3-7

「……そーやくーん?」


 名前を呼ばれ,蒼矢の目が覚めた。


「……?」


 寝起きで頭が回らず、状況が理解できない。

 カーテンを開けている彩歌を、ぼんやりと眺めていた。


「おはよう。目、覚めた?」

「なんで……彩歌が、俺の部屋にいるんだ?」


 目を擦りながら蒼矢が尋ねる。

 そういえば、ベッドではなく、イスで寝ていたことに気がついた。


「それはこっちのセリフなんだけどな。気を失った私を連れ込んで、ナニしてたんだろ?」


 手には、離断浄化剣クーペバプティンガーが固く握られている。

 なぜ……と考え、思い出した。昨晩に何があったのか。

 眉を軽く上げている彩歌を見て、蒼矢の額に汗が浮かぶ。


「ち、違うっ! そんなつもりじゃなかった! っていうか、何もしてない!!」


 立ち上がって頭を下げた。

 しどろもどろになる蒼矢に、彩歌が小さく笑いを漏らした。


「大丈夫だよ。蒼矢君のことは信じているし……それに、何があったかも大体分かっているから」


 彩歌にそう言われ、蒼矢は顔を上げる。

 裏表のなさそうな笑顔を目にして、逆に不安が湧き上がる。


「今さらだが……彩歌、なんだな?」

「うん。ちゃんと私だよ。彩歌・コームズだよ」


 安心した蒼矢の足から力が抜け、床に手をつく。

 そこに彩歌が手を添えてきた。


「勝手なことして、ごめんね。ちょっと……というより、かなり浮かれてたみたい」


 昨日の、おそらく浄化剣バプティンガーを奪って悪魔に近づいたことを謝っているのだろう。

 彩歌の眉が、今度はガックリと下がっていた。

 その表情に蒼矢の胸が痛くなる。


「謝らないといけないは俺のほうだ。全部、話すから……」


 彩歌に首を振られ、蒼矢の口が止まった。


「それよりもさ、学校行こうよ。ほら時間」


 指をさされた時計を見ると、時刻はいつも彩歌と駅で待ち合わせるくらいになっていた。


「あ、ああ。準備しないとな……。あっ、でも、彩歌の家に謝りに行かねぇと」

「それも大丈夫。お母さんに友達の家に泊まるって言っているから。制服とかも、駅のコインロッカーに入れてあるよ」


 初めから彩歌は家に帰るつもりはなかったらしい。

 咎めたいところだが、今回はそれに救われたので、良しとした。

 蒼矢がひと心地ついていると、なにやら彩歌が自分の服を気にし始めた。


「あの……お風呂借りてもいいかな?」

「おっ!?」


 急に裏返った声が出たのを誤魔化そうと、咳ばらいをする。


「……おう。タオルとかは、そこの棚に入ってるから、勝手に使ってくれ」


 それから「なんか朝メシ買ってくるわ」と言って、蒼矢は部屋を出た。

 お風呂に入っている彩歌を待つなんて、平静を保てなくなりそうで、逃げ出したのだ。


(こんな時に、変な気を起こしそうになる自分が怖ぇよ)


