3-6

 剣を握る手の力が抜ける。

 カラン、と音を立てて、離断浄化剣クーペバプティンガーが蒼矢から抜け落ちる。


「やっぱり、できねえよ」


 魔神の目の前で、蒼矢はつぶやく。

 悪魔祓いとして非情になるには、彩歌と親しくなりすぎた。


「何もかもダメだな、俺」


 自分のしてきたことが、全て裏目になっている。そのことに、自嘲を浮かべた。

 それならいっそ、最後まで貫いてやろう、と蒼矢が開き直る。

 浄化剣バプティンガーを拾い上げて、魔神を見据える。


「なあ、魔神さんよ」


 言葉を理解しているかは知らない。

 一縷の望みに賭けて、それでも一心不乱に、言葉を続ける。


「どうせこのまま消えるくらいなら、俺に憑かないか?」


 彩歌を救うための、まさに悪魔の契約だ。

 強制的に宿主から切り離すことで、悪あがきを残していくなら、魔神自身の意思で宿主から離れさせればいいのではないか。

 今魔神に憑かれても、幼い頃から悪魔への抵抗力を養われてきた自分なら、2、3日は自我を保てるだろうという判断だった。


(あとは、親父にでも祓わせればいい……)


 それで蒼矢自身が命を落とすことになっても、彩歌が無事でいられるなら構わないと思えた。


「さあ、選べよ。今ここで俺に消されるか、俺に憑いて抗ってみるか」


 蒼矢は魔神に向かって手を差し伸べる。

 その手を取るかのごとく、魔神の青い炎が降り注いだ。

 炎は激しく燃え上がる。


「ぐっ……ぅ」


 自身の意識の中に、異物が入ってくる感覚が確かにあった。

 飲み込まれないよう、頬の内側を噛んで自我を繋ぐ。


(いいぞ……そのまま……)


 蒼矢の腕を少しずつ炎が侵食してくる。

 それに比例するように、意識が遠のこうとする。

 口の中には血の味が広がっていた。


(早くしろよ……!)


 無理に憤ることで、腹の底から溢れ返る苦しみを偽ろうとした。

 瞼が重くなる。吐き気がする。手は燃えているのに、全身が凍える。


「ダメだよ」


 不意に、腕にぬくもりを感じた。

 動揺した一瞬の隙にせり上がってきた胃液を、口の中に留めて嚥下する。


「何してんだよ……彩歌」


 人の腕を手すりのようにして身体を起こそうとする彩歌に、蒼矢はわざと冷たい言葉を投げる。


「邪魔するんじゃねぇよ」

「だって、全部、聴こえちゃったから……。蒼矢君の……気持ち……」


 気がつくと、嫌な感覚は、サッパリ消え去っていた。

 腕の炎も治まっている。

 視界が滲んで、何も見えなくなった。


「私は大丈夫だから」


 彩歌がそう言って、魔神と向き合う。

「やめてくれ」と、蒼矢は言いたかったが、上手く呼吸ができないせいで声が出ない。


「おいで?」


 魔神を迎えようと、彩歌が腕を広げる。

 蒼矢はどうにか止めさせようと彩歌の肩に手を乗せるが、力が入らない。


「あなたを、私は――から。ね?」


 魔神へ投げかけられた小さな言葉が、蒼矢にはよく聞こえなかった。

 しかし、それは、魔神の心を満たすものだったらしい。自身の肉体を1つの小さな炎へと変えた。


「うん。いい子だね」


 彩歌は両手で炎を包み込んだ。それから、とても大事そうに胸元へ寄せる。

 炎は彩歌に吸い込まれるようにして消え去った。


「蒼矢君、ありがとう」


 そう言いながら振り返ろうとする彩歌の顔を、蒼矢が見ることはなかった。


「彩歌……?」


 倒れ込んだ彩歌を抱え上げる。

 涙はとうに枯れていた。


「どう、なったんだよ……」


 一刻も早く、彩歌の安否を確かめたかった。

 胸骨が上下に動いている。まだ息絶えてはいない。

 今は、それだけで安心できた。


「……帰ろう」


 離断浄化剣クーペバプティンガー、折れた小刃浄化剣ボードバプティンガーをそれぞれしまい、彩歌をおぶった。

 眠る彩歌を抱えながら裏門を乗り越えるのには難儀したが、それ以外は問題なかった。


◆◆◆


 この状態の彩歌を家まで送り届けたとして、家の人になんて説明すればいいかなんて分からない。

 そもそも彩歌の自宅を知らないし、なにより終電もなくなっていた。


「だからって、普通、部屋に連れ込むか……?」


 彩歌をベッドに寝かせ、水を飲んだ蒼矢が冷静になってきた。

 静寂の中で佇む。さっきまでの死線がウソのようだ。


「でも、現実なんだ」


 真っ二つに折れた短剣を手にひとりごちた。

 改めて、何が起こったのか、整理しようと思考を巡らせる。

 魔神が浄化されたわけではなさそうだ。まだ彩歌の中に存在を感じる。


「ふりだしに戻っただけ……だよな?」


 言葉で不安を誑かす。

 本当に彩歌は目を覚ますのか。目覚めたとして、はたしてそれは彩歌なのか。

 考えたくないことばかりだ。


(……とにかく、彩歌が目を覚ますのを待とう)


 それが彩歌か魔神かは、その時に判断すればいい。

 ただ今は、もう1度彩歌と話したいと願うだけの蒼矢だった。


(今日はこのまま徹夜だな……)


 蒼矢はベッドのそばまでイスを持ってきて、腰かける。

 離断浄化剣クーペバプティンガーを握りしめて、寝息を立てている彩歌を静かに見守っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る