第2話 広瀬と呼ばれた美女
優樹が昇降口に近づくと四つ打ちの音楽が聞こえてきた。下駄箱の周りには多くの男の子と少しの女の子が集まっていた。
(んー?何してるんだろ?)
みんなの視線を辿ってみると理由はすぐに分かった。
玄関のすぐ外で一人の女の子が音楽に合わせて軽快なステップを踏んでいた。
優樹は思わず目を奪われる。
———4月の陽に照らされた淡金色の髪の毛は絹のように繊細で、それでいて女の子の動きに合わせてダイナミックに跳ねる。
真剣な眼差しだが、口元は楽しさを我慢できないように口角が上がっている。
長袖のTシャツと片足の裾を捲ったジャージのパンツ。そこから覗く眩しく陽光を反射する白い手足———
まるで一枚の絵画のようであり、映画の1シーンのようでもある。春の晴れた日にとても映えると優樹は感心した。周りの男女からも称賛の声が聞こえてくる。
「カッコいい」
「あれ新入生の子だよね」
「ね!友だちになりたいねー」
「かわいいすぎる……」
「たまにヘソが見えるのがたまらん」
「……推せる」
優樹も見惚れていたが、徐々に足の可動域や一つ一つの関節に意識が向いていく。お金を貰って治療をしたことは当たり前にまだないが、いつもサロンを手伝っている職業病だろうか。
そのとき塚本先生が大きな声で近づいてくる。
「おーい!ここでダンスの練習はやめてくれー!」
その声を聞いた女の子はビクッと体を震わせて、素直に音楽を切る。
ハウスミュージックが切れるとともに聞こえてくる部活動のかけ声が現実感を連れてきて、集まっていたギャラリーは解散していく。
「広瀬、一昨日も言ったろ。帰るために通りたい生徒もいるし、ここでギャラリーが集まると事故の危険性が高いんだよ」
「ごめんなさい、先生」
広瀬と呼ばれた女の子は申し訳なさそうに肩を縮める。
「ダンス部でも入ったらもっと思いきり踊れるんじゃないか?」
「昨日聞いてまわったんですが、ダンス部は去年の卒業生だけだったみたいで、もうないらしいんです」
「あれ?そうだっけ?」
完全に失念していた塚本は苦笑いをしながら後頭部をかいた。僅かに塚本の眉間に皺がよる。
「ここが1番大きなガラスがあるから自分の踊りが確認できるんです」
「うーん、協力してやりたいのはやまやまだが、ここはダメだ。理由は同じ。事故があれば守れないし、ここで踊ってたらギャラリーはきっと増えるしな」
広瀬の容姿を見て、そう確信する塚本は続ける。
「うちは同好会はないけど、3人集めりゃ部活として認められる。今のうちに去年の部室とか確認しておくから、あと2人部員を集めておいてくれ」
「分かりました。ありがとうございます。2日もすみませんでした」
教師の精一杯の優しさを感じた広瀬はそれ以上は食い下がることなくスピーカーやタオルを片付けにいく。
その様子を見ていた優樹は塚本が職員室に戻ってしまう前に慌てて駆け寄り、声をかける。
「先生ー、少し待ってもらえませんかー?」
「どした、鈴木?さっそく入部希望か?」
「や、あんなに幸せそうにダンスをしてるのを見ると本当に楽しそうですが、自分は部活出来ないんです」
「そしたらどうした?」
「先生、いきなりで大変申し訳ないんですが……肩を触らせてもらえません?」
「は?」
驚いている塚本を無視するように優樹は塚本の右肩側に立つ。
「先生、肩はいつから痛いです?授業中の板書の時もさっきの頭をかいた時も痛そうでしたよ」
「え?良く気付いたな。春休み前からだから……一ヶ月前からか?」
「……そしたら炎症期は過ぎてるか……側方挙上……結髪動作……大円筋のトーン落として……ローテーターカフは上げて……よし」
ぶつぶつと独り言のように呟いては再度塚本へ告げる。
「先生、肩を触らせてもらいますね」
呆気に取られている塚本は優樹に右腕を差し出して、優樹の指示通りに動かす。
「このまま下に向かって力を入れて……そう!そしたら力抜いてー。押さえるから痛みがあったら言ってくださいね」
教師である塚本の腕を好き勝手に動かすこと数分、優樹はようやく塚本の右腕を離した。
「腕を少し動かしてみて下さい」
「おっ!痛みが大分無くなってる!」
言われた通り、腕を動かして痛みの有無を確認した塚本は驚きの声をあげる。
「良かった!少しするとまた固まってきますが、原因の一部は分かりました。明日、自分で出来る体操メニューを用意しておきますね!」
お礼を伝える塚本に、どういたしましてとの思いをこめて軽く一礼をして、優樹が振り返ると興味深々の様子でこちらと見ていた広瀬と目が合う。
お互い何とも言えない空気で会釈をし合うと、優樹は広瀬がタオルを手にしているのを目にする。
「ちょうど良かった!コレ少し貸して貰えるかな?」
「え、あっ、ちょ、良いけど……汗ふいたばっか」
言うが早いかタオルを受け取り、塚本を再度呼び止めて伝える。
「先生、こうやって肘を曲げて、掌を上にした状態でタオルを両手で持って、お互いに引っ張るようにして下さい。そうすると肩の奥の方の筋肉の働きが促せます。ストレッチして表層の筋肉をほぐして、軽く筋肉を使って深層の働きを促して、バランスが取れてきたら痛みの軽減が早いはずです」
早口で伝える優樹に苦笑いをする2人。塚本は代表して優樹に伝える。
とてもありがたい治療だったし、ありがたい情報だとしっかりとお礼を述べた上で、
「……でも、説明も少なく治療に入るべきじゃない。そして何より、女子が使っていたタオルを急に借りるべきじゃない」
そう言って今度こそ去って行く塚本。優樹はその後姿にもう一度頭を下げて見送る。
そして、手にしたタオルを返すべく振り返ると、苦笑いしながら白い頬を少し赤く染めた広瀬がいた。
「あ、本当にすみません。つい……」
「あはは、汗のついたタオルは恥ずかしいけどいいよいいよ」
「気になったことがあると、周りが見えなくなってしまい……」
過去を思い返しても、同じようにやらかした記憶が何個も出てきて自然と優樹は赤面する。
「それはアタシも!一昨日も塚本先生に言われたのにどうしても踊りたくなっちゃって」
そのフォローに対し、優樹は再度頭を下げてタオルを手渡す。
広瀬は「ねぇ」と声をかけながら、一歩近づいてアンバー色の大きな瞳で優樹を見つめる。
広瀬が近づいたことでふわりと柑橘のような爽やかな香りが優樹に届き、さらに赤面する。
「もしも……タオルのことは先生を思ってのことだし全然いいんだけど……もしもまだ悪かったなぁって思いがあったら、アタシに身体の知識を教えてくれない?」
これがこの高校での二人の最初の交流であった。
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