 コンビニでたっぷり時間をかけて菓子パンを選別し、帰ってくる。


「ただいま。もう出られそうか?」

「うん。それと、お風呂、ありがとう」


 彩歌は洗面所で髪を整えていた。

 後ろを通り過ぎる蒼矢を見つけて、ひょっこりと顔を出してくる。


「何買ってきてくれた?」

「菓子パンをテキトウに。好きなの取ってくれ」


 テーブルに置いた袋を指さして、蒼矢が言った。

 洗面所から出てきた彩歌は、いつもの調子でニッコリと笑顔を浮かべていた。


「ありがとう! でも、時間ないから、あとで学校で食べるね」


 菓子パンを机の上に並べて、2人で分け合う。

 蒼矢は、彩歌が選んだジャムパンとチョコチップ入りのスティックパンを袋に戻して、手渡した。


「それじゃ私、ロッカーから荷物取って着替えてくるから、いつものとこで待ち合わせね!」


 そう言って出ていく彩歌を、玄関まで見送った。

 手早く着替えを済ませた蒼矢も、あんパンをくわえて部屋を出た。


◆◆◆


 昨晩の件についての話は、放課後に改めて行うことになった。

 全く気の休まらないまま授業を終えた蒼矢は、彩歌と一緒に自室へ戻ってきた。


「今回のこと、本当にすまなかった」


 開口一番に蒼矢が謝った。

 ベッドに腰かけさせた彩歌に向かって、頭を下げる。

 それから、魔神を祓おうとすると彩歌がどうなるか、自分が何を考えて魔神に憑かれた彩歌といたか、全部を説明した。


「俺は彩歌を利用していただけだった。……許してくれとは言わない。ただ、謝らせてくれ」


 もう一度、深く頭を下げる。


「別に謝ることじゃないと思うな」


 彩歌の言葉に顔を上げた。

 その様子はは怒っているでも、驚いているでもない。


「悪魔とかは、よく分からないけど、私がこうしているのは蒼矢君のおかげなんだよね?」


 蒼矢は首を縦にも横にも振らなかった。


「言わなくても分かるよ。あの子を通じて、蒼矢君の声が聴こえたから」

「あの子……?」


 何を彩歌が聴いたのかも知りたかったが、それよりも、『あの子』という謎の存在が気になった。


「前に蒼矢君が言ってたよね。魔神が召喚された存在だって」


『あの子』の説明はされず、話が挿げ替えられる。

 そのことを遺憾に思いながらも、蒼矢は静かにうなずいた。


「たぶんあの子は、無理矢理この世界に――知らない場所に連れてこられて、怯えてたんだと思う」


 ようやく気がつく。彩歌の言う『あの子』とは、魔神だということに。

 つまり、今の言葉を整理すると――。


「……魔神が怯えていただって?」


 信じられない疑念が蒼矢の口を突いて出る。


「うん。最初はよく分からなかったけど、蒼矢君の声を聴いて、あっ同じだ、って思ったの」


 暗に自分が怯えていたと指摘され、蒼矢は居心地を悪くした。

 しばらく沈黙が流れる。

 事態の核心に切り込もうと、意を決して口を開いたのは、蒼矢だった。


「それで、魔神は……変わったのか?」


 蒼矢から見て、今の状態は、魔神が休眠していた状態と大差ないように思えた。

 このままだと同じことを繰り返すだけだと、不安になる。


「私の中で安心しているのを感じるよ。昨日のことも、教えてくれたし」


 彩歌が胸に手を当てて、そう言った。

 顔には母親のような、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた、

 あの魔神が彩歌に懐いているだなんて、蒼矢にはとても信じられなかったが――。


「もう悪いこともしないんじゃないかな」


 不思議なことに、その言葉は、ストンと胸に落ちてきた。


◆◆◆


 それからもいろいろ話し込んでしまい、気がつけば、日が完全に落ちていた。

 実家の悪魔祓いのことや、一人暮らしの理由。彩歌と腹を割って話をして、蒼矢はスッキリしていた。


「あっ! 空、キレイ!」


 今は、蒼矢が駅まで送ると言って、彩歌と歩いている最中だ。

 空を見上げる彩歌につられて、蒼矢も上を向く。


「天の川だな」


 そういえば、そろそろ七夕だ。

 彩歌もそう思ったのか、こんなことを蒼矢に聞いた。


「蒼矢君は短冊になんて書く?」

「いや、この歳で短冊はちょっと……」


 子供っぽいことを言い出す彩歌に苦笑する。


「じゃあじゃあ、願い事! 願い事をするとしたら、どんなの?!」


 言っていることは、さっきと何も変わっていない。

 でも、今度ははぐらかさずに答えた。


「そうだな……。『もう少し魔神が悪さしないか見張りたい』とか」

「えーっ!? なにそれ!」


 期待外れ、とばかりに彩歌が口を尖らせた。


「いいだろ別に。そういう彩歌はどうなんだ?」

「えっ、私? う~ん……秘密かな!」


 そんなやり取りをしながら駅に着く。

 別れ際に、お互いが手を振り合う。


「今日はありがとう。また、連絡するね!」

「ああ。またな」


 改札をくぐっる彩歌を見送って、蒼矢は来た道を戻る。

 当然ながら、空には天の川が流れていた。


(願い事、か)


 足を止め、天を仰ぐ。

 今回の一件で気づいた、自分の心境の変化を噛みしめて、心の中でつぶやいた。


(これからも、彩歌と一緒にいられますように……なんてな)

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