3-4

「なんかいるか?」


 校庭の隅に身をひそめる蒼矢が、同じように視線を巡らしている彩歌に問いかける。


「全然。何もいないよ」


 やっぱり悪魔だなんて、思い過ごしだったのか。それか、もう誰かに憑いてどこかへ行ってしまったあとなのかもしれない。

 今日は一旦帰って、改めて調査をしようか、と蒼矢は考える。

 それを邪魔するかのように、袖口が引っ張られた。


「ねえ蒼矢君。今日もアレ、持ってるの?」

「あれって?」


 蒼矢には彩歌が何を指して言っているのか分からない。

 首を捻って聞き返すが、彩歌も「アレ」以外の呼称が出てこないらしく、こめかみに手を当てている。


「あの……アレだよ、えっと……あの浄化アイテム」

浄化剣バプティンガーのことかよ」


 彩歌の求めるものをようやく理解できた蒼矢は、「持ってるぞ」と言って、バッグから短剣を取り出した。

 月明かりに照らされ銀に光る刀身を、恍惚と見つめてくる。


「貸してもらってもいい?」


 どうぞ、と手渡す。

 まるで高級な食器を持ち上げるかのように、彩歌は慎重な手つきで浄化剣バプティンガーを受け取った。


「これ、私でも使えるのかな」

「悪魔さえ見えれば、誰にでも使えると思うけど……」


 なんとなく彩歌の考えが読めた蒼矢に、嫌な予感がよぎる。

 面倒なことを言い出す前に浄化剣バプティンガーを返してもらおうと、手のひらを差し出した。


「もういいだろ、返してくれ」


 ちょうどその時、視界の端で何かがちらついた。

 思わずそちらに意識を向けてしまう。

 見れば校庭に、どこから現れたのか、青い炎がのっそのっそと動いていた。


「おおっ、イノシシだね」


 彩歌も見つけてしまった。

 当然、悪魔だと分かっているのだろう。グッドタイミングとでも言うように、案の定、目を輝かせていた。

 嫌な予感が的中した蒼矢の語気が荒くなる。


「もう満足だろ。浄化してくるから早く返せ」

「いいや、蒼矢君。ここは私に任せてもらおう!」


 気取った風な態度をとる彩歌が、手のひらを蒼矢に向かって突き出す。

 かと思うと、浄化剣バプティンガーを握ったまま走り出した。


「あっおい!」


 彩歌の腕を掴もうと伸ばした蒼矢の手が空を切った。

 イノシシの背後を取ろうと、足音を殺した小走りの彩歌が離れていく。


「バカヤロウ! 戻ってこいって!」


 呼びかけても、振り返ろうともしない。

 余計な不安を与えまいと、悪魔の吸収について、彩歌にちゃんと話していなかったのが災いした。

 意気揚々と悪魔に近づいていく彩歌を見て後悔しても、もう遅かった。


「悪魔には近づくなって言ったの、忘れたのか!!」


 近所迷惑なんて、気にしていられない。

 蒼矢はほとんど怒号に近い叫び声を上げて、彩歌の後を全速力で追った。


「大丈夫だって。蒼矢君がやっているとこ、何回も見てるんだから」


 焦燥に駆られる蒼矢とは裏腹に、全く危機感のない彩歌はイノシシのすぐ後ろまで近づいていた。

 両手で浄化剣バプティンガーの柄を握りしめ、狙いを定めている。


「いくよぉ……」


 なんとか止めようと必死になり、地面に飛び込む勢いで右手を伸ばした。


「えいっ!」


 そんな蒼矢の努力も虚しく、銀の刃がイノシシの背中に突き立てられた。

 その瞬間、霊炎の揺らめく勢いが爆発的に大きくなる。呼応するかのように、彩歌からも薄っすら青がにじみ出る。


(まずい……っ!)


 校庭の砂へと吸い込まれる蒼矢は、その光景をただ傍観することしかできない。

 激しく燃え上がる炎が、儚げに揺れる炎の周囲に渦を描く。

 やがて、混ざり合う2つの蒼炎の境界が無くなり、1人の中へと還っていった。


「あれ……なに、コレ……」


 急に彩歌が蹲る。


「彩歌っ! おい、どうした!」


 蒼矢はすぐに起き上がって、彩歌のもとへ駆け寄る。

 正面から肩を揺すると、膝をついた彩歌が首に腕を回してきて、体重を預けてくる。

 その目は虚ろだ。


「大丈夫か!? なあおいっ、なんか言ってくれ!!」

「そぅ、や、くん……あつい……あついん、っだけど……すごくさむいよ……」


 口調までもが弱々しい。

 自分の目に涙が溜まっていくのを、蒼矢は確かに感じていた。


(あの時、無理にでも彩歌を帰らせていれば……!)


 後悔の念が責め立ててくる。


(あの時、彩歌に安易に浄化剣バプティンガーを渡さなければ……!!)


 考えたところで無駄なことくらい、分かっている。


「俺だ……。俺のせいだ……」


 その言葉を待っていた。嘲笑うように、彩歌の背で禍々しい霊炎が立ち昇る。

 初めて魔神と相対したあの日からひと月と数日。今、蒼矢の目の前で――再び魔神が覚醒した。

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