 」


扉に付いた強化窓越しに、寝転びながらポテチを貪りテレビを観るニャトランを見る。すっかり此方の生活に馴染んでおり危機感の欠片も見られない。



「彼を騙すのは気が引けるね、となると……」


僕の脳裏に休日前の学校での出来事が思い出される。僕を騙して笑い者にしようとしていたカースト上位の連中。


僕は流石にそれだけの理由で彼等を実験台にする様なサイコでは無い。



「どこかに都合よく犯罪者でも居ないかな……」


こんなサイコチックな考えに浸っている間はない。今は非生物でのゲートの実験を繰り返そう。


ちなみに異世界にゲートを繋ぐのはほぼ100%の成功率だ。10回実験を繰り返した結果その全てが成功だった。


やはり使う秘術の術式に故意な改正が無い限りは100%成功する様だ。死んだお祖父ちゃんには感謝仕切りである。


そしてわざと間違えた場合の実験結果も、面白いものだった。


まず『ゲート』の術式を魔法陣の一部を欠いた状態で使ってみた。その結果、『ゲート』の秘術が発動すらしなかった。


土台の魔法陣が不完全では起動すらしない様だ。


次に術式の詠唱のスペルを微妙に変えて唱えてみる。その結果も先ほどと同じで、秘術自体が発動しなかった。


完成された術式を弄っても今の僕では正確な改変は不可能。もっと修行が必要だという事だ。



なので今度は完成されている開き方、渡り方、戻り方のゲート三原則の一つを省いたり、順番を変えて術式を起動させてみた。


その結果は僕の予想通り開き方と渡り方だけでもゲートは開いた。だがこの場合には渡った際に何等かの障害が起こり得ると思われる。


例えるならタイムラグや転移地点のズレなどがそうだ。



次は三原則の順番を変えてゲートを起動してみる。その場合は真っ直ぐな道筋は通らず、グネグネと歪なゲートが出来上がったのだ。


慌てて術式を止めたためボールでの実験は出来なかったが、『ゲート』の術式を止めて正解だったと思う。


何故ならば、ゲートの歪みが徐々にゆっくりと膨張し始めたからだ。 



あのままゲートを起動した状態だとほぼ間違いなく、僕どころかこの地下室をも飲み込み、しまいには世界を飲み込む程に歪みは膨張していただろう……。


この結果を受けて僕は故意の失敗は2度としないと心に決めた。


故意とはいえ失敗した際のリスクは分かった。後は僕の満足が行くまで『ゲート』の術式の実践を繰り返すのみ。


それでも徹夜での実験はダメだ。注意力が散漫になり失敗に繋がる事になる。無理は禁物、焦る必要は無いのだ。何とか『ゲート』の秘術の道筋は見えて来た。


時間的余裕が無いため、ゲート開通の本番は夏休みに入ってから行う予定だ。



「僕の本業は学生だからね、学業に影響が出ない程度にして行う」


こうして僕の休日は慌ただしく過ぎて行った。



ーーーーー



そして月曜日、僕は休日明けの憂鬱な気分と共に目覚めた。


ニャトランはテレビを観ながら徹夜でもしたのか、地下室のソファの上でイビキをかきながら眠っていた。


すっかり仲良くなった様で、その腹の上には猫のタマも寝ている。



「…… 」


少し思う所はあったが、彼等を起こすのも何なのでそのまま登校する事にした。


通学途中はいつもの様に魔導書を読みながら過ごした。『ゲート』の本番は夏休みに行う予定なので、それ以外に出来そうなモノを探す。


材料が揃っていて作れそうだった魔道具は、軒並み製作済みだ。力が2倍になったり足が速く成る指輪、悪意や邪を感知するピアス、無飲無食で1ヶ月間過ごす事が出来る指輪なんて便利そうな物まで有るのだ。


材料はお祖父ちゃんがお金と自らの腕で集めた物で、中には異世界産の物まである。


まだまだ在庫は有るので、今度はホムンクルスでも作ってみようか。生命の創造なんて夢が有っていいよね。


ホムンクルスに必要な材料は、精霊の涙一雫、月の雫一滴、マンドラゴラの右脚1本、乙女の月経血に童貞の精子……


最後の2つは色々とヤバそうだが、他の材料はお祖父ちゃんが集めてくれたストックの中にある。


一体お祖父ちゃんはどうやってこんな色々な物を集めたのか、精霊の涙なんてどうやって手に入れたんだ?


僕にも集める事が出来るのだろうか? まあ今は焦らずにゆっくりと僕の出来る事をやろう。



「……ホムンクルスか……(最後の2つの材料、一つは仕方なしに僕が用意するとして、もう一つの方が問題だな…… )


もちろん僕に恋人なんて居ない。都合よく幼馴染や可愛い妹なんかも居ない。


(さて、どうしたものか……)











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