3-5

 蒼矢が魔神に気を取られている間に、彩歌がゆっくりと立ち上がる。

 身を竦ませる蒼矢を引き上げたかと思うと、そのまま、華奢な腕からは想像もできない腕力で突き飛ばした。

 地面に背中を打った衝撃で、思考する力が戻ってくる。


(とにかく、何か手を打たないと……)


 冷静になり、身体を起こして魔神から距離をとる。

 僅かな希望にすがろうと、蒼矢は声を張り上げた。


「彩歌ぁ! おい、聞こえるか?!」


 彩歌は据わった目をこちらに向けてくるだけで、返事はない。

 冷たい汗が蒼矢の頬を流れ落ちていく。


(ダメだ、意思を完全に奪われている)


 初めて覚醒した時と違い、魔神は今、宿主の彩歌を掌握していた。

 あの時のように、意表を突いた隙に、浄化剣バプティンガーで力を抑制させることは不可能だ。


(いや、意表を突かずとも、近づくことができればいい)


 幸い、校庭の周囲には隠れられる場所が多い。待ち伏せできれば簡単に背後をとれるだろう。

 そこに浄化剣バプティンガーを突き立てれば、蒼矢の勝ちなのだが……。


(あれ、そういえば浄化剣バプティンガーはどこいった……?)


 彩歌に貸したまま帰ってきていない小刃浄化剣ボードバプティンガーを探して、魔神の足元へ目を落とす。

 月の光を反射する銀が、そこにあった。

 蒼矢の視線に気づいた魔神が、自分の足元を見る。


(しまった……)


 顔から一気に血の気が引いていく。

 地面に転がる短剣を彩歌が拾い上げた。

 手にした刃を眺めるその表情は全くの無だ。代わりに、魔神の口角が不気味に吊り上がっていた。


「や、やめろ!!」


 片手で柄を、反対の手で刃を握る彩歌に、蒼矢が呼びかけるが、決して届かない。

 両手に力が込められると、浄化剣バプティンガーはまるで木の枝のように、ポッキリと折れてしまった。


(ああ、終わった。もう全部……)


 蒼矢は絶望に膝をつく。

 紫色の光が魔神の口から漏れ出ている。

 昔見た絵本にあった、人の心を蝕む邪悪の光だ。


(結局、俺は何も変えられずに……自分のエゴで自分を殺すことになるのか)


 魔神が顎を大きく開くと、口腔に溜まっていた光が一面に広がっていく。

 紫色に周囲が飲まれていく様を、蒼矢は呆然と見ていた。

 やがて、その視界も一色に染まり、何も見えなくなる。


(……ごめんな、彩歌。俺の勝手な我が儘に巻き込んじまって)


 光が収束していく――。

 蒼矢の視界に、魔神の姿が帰ってきた。


「生きてる……?」


 手で自分の身体のあちこちに触れて、蒼矢が無事を確認する。

 身体におかしなところはない。意識も、ハッキリしている。

 いったい何が起こったのか分からない。


「そうか、離断浄化剣クーペバプティンガー!」


 思い出し、肩に掛けていた万能ケースから剣を取り出した。

 純度の高い銀で作られたその刃には、悪魔の攻撃から身を守る効果もあるらしい。

 首の皮一枚繋がった蒼矢だったが、安堵する暇もなく葛藤に襲われる。


(この場を収めるには、もう……これしかないのか?)


 離断浄化剣クーペバプティンガーで彩歌から魔神を切り離せば、全てが終わる。だがそれは、この手で彩歌を殺すことに等しい。

 そう考える蒼矢は躊躇いを隠すことができずに、剣を掴む手が震える。


(でも、このままじゃ共倒れだ)


 ここで蒼矢がくたばって魔神を討ち漏らしたとしても、じきに別の悪魔祓いに祓われるだろう。

 その間にいったい何人が犠牲になるのか。

 どうせ同じなら、被害は少ないほうがいいのではないか。


(俺の考えなんて、所詮、綺麗事でしかなかった……)


 魔神は今、蒼矢を仕留められなかった理由が分からず困惑しているのか、動きが止まっている。

 やるとしたら、このチャンスは逃せない。


「もういい。全部、終わらせる」


 蒼矢は天を仰ぎ、目を閉じてそうつぶやいた。

 意を決して剣を構え、魔神を――いや、魔神の傀儡となった彩歌を目指して歩きだす。


『それでいいのか?』


 不意に、胸の内で、自分でない自分が問いかけてくる。


(いいもなにも、これしか方法がないんだから、仕方ないだろ……)


『そうやって人を犠牲にするのが、お前が一番嫌いな考え方だろ』


(そのエゴが、この事態を引き起こしているんだろうが!)


 無用に決心を揺さぶってくる本心に、怒りがこみ上げてくる。

 雑念を振り払おうとする蒼矢は、一歩一歩を足に力を込めて進んでいく。

 魔神はその姿を見て、身の危険を察したのだろうか。もう一度、邪悪の光を解き放った。


(……鬱陶しいな)


 目が眩んでも歩みを止めることはなかった。

 もう、虚ろにする彩歌は目の前にいる。


「余計な苦労かけて、悪かった」


 彩歌の胸元に浄化剣バプティンガーをかざすと、傀儡の身体は糸が切れたように、その場にへたり込む。

 これで彩歌を盾に抵抗をされることもない。

 あとは、魔神の肉体を貫くだけだ。


「終わりだよ。俺も、お前も」


 蒼矢は、剣先を魔神に向け、狙いを定めた――。

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