蟹光線

悠戯

蟹光線


 カニからビームが出た。


 この奇妙な事件が最初に確認されたのは西暦20xx年、北海道沖で操業中だった漁船「博幸丸」の難破事故だとされている。北海道から北東方向の沖合、オホーツク海においてカニ漁を行っていた船からの助けを求める無線を海上保安庁の巡視船がキャッチしたのである。


 季節はカニ漁のシーズンも終わりに差し掛かった四月頃。

 一説によれば真冬の北海道の海に落ちた人間は、七秒以内に低体温症からの意識喪失、間もなく心停止に至るとされる。これが真冬であれば間違いなく生存者は望めなかったであろう。


 救難無線を受信してから現場の海域に到着するまで約二時間。

 大破・炎上した船から海に落ちたと思しき乗組員を発見するまで、更に一時間かかっての計三時間。元々二十名以上はいた乗組員のうち、船長の朝川氏を含む三名だけでも助かったのは望外の幸運と言えよう。長年に渡り海と格闘してきたベテラン漁師の体力とは凄まじいものである。



 だが、残念ながらここから風向きが変わってきた。

 救助に当たった海上保安庁の職員が、残念ながら救命が間に合わなかった遺体を引き上げた際のことである。ライフジャケットを装着したその遺体には、頭部に一円玉ほどの大きさの穴がぽっかりと開いていたのだ。


 まるで銃火器で撃ち抜かれたような傷と言えば分かるだろうか。

 よくよく観察すれば傷口周りの肉が焼け焦げているのも見て取れる。

 仮に船のエンジン周りに何らかの故障が発生したとして、さらに仮定を重ねて小さなネジや機械部品の破片が爆発で飛ばされたとして、こんな風な穴が開くものだろうか?


 続いて引き上げられた他の遺体にも、胸や下っ腹、首や大腿部などに同じような穴が発見されたことで疑惑は更に深まった。疑惑とはすなわち、当初は船の機械トラブルに端を発する不幸な「事故」と思われていたものが、実は違法に入手した銃火器を用いての「事件」なのではないかという疑いである。


 実際、漁師に偽装した犯罪組織の構成員による銃火器や薬物の密輸、あるいは本物の漁師がある種の副業としてそういった“アルバイト”に手を染める事例は日本のみならず海沿いの国々ではさして珍しいことでもない。



 まず考えられるとすれば、武器の密輸に関わっていた組織内での仲間割れ。船上で銃撃戦が発生し、その際に誤って燃料の入ったタンクを撃ち抜いて爆発、炎上、大破に至った……あたりだろうか。


 救助された面々を濡れた服から着替えさせる際にそれとなく身体検査を済ませ、銃やナイフといった凶器の類を持っていないことは確認済み。

 とはいえ、油断は禁物である。もしかしたら、この生き残りの三人は仲間を撃ち殺したばかりの密輸組織の構成員かもしれないのだ。警戒していることがバレたら、どんな風に豹変するか分かったものではない。無謀にもシージャックなど試みられたら一大事である。


 詳しい遺体の状態については専門家による鑑識結果を待つ必要があるにせよ、この異常事態を確認した時点で巡視船から道警へと連絡が飛んでいる。幸い、三名に怪我らしい怪我もない。今はストーブで身体を温めているが入院の必要はないであろう。


 これによって巡視船が帰港した時点で港にはパトカーが待ち受けており、朝川氏と他二名はそのまま警察の取調室に招待される運びとなったのである。


 さて、前置きが長くなったがようやく本題に入ろう。

 以下の一文は朝川氏の供述を担当刑事が記録したものである。



「カニからビームが出た」



 この時点では違法薬物を使用した疑いが深まるだけの一言でしかない。

 尿検査の結果、特にイケないお薬を使用した形跡はなかった為、単に事故のショックと仲間を失った精神的ストレスで錯乱していたものとされ、密輸云々の疑惑についても証拠不十分で無罪放免。テレビや新聞でも特に大きく報じられることもなく、よくあるニュースの一つとして世間から忘れられる事となった。


 もしも、この時点でカニビーム発言を誰かがより重く捉えていたら、今後の流れが何か変わったのだろうか。言っても仕方のないことではあるが。





 ◆◆◆




「カニが攻めてきたぞ!」


 博幸丸の事件から半年後。

 ようやく夏の暑さも落ち着いてきた十月頃のことである。


 カニが海から攻めてきた。

 冗談でも幻覚でもない。

 いや、本当に。真剣ガチ真実マジで。

 ついでに言えば、妙ちくりんなサメが暴れまわる映像作品を好む特殊な映画愛好家をターゲットとしたキワモノ新作映画でもない。


 本当にカニが海から攻めてきたのである。

 しかもハサミからビームを撃つ。

 連中が自慢のハサミをかしゃかしゃと開閉したと思ったら、次の瞬間には強力な熱線が放たれてヒトや動物や建物に風穴を開けているのだ。信じられないかもしれないが本当なのだから仕方ない。かの名探偵シャーロック・ホームズも「最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実である」みたいな感じのことを言っている。



