第12話

 ラナリスは、スナフが眠るベッドの脇に立った。


 体はまだ火照っているし、股の辺りに何やら違和感もある。


 裸で眠るスナフに対して、ラナリスは着衣を済ませていた。

 それも、長旅用の外套まで羽織っている。


 スナフを眺める顔に浮かぶのは、申し訳なさそうな苦笑いだ。


「房中術か……習得できる術は全て習得してきたが、まさか本当に使う日が来ようとはな。世の中、何が役に立つかわからぬな」


 静かに寝息を立てるスナフの髪を撫でる。

 ラナリスの術が正確に機能しているのならば、明日の朝までは目覚めないほど深い眠りとなっているはずだ。


「……すまないな」


 翌朝にスナフが思うであろうことを予想し、ラナリスは届かぬ謝罪を口にする。


「さようならだ」


 触れるだけの、口付け。


 最後にもう一度スナフの髪を撫でると、ラナリスは部屋を後にした。


 一度も、振り返ることはなかった。



   ◆   ◆   ◆



 閉じられている村の門を、ラナリスは一跳びで軽く乗り越えた。


 雨の中、傘もささない。


(相変わらず、大して存在する意味のない門だな)


 心の中で悪態をつきつつ、ラナリスは愛しげにその門を撫でた。


 村人に比べれば遥かに短い期間とはいえ、毎日眺めていればそれなりに愛着も沸く。

 まして、ここはラナリスが初めて過ごした『穏やかな日々』の象徴だ。


(こんなもの、すぐに壊れてしまう。例えば……)


 考え事をしながら、周囲の気配を探る。


(三十一、三十二……明確にわかるのはこのくらいか。まぁ、この村を潰すには一人いれば十分なくらいの練度はあるようだな)


 気付いたのは、今日の昼だった。

 恐らくは、相手も雨で多少の鈍りを見せていたのだろう。


 この村は、囲まれている。


 ラナリスに無関係である可能性は、限りなく低いと言えた。

 そして、恐らく昨日今日現れたものでもないだろう。


 なぜならば、そう考えれば以前のスナフの態度も納得がいくからだ。

 森へと駆けつけた時のスナフは、平時にしては明らかに動揺しすぎていた。


(それにも気付かず、私は眠りこけていたわけか……笑えるほどに鈍っているな)


 実際に、自嘲の笑みを浮かべる。


(そんな私を、護ってくれていた……いや、今更だな。看守が代わった時、もっと前から。敵として立ちはだかっていた頃から、私を護ろうとしてくれていた)


 今にして思えば、それに気付いた時からスナフに対する感情から棘が抜けたように思う。


(無意識のうちに、いつの間にかスナフに甘えていたのかもしれないな。ここ最近の、どこか心地よい感覚もそのためか)


 門から手を離す。


(だが、それも今日までだ)


 一歩目を、踏み出したところで。


「こんな夜更けにお散歩かな?」


 背後から聞こえた声に、ラナリスは足を止めた。

 振り返らずとも、声でわかる。


 ほとんど驚きを感じていないことが、逆に自分でも驚きだった。

 なんとなく、そうなるかもしれないと無意識に予測していたのだろうか。


 振り返る。


 スナフ・コールタットは、なんでもない顔でそこに立っていた。


「まったく。お前は、悉く私の行動を予測しているのだな」


 最早憤る気さえ起きず、ラナリスが浮かべるのは苦笑いだ。


「いや、実際結構危なかったよ。ラナリスがあんまり可愛いから、ちょいちょい防御魔法がだいぶ疎かになってたし」


 恐らくはイタズラっぽく笑うスナフの意図通り、ラナリスは顔を赤くした。


「さて」


 スナフはグルリと周囲を見回す。


「あいつらは、たぶん王都から君を捕獲しに来た奴らだろう。どうやら脱獄がバレたかな? ちょっと無用心すぎたか……やっぱり、あそこを……っと」


 ブツブツ独り言を言いかけ、スナフはハッと気付いた表情に。


「魔王を捕獲しようとしている以上、精鋭であることは間違いない」


 そして、話題を戻した。


「それでも、俺と君なら勝つことは難しくないと思うけど」


 スナフの口調は、まるで明日の天気の話でもしているかのような気安さ。


「やっぱり君は、行くのかい?」


 そてに対して、ラナリスは苦笑いを深めた。


「あぁ、そうだよ。私は、彼らに自ら捕まろうと思う」


 そう言っても、スナフには微塵の動揺も見られなかった。

 やはり全てお見通しというわけか。


 しかしそんなスナフも、どうやら今夜ラナリスから告白を受けることまでは予測していなかった様子だ。

 その後の交わりでも、時折動揺や戸惑いを見せていたから。


 スナフにもそんな一面があることを思い出し、ラナリスは内心で微笑んだ。


「それは、彼らと戦えばこの村も巻き込まれる可能性があるから?」


「それもある。彼らを護りたいなどと傲慢なことを言うつもりはないが、周りを巻き込んで壊すのはもうやめにしたい」


 淡々と問うスナフに、ラナリスも淡々と答える。


「今退けたところで、また次があるだけだから?」


「それもある。所詮、私の居場所は人間界にはないのだろう」


「他の魔族を救うため?」


「それも……やはり、お前はなんでもわかっているのだな」


「君のことならね」


 肩をすくめるラナリスに、スナフは以前と同じ回答を返した。


「我々が侵攻した土地も、徐々に人間界に取り返されているらしいからな。勝手を承知で言うが、やはり魔族の皆には少しでもいい土地を残してやりたい。そのためには、人間に魔族を恐れてもらう必要がある。ま、最後に一花咲かせるさ」


 冗談めかし、スナフを見習ってあくまで軽い調子で言う。


「なんて私が言うところまで、当然お前はお見通しなのだろう?」


「もちろん」


 あっさりスナフは頷いた。


「そして、君の決意が何をしようと変わらないことも知ってる」


 スナフが一歩踏み出す。

 元々、二人の距離はそれでゼロになる程度。


「だから、これはただのお見送り」


 身をかがめ、スナフはラナリスに口付けた。

 ラナリスが最後にしたような、触れるだけの軽いキス。


「お別れのキスが君からだけじゃ、不公平でしょ?」


 唇を離しただけの距離でそう言われ、ラナリスはパチクリと目を瞬かせた。


 一秒ほどの間を空けて、吹きだすように笑う。


 言いたいことは、山ほどあったが。


「いってきます」


 それら全てを、その一言に込めた。


「いってらっしゃい」


 恐らくは同じく万感の思いが込められているのだろう言葉を背に、ラナリスは歩き始めた。

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