2-3

「それじゃあ、ここでバイバイだね」


 音楽科の彩歌の教室は3階、普通科の蒼矢は4階だ。

 だから階段で2人は別れることになる。


「おう、また帰りだな。悪魔を見かけたらスマホに連絡入れてくれ」


 最後にそう言って、蒼矢は階段を上がった。

 いつもギリギリに登校する蒼矢にとって、朝の廊下でみんなが歓談している姿が珍しい。

 なんとなく聞き耳を立てながら歩いていると、文楽とバッタリ会った。


「おはよう蒼矢。なんだ、今日はずいぶんと早いじゃないか」

「朝早くに目が覚めちまったんだ」


 彩歌と登校してきたことを隠す。それは無意識だった。

 さっさと教室に入ってしまおうと、蒼矢が文楽から距離を取る。

 だが文楽と話していた相手が、耳障りな声を出してきた。


「おうっ! 同志御崎じゃねえか、珍しいな?!」


 無駄に大きな声が廊下に響く。

 もはや日常茶飯事となっているその声には、誰一人として関心を示さなかった。


「うるせぇ竜大。あと俺を同志とか呼ぶな」


 蒼矢は勝手に同志認定してくるあずま竜大りゅうだいに冷ややかな目線を送る。

 しかし竜大はそれが分からないらしい。テンションのギアを数段飛ばして口から爆音を鳴らす。


「そんなこと言うなよな御崎ぃ! 『薄い本』が伝わるの、お前と神田山しかいねえんだからさ。同好の志として、もっと仲良くしようぜ! ……あと、そろそろオススメの絵師教えてくれないか」


 竜大には羞恥という感情がないらしい。

 迷惑と言わんばかりに軽く耳を押さえている蒼矢に、竜大がじりじりと顔を寄せてくる。


「あのな、俺が薄い本を知ってんのは、別に持ってるからじゃねえよ。ただ中学の時に周りが読んでただけだ。絵師とか知らん」


 頭の上から鷲掴みにして、引き剥がながら蒼矢は言った。

 もう何百回と言ったセリフのハズなのだが、それでも、いつまでも竜大は理解しない。

 本人とは話すだけ無駄だ。


「おい文楽。コイツどうにかしろ」


 そろそろ疲れてきた蒼矢が、いつも通り文楽に振った。


「すまない,この狂犬は俺にもどうしようもないんだ」

「生物部で檻買って、そこに入れるか。猛獣用って、部費で買えんのかな」

「あれ、なんか俺の扱い酷くない!?」


 今更気づくか,と蒼矢がため息をつく。

 文楽は苦笑しながら、竜大の首根っこを掴んで教室へ帰っていった。


◆◆◆


 昼休みになり、購買で買ったパンを持って蒼矢は生物部室を目指していた。

 渡り廊下を通って部室棟に足を踏み入れたところで、背後から名前を呼ばれる。


「蒼矢くーん!」


 ここ数日ですっかり聞き慣れてしまった彩歌の声に振り返る。

 こちらに駆けてくる彩歌へ向かって小さく手を挙げる。

 彩歌は大げさなくらい元気に手を振り返してきた。


「なんかあったか?」


 すぐそばに来た彩歌に蒼矢が問いかけた。


「何もないよ! 今日も部室でゴハン食べてるのかなーって思っただけ」


 蒼矢は肯定の意味を込めて、持っていたパンを見せた。

 それを一つひとつ指さしながら、彩歌が確認していく。


「焼きそばパンに……カレーパン、ツナサンドかぁ。ちなみに蒼矢君はどれが一番好き?」

「んー……カレーパンだな」


 聞かれた蒼矢が素直に答えた。

 彩歌は目を閉じて両腕を組み、ふんふんと首を縦に振っている。

 よく分からなかったが、その姿がなんとなく面白かったので蒼矢は黙ってみていた。


「ありがとう! 参考になったよ!」


 いったい何の参考なのだろうか。

 蒼矢の理解を待つことなく、彩歌は「友達を待たせているから」と180度身体を回転させて走り去った。

 急に静かになってしまった渡り廊下に1人立つ蒼矢は、妙な寂しさを感じた。


「……っと、早くしねぇと食べきれないな」


 静寂を抜け出し、改めて部室へ向かって歩き出す。


「お……?」


 ようやく蒼矢が部室にたどり着くと、そこに先客がいた。

 机の上で3色の毛玉が、体を丸めている。


「ネコか」


 と思ったが、うっすら青く輝いている。

 悪魔だった。


「どっから入ってきたんだ?」


 蒼矢は侵入経路になりそうな場所がないか、部室を見回す。

 探せばすぐに分かった。

 窓がすこしだけ開いていて、カーテンが静かに揺らめいていた。


「……鍵、閉め忘れてやがる」


 風か何かの拍子に開いてしまったのだろう。

 キッチリ閉めて、鍵まで忘れずにかける。

 カーテンを整えた蒼矢が、振り返って机の上に目を落とした。


「あっ……剣、カバンの中だわ」


 ネコを浄化するためには、浄化剣バプティンガーを取りに教室まで戻らないといけない。

 面倒になった蒼矢はそのまま椅子に座った。


「部活前でもいいだろ。どうせ一番乗りだし」


 そう考えて、放課後まで部室に放置することに決めた。

 その判断に問題があったとすれば、いくら霊体だからといっても、ネコのお尻を眺めながらパンを食べなければならなかったというところだ。

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