 これによって最初に阿鼻叫喚の地獄絵図となったのは人気のビーチリゾート。

 すでにサマーシーズンの盛りは過ぎているとはいえ、ハワイやバリやタヒチ等々、日本においては沖縄などには海水浴目当ての観光客はいくらでもいる。そんなバカンス中の彼ら彼女らがカニの放つ光線の餌食となったのだ。



「なにっ、カニがビームを撃ってる!?」


「いやいや、流石にそれは……本当にレーザー出てる!」


「くそぉ、ビームなのかレーザーなのかハッキリしないと夜も眠れないぜ!」



 ちなみに「ビーム」と「レーザー」の違いは、前者が光や何らかのエネルギー、その他目に見えない何かで形成された線。後者は「ビーム」のうち誘導放出という仕組みを用いて増幅された光線インターネット調べ。カニが光線を出す原理が一切不明な現状においては「ビーム」のほうが適切と考えられる。


 どうやらビームの威力はハサミの大きさに正比例するらしく、世界最大種タスマニアキングクラブが生息するオーストラリア南部の沿岸部などは特に壊滅的な被害を被っている。

 なにしろ巨大なハサミから放たれる熱線は一発で高層ビルを倒壊させるほどの威力があり、しかもそれを何十何百と連発してくるのだ。

 一体、何をエネルギー源としているのやら。明らかにエネルギー保存則に反している光景だが、実際に出ているのだから仕方がない。エアーズロックも粉々に粉砕された。





 こうして海沿いを中心に全世界的にカニビームの被害が急速に広がっていったわけだが、海から離れた内陸部にいれば安全というわけでもない。生きたカニを販売していた鮮魚店や水族館、観賞用として飼育していたアクアリウム愛好家も少なくない。


 無論、大半のオーナーは騒動が大きくなるにつれて慌てて殺処分にかかろうとしたのだが、相手は薄い鉄板くらい易々と貫いてくる光線を四方八方に向けて撃ってくるのだ。

 結果的にそれで水槽内に酸素を供給する装置を自ら破壊して窒息してしまったり、それまで餌を与えていた飼い主がいなくなって餓死するなどして自滅する個体も相当数いたのだが、人間側の被害は明らかにそれ以上。

 サワガニやモクズガニなど河川を主な棲み処とする淡水生のカニも数多い。完全に安全と言えるのは、いずれの生息域とも遠い砂漠地帯くらいのものだろうか。




 カニがビームを出し始めてから数日。

 そこでようやく半年前の博幸丸事件に注目が集まり始めた。

 当時はあまりに荒唐無稽なためマトモに取り合われることもなかったが、今なら誰もが信じるだろう。一体あの日あの海でカニ達に何があったのか。その謎を解き明かすことが人類に残された数少ない活路であることは最早疑いの余地もない。


 大至急、重要参考人として東京から北海道へチャーター機が飛ばされ、事件の当事者にして第一目撃者だった朝川氏と乗員二名がカニビーム有識者として国会へと招致される事となった。

 それに加えて自衛隊や在日米軍の高官、日本各地の大学から急遽呼び集めた生物学者に海洋学者、果てはカニを扱う食品加工メーカーの社長まで。もうヤケクソである。


 そんな各界のお偉方が集う前での朝川氏の第一声は……。



「だから言ったじゃないか!? だから言ったじゃないか!?」



 半年前は身に覚えのない密輸犯だの薬物中毒者だのと疑いをかけられたのに、今やこの手のひらの返しぶり。文句の一つや二つ言いたくなるのも当然であろう。同じく参考人として東京行きに同行してきた当時取り調べに当たった道警の刑事は、先程から必死に頭を下げて謝り通しである。


 しかし、生き残りの三名にとってもカニは仲間の命を奪った憎き仇。

 とりあえず文句を全部吐き出して一旦落ち着いたところで、朝川氏達も当時の記憶を辿りながら対策を考えることに同意した。


 とはいえ、彼らとしても把握しているのは獲ったばかりのカニがいきなり光線を発射して仲間や船を攻撃してきたという程度。そもそものカニがビームを撃ち始めた原因や、その対策が都合よく浮かぶはずもないのだが。



「あ、そういえば」



 あの半年前の漁から遡ること更に数日。付近の海に小さな隕石が落ちるのを見たという証言が船員の一人から出たものの、果たして本当にそれが関係あるのかどうか。

 隕石に乗って飛来してきた未知の宇宙物質だのウィルスだのが原因で不思議なパワーに目覚めるという筋書きは、漫画や映画においてはお馴染みの設定であるが、仮にその通りだったとしても何でパワーに目覚めるのがカニなのか。こういうのは思春期の少年少女が目覚めるべきであろう。

