第3話 初ハグは初施術の後で

「ん…………くっ……」


「もう少し……深く、いれます……」


「いっ……つっ…………」


 何かに耐えるような声が空き教室に響く。



「いっ……いったぁーい」


「ふぅ……」


 優樹は額の汗を拭って続ける。


「これが肩甲骨はがしです。肩甲骨周囲筋が緩んだので可動域は拡がっていると思います」


 広瀬は肩をぐるぐる回しながら目を輝かせる。


「本当だぁ!すごいすごい!全然違うよ!」


 さながら尻尾を振る犬のようだと優樹は目を細める。


「元々肩甲骨の周囲筋は固くないですから、自主トレしてもらえれば充分だと思いますよ」


「えっ……もうこれからやってくれないの?」


 広瀬は登板前の野球選手よろしく、ぐるぐる回していた肩を止めて、目に見えてしゅんとする。尻尾が止まった、と優樹は申し訳ないと思いながら頬が緩む。


「あはは、もしも希望さればいつでもやりますよ。僕としては練習にもなりますし、こちらからもお願いしたいくらいです」


「やった!嬉しい!」


 見惚れるほどの綺麗だが、全身で喜ぶ様は驚くほど人懐こい。


「ねぇ、ちょっと見ててくれない?今ならもっと良く出来そう」


 そう言うとスマートフォンを操作する。連動して小型スピーカーから音楽が流れてくる。少し前に流行った四つ打ちのJ-POPだ。MVではハウスを踊る女の子の足元が話題となった曲だ。

 

 広瀬は音楽に合わせて踊り出す。顔つきは先程とは笑顔の種類がかわり、真剣さや鋭さを宿す。


 優樹はその変化に驚きつつ感心する。広瀬のステップワークはどれだけ彼女が真剣に取り組んできたのか、その最たる証明となる。

 

 1曲が終わると優樹は自然と拍手をしていた。


「すごいよ!間近で見るのは初めてだけど、あんな風に動かせるものなんだ!ROM(※関節可動域)の参考可動域を越えてるように思う程のしなやかさだよ!」


「あはは、独特な褒め方?だねー。さっきよりスムーズに手足が動かせたよ!」


 いつも以上に上手く身体を動かせた感動から頬を紅潮させ広瀬は優樹に近づく。

 

「ねぇ、さっき塚本先生に部活はできないって言ってたのは何で?」


「それは……夢というか目標のために家で勉強や経験を積みたいんだ。学校では部活をする時間が惜しい。」


 優樹は至近距離から見つめるあまりにも整った顔にドギマギしながら答える。広瀬はゆっくりと頷き、優樹の思いを肯定した上で伝える。


「アタシも自分の好きなことに妥協したくないから、迷惑を承知で言うね。アタシのダンスに協力して下さい。部活……は入らなくて良いから、パーソナルトレーナーになってもらって良いかな?」


「さっきも言ったように……」

「時間はあんまり取らせないから!勉強の合間に少し身体を見てくれるだけで良いから!」


 断られると思った広瀬は言葉を遮るように更に伝える。さらに紅潮した広瀬だが、目を白黒させている優樹を見て、何か間違ったと気づく。


「はは、落ち着いてね。僕の目標は母親を越えるようなセラピストになることなんだ。だから、さっきも言ったように……希望があればいつでも。僕としても練習になります」



『えっ……もうこれからやってくれないの?』

『あはは、もしも希望さればいつでもやりますよ。僕としては練習にもなりますし、こちらからもお願いしたいくらいです』

『やった!嬉しい!』



 広瀬は先ほどの肩甲骨はがし後の会話を思い出し、これ以上ない程に紅潮する。


 上手く身体が動かせた興奮、断られると思った焦り、勘違いに気付いた恥ずかしさ、自身の感情についていけなかったのか、はたまた赤くなり過ぎた顔を見られたくなかったのか……



 広瀬は思わず優樹に抱きついた。



「これからよろしく」




 優樹は突然のことに身体は活動を諦めた。どうすべきか一瞬思いを巡らせるも、身体に感じる柔らかい触覚、柑橘のように爽やかに香る嗅覚に無惨にも意識を刈り取られてしまう。


 少しすると広瀬は苦笑いしながら身体を離す。


「たはは、ホントごめんね。感情が爆発しまして。お恥ずかしい」


「えっ……いや………全然……むしろ……」


「むしろ?」


「あ、何でもない……」


 意識が戻ってきた優樹はとにかく一番の強みで自分を取り戻そうと決心し、ふぅっと一息吐いてから続ける。



「とにかく、これからよろしく。広瀬?さんは柔軟性は多分問題ないです。ただ細身だから筋力が不足する可能性はあります。筋力とダンスのキレの因果関係はこれから勉強しますが、まずは筋肉を肥大させるようなトレーニングではなくて、筋出力を上げれるよう全身の筋を診ていきます。今日からひとまず一般的に出力弱い僧帽筋下部、スパズム(※筋攣縮:筋肉が部分的に痙攣して筋が上手く働かない状態)が起きやすい菱形筋群の運動をお願いします」



 一気に早口で話し、一息つくと優樹は顔を青くする。緊張すると出る、ですます口調が出ていたことを思い出し、これは夜に悶えるやつだと後悔する。



「………………」


 優樹のいたたまれない空気を破ったのは広瀬の弾んだ声だった。


「あはは。めちゃくちゃ頼もしいトレーナーじゃん!ただ筋肉の名前とか全然分かんないよー!」


「……あ、いや、ごめん」


「謝ることじゃないよー!ただしっかり自主トレするから教えてね!」



 その後優樹は運動方法を教えて、さらに熱が入って予定にはなかった前鋸筋のトレーニングやプランク等の体幹トレーニングを伝えては顔を青くして、その度に広瀬を笑わせた。






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