2-2

 週明けの月曜日、蒼矢はいつもより30分以上早く家を出ていた。


「おはよう、蒼矢君」


 改札口の外で待っていると、こちらを見つけた彩歌が駆け寄ってくる。

 あくびを噛み殺しながら、軽く手を振って迎える。

 隣まで来た彩歌は見慣れない黒色の硬質そうなケースを背負っていた。


「なんだそれ?」


 気になった蒼矢は指をさして尋ねる。

 彩歌が「これ?」と言うように背中のケースを揺らすので、うなずいた。


「ヴァイオリンだよ」

「あ、そっか。専攻してるんだっけ」


 去年、部活に入った時の自己紹介でそんな話をしていたのを思い出した。

 ふわふわの癖っ毛を後ろで乱雑に纏めている小柄な彩歌には似合わなさそうだ、なんて考えたことまで思い出す。


(我ながら失礼なこと考えてたよなぁ)


 内心で反省しながら、あの時と同じようにヴァイオリンを弾く彩歌を想像する。

 その姿は何も変わらないハズなのに、どうしてか格好いいと感じてしまった。


「どうしたの?」


 ぼんやり隣の彩歌を見ながら考えていた蒼矢を、首を傾けた彩歌が見つめ返してくる。

 不意にどきりとして、顔を正面に向けた。


「なんでもない」

「なんでもなくないよね?」


 蒼矢がはぐらかそうとしても、彩歌は逃がしてくれない。

 しつこく頭を蒼矢の視界に入り込ませて、何を考えていたのかと聞いてくる。


「髪、切ったかなって」


 なんとか誤魔化せないかと、蒼矢はテキトウなことを言った。


「あっ! 気づいてくれた?」

「え、マジで?」

「やっぱりウソついてたー!」


 彩歌にカマをかけられて、すぐ嘘だとばれてしまった。

 しまったと目を覆う蒼矢に一層しつこく彩歌が迫る。


「なになに~? 私に言えないくらい恥ずかしいこと、考えてたの?」


 肘で身体をつつかれながら、そう言われる。

 このまま何か不名誉な勘違いをされても困るので、蒼矢は誤魔化すことを諦めた。


「別にそんなんじゃねぇよ。ただ、ヴァイオリン弾いてる彩歌ってどんなだろなーって……」

「なんだ、そんなことか~。ね、見てみたい?」


 言っていて顔が変に熱くなるのを自覚する蒼矢に対して、彩歌がニンマリとした笑みを浮かべる。

 勝ち誇ったようなその顔を見ていると、悔しさに近い感情がこみ上げてくる。

 蒼矢は彩歌から顔を背けて、肩をすくめた。


「さあな。ほら、そろそろ行こうぜ」


 そう言って蒼矢が歩き出した。

 あとを追ってきた彩歌も隣を歩く。

 彩歌と同じ電車に乗ってきたハズのほかの制服姿はとっくにいなくなっていた。


◆◆◆


 誰かと一緒に登校するなんて、いつ以来だろうか。

 下校は部活の日に限るが、文楽と一緒に帰っている。

 しかし、登校はいつも始業時間ギリギリに家を出る蒼矢にとって、とても新鮮だった。


「そういえば」


 特に会話もない高校までの道の途中で、蒼矢が尋ねる。


「今日の帰りはどうする?」

「放課後はヴァイオリンのレッスンで遅くなるから……」


 そこまで聞いて、今日の部活には来ないことを理解する。

 蒼矢は「先に帰っていて」とでも言いそうな彩歌を遮って言った。


「なら部室で待ってるから、終わったら来てくれ」

「いいの?」


 彩歌の表情が嬉しそうにパッと明るくなる。

 その笑顔を見せられた蒼矢は、つられて口元がほころんだ。


「まあ、帰ってもどうせ1人だし、待つくらいなら平気だぞ」


 部活のない日なら下校時間ギリギリまで居座っていることも、蒼矢にとっては珍しくない。

 だから彩歌を待つのも、そこまで苦にならないだろうと考えていた。

 そんな話をしていると、突然彩歌が足を止める。


「あっ……」


 ちょうど公園に差し掛かったあたりだった。

 あの夜、彩歌に魔神や悪魔のことを教えた公園だ。


「……? なんかあったか?」

「ううん、大丈夫。いろいろ思い出していただけだから」


 そう言って彩歌が公園を見つめる。

 まるで懐かしい景色を眺めるかのように、目を細めていた。


「ちょっといいかな」


 今度は、公園を指さして蒼矢を見てきた。

 うなずくと彩歌は小走りで公園の中へ入っていった。

 蒼矢もあとに続く。


「ここで初めて、蒼矢君から彩歌って呼ばれたんだなぁ」


 彩歌があの時と同じベンチに座って、感慨深そうに言った。


(実はそこが初めてじゃないんだけどな……)


 魔神に操られた彩歌の意表を突くために、拙い一芝居打ったことは黙っておく。

 操られていた時のことは覚えていないようだから、わざわざ言う必要もないだろう。

 蒼矢はそんなことを考えながら、視線を泳がせていた。


「……ん? ちょっと待っててくれ」


 視界を何か気になるものが横切った。

 見つけたものを追って、離れた茂みに蒼矢が近づいていく。

 奥の方から、青白い光が漏れていた。


「悪魔だな……」


 茂みに手を入れ、青い炎を纏う霊体を引っ張り出す。

 出てきたのは、カラスの姿だった。


「どうしたの、その子?」


 彩歌が後ろから覗き込んできて、蒼矢が掴んでいるカラスを見て言った。


「ただの下級悪魔だ」


 蒼矢が答える。

 言ってからおかしいことに気がついた。


「彩歌……見えてるのか?」


 霊体である悪魔は普通の人には見えない。

 生まれつき霊感の強い人なら、ぼんやりと見えることもあるにはある。それでも霊体の姿形を正確に捉えるには、霊的感覚を養うための、相応の訓練を行うことが必須だ。

 そんな知識を蒼矢が披露してみせた。


「でも私、結構ハッキリ見えてるよ?」


 カラスを見る彩歌は言った。


「霊炎……青い炎は見えるか?」

「うん。あっ、だから悪魔って分かるんだ」


 それを聞いて顔をしかめる蒼矢だったが、まずはカラス悪魔の浄化を優先することにした。

 カバンの中の浄化剣バプティンガーを探しながら、彩歌に尋ねる。


「こういうのを今までに見たことは……」

「この子が初めて。これ、やっぱり魔神のせいかな?」


 彩歌も蒼矢と同じ考えにたどり着いたようだ。

 うなずく蒼矢が、浄化剣バプティンガーを握りしめる。


「だろうな」


 そう言うと同時に刃でカラスを貫いた。

 真っ黒の霊体が青い炎で溶かされるように消える。


「ほんとに生き物じゃないんだ……!」


 非現実的な光景を目の当たりにした彩歌は、興奮を隠せないでいた。

 物語の世界に迷い込んだように、輝かせた目を蒼矢に向けてくる。

 そして手をガッチリと握られた。


「蒼矢君ってすごいんだね! 幽霊に勝てるなんて尊敬しちゃうよ!」


 久々に感じた人の手の温もりに、戸惑いと照れ臭さが同時に蒼矢へ押し寄せてくる。

 宿主の霊的感覚を大幅に引き上げるような魔神の霊障が、どんな問題を引き起こすのかなど、考える余裕はなかった。

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