第21話 春朝、瑠李の思い

 翌朝、学校までの道のりを歩いていると銀色の塊が優樹の左腕に巻きつく。

 同時に甘い匂いと柔らかい感触が広がる。


「ユウ。おはよ」


「るり姉、おはよう。朝から元気……じゃないみたいだね」


 優樹の左腕は瑠李の荒く肩で息をするリズムに合わせて小刻みに上下する。柔らかい感触の奥に素早く刻む鼓動も僅かに感じられる。

 春朝の心地よい風が撫で妙にむず痒く感じる頬を、優樹は左腕に巻き付いた瑠李を優しく引き剥がし、ぽりぽりとかく。


「むー」


「そんなにぜぃぜぃしてるのにくっついてたら休まらないよ。それより何で息が上がってるのさ?」


「ユウが見えたから走った。あそこから」


 瑠李はその小さな白い指で30mほど離れた交差点を指差す。


「……この距離で……その息切れ具合なの?るり姉、本も良いけど運動もした方が良いよ」


「う?うんどう?」


「そう、運動。」


「本読みたいし、書きたい。体動かない」


「そしたは前みたいに一緒に散歩しようよ。まずは歩くところから始めよ」


「2人で?」


「うん、一緒に。あ、でも他の人も誘っ「2人で!」ても……」


 目をキラキラさせて言葉に被せた瑠李は嬉しそうに優樹の腕に再び絡みつく。


「ちょっ!……少し、恥ずかしいです」


 優樹は息が整ってきた瑠李よりも自分の鼓動が早くなるのを感じで赤くなる。


「姉弟のスキンシップ当たり前。恥ずかしくない」


 血が繋がっていないことや、一緒に暮らす期間はあったものの親同士は籍を入れておらず実際の義姉弟にはなっていないこと、それらを説明しようとするも、声に出してしまえば“ただの異性”と突きつけることになる。

 今の関係性を壊す可能性のある言葉は言えないな、と言葉をしまう。


(うー、義姉妹と慕ってくれるのに自分だけ赤面して恥ずかしい)

 


 優樹は知らない。瑠李の鼓動が速くなったのは走ったからだけではないことを。



⭐︎…⭐︎…⭐︎…⭐︎…⭐︎…⭐︎…⭐︎

 ユウと一緒に暮らしたのは僅かに1年程度だ。

 私が中学校に入る少し前から2年生にあがって少しするまで。ちょうど今みたいな春だった。

 私はパパも雪も大好きだし、2人が一緒にいられないのは寂しかったけど“仕方ない”としか思わなかった。

 私の大好きな本の中にも、好きだけど一緒にいられない人たちはいっぱいいたし、そんな人生をいっぱい疑似体験してきた。


 思えばその頃は“仕方ない”が口癖だったのかもしれない。

 小さい頃からママがいないのも、パパの仕事が忙しくて一人で本を読む時間が長かったのも、銀色の髪の毛と黄緑色の目のせいで日本語が話せないと思われるのも、ハーフだとバカにするクラスの男子たちが本をいっぱい読んでる私よりも国語ができないのも、男子がバカにしてくると「ハーフはいいなぁ」って暗い目で言ってくる女子たちも、全部全部“仕方ない”ことだった。


 そんな時に義母が出来た。義弟もついでに出来たらしい。

 明るく笑う雪は、クラスの女子とは違い私に対して暗い目を向けることはなかった。知識欲が高くて専門としてる身体に関することだけでなく、難しい話題も難しい本もいっぱい勉強していて、私が読んできた本の数なんて雪には敵わなかった。

 いなかったママも、家族と過ごす時間も、自分よりもずっと深い知識も、バカにしたり暗い目をしない楽しいコミュニケーションも、欲しかったものは全部手に入った。


 ついでの義弟の方はよく分からなかった。ただ綺麗な目だなと強く思った記憶がある。年下なこともあり、知識がすごいわけでも楽しい話をするわけでもない。でも、なぜか一緒にいるのは気が楽だった。安心した。

 

 しばらくすると、その“なぜか”の正体が分かった。彼は他者が好きなものを絶対に否定しないのだ。それどころか「面白い」と話題に出したものは何でも吸収しようとした。

 小説を薦めれば、すぐに続編を求めてくるし、雪の持っている難しい文献も時間をかけて読もうとしていた。

 私の持ってる1年と言うハンデなんてすぐに追いついてくると思った。だから、私ももっと本を深く読みたくなった。


 また、彼は工夫が上手だった。私が“仕方ない”と思っていたことに“じゃあこうしてみたら?”と喰らいついてきた。

 彼に愚痴を言い、工夫を教えてもらい、実践する。それだけで学校の男子も女子も接し方が変わってきた。いや、私が変わったんだろう。まだ無表情らしいけど、これでも前より言葉も感情も出ている。

 彼は覚えてないようだが、本を『読む』から『書く』ことになったのも彼の工夫のおかげだ。本をもっと深く楽しみたい、と話したら楽しむための工夫を教えてくれた。本をより楽しく読むには書く大変さを味わった方が良い、だって。当時小6のくせに。


 そんな彼と離れ離れになった。久しぶりに“仕方ない”を味わった。

 さらに時間が過ぎて、パパのフィンランドへの一時帰国。やっぱり“仕方ない”ことばかりだ。ついて行こうかとも思っていたが、彼が私の高校を受験しようとしているとパパから聞いた。雪とは子どものことについては連絡を取っていたらしい。

  

 私は初めて“仕方ない”に抵抗した。“仕方ない”続きの人生でももしかしたら小説の登場人物みたいな奇跡もあるかもしれないと期待して。もちろん彼のような上手な工夫は出来ない。でも、抵抗した。そうして今を勝ち取った。

 

 久しぶりに会った彼は、人を見る目つきで不快感を与えないよう工夫して、髪の毛はもじゃもじゃになっていた。私の好きな綺麗な目は隠れてしまっていた。あれ?記憶よりも工夫は上手じゃなかったみたいだ。


 また、久しぶりに会った彼はセラピストを目指していた。“じゃあこうしてみたら?”がいっぱい言えるから彼にはぴったりだと思う。


 今日は短い距離走って息切れしてたら、“じゃあ一緒に散歩しよう”だってさ。毎回デートにしてくれるなら毎日だって歩くよ。

 


 彼にも“仕方ない”の呪縛をたまに感じる。彼が“仕方ない”に抵抗したくなったら、その時は全力で応援しよう。



 速くなる鼓動が彼にバレませんようにと願いながら彼の腕にしがみつく。

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