第15話

 三日三晩戦いは続き、未だ決着はつかない。


 二人……一人と一匹は、荒野で戦う。


 元々荒野だったわけではない。

 二人が戦っているのは、多少の移動はあれど三日前と同じ場所だ。


 二人の戦いの余波で、草原どころか周囲一体は焦土と化していた。

 大地同様、二人も磨耗しきっている。


「そろそろ、終わりにしようか」


《あぁ》


 あくまでも軽い調子でのやりとり。

 しかし、両者の声にも疲れが滲み出ていた。


 恐らく、互いに残されている力はあと一手分のみ。


 ラナリスが口の中に魔力を集め、スナフが剣を構える。


 魔力が放たれるのと、スナフが踏み出すのが同時だった。


 魔力の塊を、スナフの剣が受け止める。


「おぉぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ……」


 スナフは歯を食いしばって剣を握っていた。


 ピシン。

 その剣にヒビが入る。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉらぁ!」


 構わずスナフは振り抜いた。

 剣が砕け散ると同時、しかしラナリスの魔力も霧散する。


 ラナリスは、スナフを直接踏みつけんと前足を大きく上げた。


 スナフは素早くラナリスの懐に潜る。

 だが、スナフに武器はない。


 スナフならば素手でもそれなりに戦えるだろうが、やはり武器を媒介にした戦い方ができるのとできないのでは雲泥の差がある。

 それは、スナフとラナリスほど実力が拮抗していれば致命的なまでの差となる。


 はず、だった。


 ブシュン。

 ラナリスは、胸に鋭い痛みを感じた。


 小さな刃物が刺さっていた。

 スナフが、木を彫るのに用いていたナイフだ。


 それを媒介に魔力で刃の部分を延長・補助。

 スナフの刃は、ラナリスの心臓に到達していた。


「すまないな」


 ナイフを手放しそれが刺さった身体を抱きとめるスナフに、ラナリスは穏やかな声で言う。


「こんな役割を、させてしまって」


「何言ってんの」


 彼の胸に顔を埋める形となっているため、ラナリスからスナフの表情は見えない。

 だが、見なくともなんとなく想像できた。


「君が望むことなら、なんだってする……そう言ったじゃない」


 予想通りの答えに、ラナリスは微笑んだ。



   ◆   ◆   ◆



 魔力の大半が失われて人の姿に戻っている身体を、スナフがそっと地面に横たえる。


 空は、青い。


 見上げながら、ラナリスはそんな当たり前のことを思った。


「綺麗だ」


 ただの空がとても綺麗に見えて、ラナリスは思ったままを口にする。


「君の方が綺麗だよ」


 すぐ近くで、スナフの声がした。


「なんてね」


 にゅっと、スナフの顔がラナリスの視界に映る。


 ラナリスの後頭部には、少し硬い枕の感触。

 どこか懐かしかった。


「なんだか、久々にお前に会った気分だ」


 スナフの腿に頭を乗せ、ラナリスはぼーっとスナフの顔を見る。

 手を伸ばそうとしたが、動かなかった。


 胸からは、とめどなく血が流れ続けている。


「あれだけ一緒にいたのに?」


 スナフが笑いながら尋ねる。


 ここ三日三晩、延々と顔を突き合わせていた。

 それもまた事実だ。


「でも、あれは営業用のお前なのだろう?」


 地下牢で、スナフが言っていた言葉。


「俺は、戦ってる君も好きだけど。君は、嫌いかな?」


「いや……戦っているときのお前は、格好良くて好きだよ。惚れ直す」


「ありがとう」


 屈託なく笑うスナフを見て、ラナリスも口元を緩める。


「でも、やはり私はこうして穏やかに過ごしている方が好きだな。お前との日々で、初めて知った時間だ」


 ラナリスの視界にあるのは、スナフの顔とその向こうにある青空。


「こんな風に穏やかな最期を迎えられるだなんて、思ってもいなかった」


 柔らかい風がラナリスの頬を撫でる。


「私などが……いいのかな」


「ラナリス」


 呼びかけられて、ラナリスはノロノロと焦点をスナフの顔に合わせた。


「後悔、してる?」


 言われて、考えてみる。

 もう、思考はモヤがかかったようにハッキリしない。


 しかし、だからこそシンプルに思考できたのかもしれない。


「いや……満足だ」


 心から、そう言えた。


 『魔王』の恐ろしさは、十二分に知らしめることが出来たろう。

 少なくとも、人類が即座に魔族へと戦争を仕掛け直すのを躊躇する程度には。


 出来た君主だなどと思ったことは一度もないが、最低限の役割は果たしたと言っても良いのではなかろうか。

 ならば、ここで降りても文句を言われる筋合いもあるまい。


 そして、何より。


 最後に過ごした日々は、望外の……想像したこともなかったくらい、素晴らしい思い出となったから。


「だったら、いいんじゃないかな」


 突然、ラナリスの目の前がスナフでいっぱいになった。

 唇に、柔らかいものが触れた感触。


 視界が戻った。

 スナフの唇が、先程よりずっと赤く濡れている。


「少なくとも俺は……君のやってきたことも全部ひっくるめて、君のことが好きだよ」


 ラナリスの視界が滲んだ。

 目の横を流れる熱い感覚に、自分が泣いているのだと知る。


「そう言ってもらえると、私も私のことが少しは好きになれそうだ」


 目を閉じる。

 恐らく、もう開くことはないのだろうという予感。


「救われた気分だよ」


 ラナリスは、意識を手放した。



   ◆   ◆   ◆



 動かなくなったラナリスの頬を、スナフがそっと撫でる。


「君さー。最後のあの動きは、いくらなんでも大雑把すぎるよね。君が、ナイフの存在を忘れてたっていうのも信じられないし」


 プニプニ、つつく。


「結局、手加減されちゃったかー。悔しいなー」


 大して悔しそうでもない、誰にともなく漏らされた呟き。


「勝てなかったなー」


 ラナリスの顔を覗き込む。


「……満足そうな顔しちゃって」


 スナフは、柔らかく笑った。


 ラナリスの体を抱える。


「行こうか」


 そして、歩き出した。

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