第11話

 ヴィムと遊んだ雨の日の夜。


 ラナリスは、スナフの部屋の戸をノックした。


「はい、どうぞー」


「失礼する」


 スナフの許可を得て、ラナリスはドアを開けた。


「おや?」


 それを、少し意外そうな表情のスナフが迎える。


 以前の訪問は予測されていたようだが、今回はそうではなかったらしい。


「いらっしゃいませ、魔王様。何か御用ですかな?」


 冗談めかし、恭しくスナフは頭を下げる。


「あぁ。伝えたいことがあって来た」


 対するラナリスは、自然体だった。


「私は、どうやらお前のことが好きだったようだ。いつからかは、正直私にもよくわからないが……昨日今日、ということはないだろう」


 部屋に入ってすぐの場所で、突っ立ったまま。


 前置きも何もない、唐突とさえ言える告白だった。

 言葉に飾りもない。


 それに対するスナフの反応を、恐らくラナリスは一生忘れないだろう。


「……そか」


 返事は短いものだった。


 けれど、表情には万感の思いが込められていたように見えた。


 それは笑っているようでも泣いているようでもあったし、驚いているとも当然と感じているともとれた。


 ただ、間違いなくそこに強く現れている感情が一つ。


「ありがとう」


(あぁ)


 やはり短く返してきたスナフを視界に収めながら、再確認する。


(やはり私は、この男のことが好きなんだなぁ)


 不思議な感覚だった。


 スナフが嬉しいと思うことが、嬉しい。

 スナフを喜ばせたのが自分であることが誇らしい。


 ラナリスにとって、かつて感じたことのないものだ。


「だったらさ」


 スナフがラナリスとの距離を詰める。


「こういうことしても、大丈夫?」


 そして、そっと抱きしめた。

 まるで壊れることを恐れるように、ゆっくりと。


 その慎重さに、ラナリスは吹きだしそうになった。


 それから、ラナリスの方からもぎゅっと抱きしめ返す。


「これが、誰かを好きになるということか」


 スナフの匂い、暖かさが直に感じられた。

 それだけで、幸福感に包まれる。


「いいものだな」


「うん」


 しばし無言で抱き合う。


 互いの鼓動が聞こえ合う距離だった。


「……ふぅ」


 やがて、スナフの方から身を離す。


「あっ……」


 名残惜しく、ラナリスは気が付けばスナフを追って手を差し出していた。

 スナフの胸に届く。


「もう、離れてしまうのか?」


 拗ねた表情。


 そうなっているのは自分でもわかっているので、ラナリスは顔を逸らした。


「……はは」


 それを見下ろし、スナフは唇を歪めるようにして笑う。


 何かに堪え、無理矢理笑みを浮かべているかのようだ。


「ダメだよ、そんな顔しちゃ。我慢できなくなるからさ」


「ダメなのか?」


 今しがた空いた距離を、今度はラナリスの方から詰めた。


「我慢しなければ、いけないのか?」


「……言ってる意味、わかってる?」


 ラナリスは、スナフの困った顔を見上げる。


「知識としては、知っているつもりだ」


 赤くなっているのは自覚していたが、今度はラナリスも顔を背けない。


「私を、お前のものにしてほしい」


「……わかった」


 スナフの両手がラナリスの肩にかかる。


 スナフは、少なくとも表面上笑顔を浮かべていた。


「目が笑っていないぞ」


 クスリと笑いながらラナリスが指摘する。


「笑えないさ。そんな可愛い姿見せられちゃあね」


 ラナリスの肩にかかる力が、少し強まった。

 どちらからともなく、唇を引き寄せ合う。


 視界の中で、互いの顔が大きくなっていく。


 以前にも見たことのある光景だ。

 あの時はスナフから強引に迫り、しかしラナリスが拒否すれば離してくれた。


 今日は、拒否などしない。


 輪郭が見えなくなり。


 口が見えなくなり。


 鼻が見えなくなり。


 そして、目だけしか見えなくなって。


 唇が、触れる。


「ん……」


 ラナリスの鼻から、小さく息が漏れた。


 数秒も経たず、唇は離れる。

 離れても、二人は見つめ合った。


「……ふふっ」


 ラナリスが笑う。

 幸せを体現したかのような、蕩けるような笑みだった。


「あー、もう」


 ガシガシと自分の髪を掻き、スナフはラナリスを強く抱き寄せる。


 もう一度口付ける。

 今度は深くまで繋がった。


 少し乱暴で、長い長いキスだった。


「ん、はぁ……」


「ふ……」


 時折入る息継ぎで、二人の甘い声が漏れ出す。


 そのまま一夜が明けるかと思うほどの時間繋がり合ってから、ようやく離れた。

 二人の唇の間に透明な橋がかかり、プツンと切れる。


「そんな顔見せられたら、我慢できなくなるって言ったっしょ?」


 冷静を装おうとはしているようだが、そう言うスナフの目には隠しようのない熱が見て取れた。


「そちらこそ、言ったはずだ」


 こちらも恍惚とした表情で、ラナリスが答える。


 今度はラナリスから唇を奪って、そのまま至近距離で視線を絡め合わせた。


「ぷぁ……我慢など、しなくていいと」


「……わかった」


 離れるとのほぼ同時に、また近づいていく。


 既に人々は寝静まっている時間帯で、聞こえてくるのは僅かに外から届く雨音のみ。

 そこに、衣擦れの音が混ざって。


 少し頼りない室内の灯りに照らされる二つの影が、そっと重なり合った。

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