 しかも意味が分からないのは、何でオホーツク海のみならず全世界のカニが一斉にビームに目覚めたのか。世界には不思議がいっぱいである。



 せっかくの有識者招致もどうやら空振り。

 このまま人類はカニに敗北してしまうのか。 

 なんでよりによってカニなんだ。せめて怖カッコいい系のエイリアンとか怪獣なら、もうちょっとくらいは心情的に納得できたのに。


 そんな絶望的な空気が漂い始める中、場の流れを変えたのはほとんどオマケ扱いで呼ばれた食品メーカー社長の一言であった。



「そもそもの話、お三方はどうやって助かったんです?」



 その発言自体が劇的な名案というわけではない。

 単なる確認である。これくらいは道警の取調室でも何度も済ませている。

 社長氏としても気まずい沈黙に居たたまれなくなって、なんでもいいから言葉を発してしまったという程度の意図しかなかった。


 とはいえ、質問は質問である。

 すでに警察で飽きるほど繰り返したやり取りだが、空気を変えたかったのは朝川氏も同様。大した意味はないだろうと思いつつも、半年前の出来事を語り始めた。



「どうやっても何も、俺らが休憩して昼飯を食いだしたところでカニがビームを撃ち……待てよ。なんで俺達だけ狙われなかったんだ?」



 些細といえば些細な疑問である。

 たまたま運よく狙いが逸れただけなのか。

 しかし二十人以上もいた仲間を撃った際の命中精度は、熟練の狙撃兵もかくやという程。しかもカニは何百匹といたわけで。その全部が狙いを外すなどということがあり得るのか。



「おい、あの日の昼飯は何だった?」


「あ、それなら供述調書に記録が残ってます。ええと、皆さんが召し上がったのは……おにぎり、卵焼き、唐揚げ、それから――――カニ風味かまぼこ。いわゆるカニカマですね」



 朝川氏の質問に取り調べを担当した刑事が手元の書類を読み上げて即答。

 カニ達が生還した三人を見逃した理由。

 カニカマが弱点なのか、あるいはカニカマを持っていた彼らを仲間だと誤認したのか。そこまでは定かではないけれども。



「いや、まさか……ねぇ?」


「いやいや、それはないでしょう……でも、まあ一応確認くらいは?」


「有る無しで言えば、そもそもカニがビーム撃ってる時点であり得んことが起きてるわけで、駄目元で誰かが確かめてみます?」



 打開策が見つかったかもしれないと言うには、なんとも煮え切れない雰囲気。

 しかし現状、これくらいしかアイデアがないのもまた事実。



「じゃあ、実験には我が社の商品を提供しますので」


「いきなり人間が試すのはリスキーだし、まずはラジコンかドローンにでも積んで撃ち落されないか実験してみますか」


「各地の被害状況のレポートに生き残った人の報告があったはずだ。現地に問い合わせてその人達が直前に食った物を調べてくれ」



 全員が釈然としない気持ちを抱えつつも、ひとまずやる事が明確になれば話は早い。関係各所に向けて連絡を取り、あれよあれよという間にカニカマ防御の有効性についての実験準備が整った。



「うわ、マジか……」


「本当に狙われないな……」


「触っても全然抵抗しない。普通のカニだ」



 そして結果は、まさかまさかの大成功。

 カニカマを手に持っている。

 もしくは衣服のポケットなどに入れている。

 あるいは数時間以内にカニカマを食べている。


 この条件のいずれかを満たすことで、カニビームの標的にされることが一切なくなったのである。試した本人達も信じられない気持ちだったが、なにしろ本当なので仕方がない。ちなみに本物のカニが成分に含まれているかどうかは一切関係がなかった。




 ともあれ、カニの弱点……なのかは不明なままだけれども、人類は急速に反撃の準備を整えた。日本全国、否、全世界の食品メーカーに協力を呼び掛けて、人類の総力を結集してカニカマの製造と配布に励んだのである。

 なんで人類が一丸となる方法がカニカマなんだという疑念はありつつも、やらなきゃ死ぬとなれば他に選択肢があろうはずもなし。



 かくして、カニ被害は急速に鎮静化。

 落ち着いてきたら一部の国でカニを養殖して兵器に転用する計画が立ち上がったりもしたものの、なにしろ対処法はすでに全世界に広まっているのである。結局使い物になることなくカニの養殖と消費が盛んになるだけで兵器化計画は立ち消えた。



 結局、カニがビームを出す原理もカニカマで大人しくなる理由も不明なまま。

 不可思議な疑問を多々残しつつも、とりあえず事件は終結。以後は時折カニカマを忘れた人間が不幸なビームに見舞われることはあれど、それも次第に数を減らしていくこととなった。


 以上が人類の存亡を脅かした蟹光線事件の全貌である。


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