第9話
今日もまた、ラナリスは道端で魔石を売っている。
「毎度の購入、感謝する」
この頃は、ラナリスの露店──という名の、道端に布を敷いて魔石を並べただけの空間──にも固定客が着き始めていた。
良質の魔石――なにしろ、世界最高位の魔術師である魔王の手製だ――が、超格安――初めての売り上げ時から一〇メムという値段は変化していない――で売っているのだ。
ある程度の知識を有する者ならば、これを利用しない手はないと考えるだろう。
「……?」
ふと、ラナリスは商品購入後の客が未だ去らず突っ立っていることに気付く。
「どうかしたか?」
不思議に思い首を傾げると、客はポカンとした様子でラナリスの顔を見ていた。
「いや……僕は、あなたのところを利用するようになって結構経ちますが」
彼自身が言っている通り、この客はラナリスもよく覚えている顔だ。
ラナリスがここで魔石を売るようになった最初期から、定期的に購入を行ってくれている。
「あなたがそういう風に笑うところを見るのは初めてだな、と思いまして」
「ん……」
言われて、ラナリスは自分の口元を手で撫でた。
そうしたとて、先ほどの自分が笑っていたかどうかなどわかるはずもない。
「私は、笑っていたか?」
「えぇ、小さくですが」
そう答えると、客はようやく踵を返した。
「いやぁ、今日はいい日になりそうだ」
満足に笑って、手を振りながら去っていく。
「……ふむ」
ラナリスはまだ自分の口元を指先で突いていた。
「笑っていたか」
なぜ自分が笑ったのか、そもそも笑ったのが事実だったのかもわからなかったが。
もしも本当にそうだったのだとすれば、それはきっと悪いことではないのだろう。
ラナリスは、漠然とそんなことを思った。
「お、っと」
そこで、広げた布の上に商品が無くなっていることに気付く。
売り上げが伸びたおかげで、以前よりずっと多く魔石を生成してもすぐに売り切れてしまう。
近頃では、口コミによってラナリスの評判が広まっているそうだ。
何人か前に来た客がそのようなこと言っていた。
「新しく作っておくか」
広げていた布を畳み、ラナリスは街道を外れて歩き始める。
ずっとここで生成と販売を行っていたため、少々道を外れた程度の場所では手ごろな石が見当たらなくなっているのだ。
石を求めて、森の中まで入っていく。
「……ん?」
地面に敷いていた布を風呂敷代わりに石を集めていたラナリスは、ふと木の陰に何か毛の塊のようなものが落ちていることに気付いた。
近づいてみると、毛が小刻みに震えていることがわかる。
どうやら、独り立ちして間もない子狐のようだ。
ラナリスを見て震えるも、逃げない。
よく見ると、足のあたりに赤い色が見えた。
どうやら、ケガのため動けないらしい。
ラナリスが手を伸ばすと、子狐は一際大きくビクリと震えた。
「……ふむ」
ラナリスは子狐を抱き上げる。
代わりに自分が、木の幹に寄りかかる形で座った。
膝の上に乗せてみても、子狐はブルブルと震えるばかりだ。
「少しは逃げるなり攻撃するなりの意思を見せてみてはどうだ? そんなことでは、生き残っていけないぞ?」
独り立ちして間もないと先ほどは見積もったが、もしかするともっと幼いのかもしれない。
親とはぐれたのだろうか。
ラナリスは苦笑気味に笑い、子狐の傷に手を当てた。
「今回は特別だぞ?」
ラナリスの手が、淡い光を放った。
子狐の傷が、徐々に塞がっていく。
「魔力の乗りも、悪くなくなってきたな」
それは、日々の魔石生成でも思っていたことだ。
そろそろ、全盛期の調子が戻って来たと見ても良いだろう。
「……だが」
ラナリスは頭上に視線を向けた。
木々の合間から差してくる光に目を細める。
今日は快晴のおかげで、過ごしやすい暖かさだ。
ふと、いつの間にか足に伝わる震えがなくなっていることに気付き、ラナリスは手元に目を戻した。
ラナリスに抱かれたまま、子狐は小さく寝息を立てていた。
傷は既に完治している。
ケガのため、ここしばらくは眠れていなかったのかもしれない。
ラナリスは微笑んだ。
柔らかい笑みだった。
「そうだな。しばらくは、休憩もいいだろう」
誰にともなく呟いて、腹のあたりに温かさを感じつつラナリスは目を閉じた。
眠気はほどなく訪れた。
◆ ◆ ◆
途切れた意識が、再び浮上する。
「……ん」
ラナリスは、ゆっくりと目を開けた。
日の光はいつの間にかなくなっている。
月明かりも今は雲か木々に遮られているらしく、辺りは真っ暗だ。
子狐は姿を消し、その温かさの片鱗も残ってはいない。
「随分と寝過ごしたな」
予想外に眠りこけていた自分に、苦笑いを送る。
「……で」
急速に自分へと接近してくる気配の方に、ラナリスは顔を向けた。
「奴は、いったいどうしたというのだ?」
隠そうともしていないようで、探るまでもなくスナフであることはわかった。
その気配を感じなければ、もう少し起きる時間は遅くなっていたかもしれない。
ラナリスはその場でスナフを待つことにした。
どうやら全力近い速度で移動しているらしいスナフは、間もなくここに到着するだろう。
果たして、数秒後にスナフはその場に現れた。
その姿を見て、ラナリスは少なからず驚きを覚える。
「……っ……はぁ……はぁ……」
息は絶え絶え。
表情は、ともすれば絶望ともとれるほど焦りに満ちている。
その目は、かつてラナリスと対峙した際のスナフと同程度に鋭い。
全体としては、その時以上の鋭さといえるかもしれない。
スナフは、それほどに『必死』だった。
有事であることは、一目見て明らかだ。
「何があった?」
見たこともないスナフの様子に一瞬呆けてから、ラナリスは表情を引き締めた。
「……へぁ?」
そんなラナリスを見てスナフは、間抜けとしか形容しようのない声を漏らす。
なぜか、スナフは不思議そうな目でラナリスのことを見ていた。
「……あー」
しばらくそうしてから、スナフは頭を掻く。
気まずげな表情は、これもラナリスにとっては新鮮だ。
「その……ご飯、もうすぐできるって」
「はぁ?」
予測とは似ても似つかない内容に、ラナリスは盛大に疑問の声を上げた。
「お前、そんなことを伝えるためにそんなに必死にここまで来たのか?」
「うん、まぁ、そう……かな? ほら、早く帰らないとヴィムがお預け食らって拗ねちゃうじゃない?」
歯切れ悪く、スナフは誤魔化すように笑っている。
珍しさのオンパレードに、ふとラナリスの頭に思い浮かんだ可能性があった。
「もしかして……私の帰りが遅いから、心配していたのか?」
「うっ」
ギクリ、という擬音が聞こえてきそうだった。
「うー、やぁ、まー……」
唸りながら、スナフはあちこちに視線を彷徨わせる。
「……うん」
最終的には俯いて、小さくそう言った。
「……はは」
そんなスナフの姿に、笑いがこみ上げる。
「なぜそう気まずそうなのだ」
「や、だって勘違いとか。恥ずかしいじゃないっすか」
実際、スナフの顔は少し赤くなっているように見える。
多少夜目が効くとはいえ、明るい光の下でないことをラナリスは残念に思った。
「普段、あれだけ恥ずかしい言葉を言ってくる奴が何を言うか」
「それは別枠っすよ~」
拗ねたようなスナフの態度に、ラナリスはまた笑った。
「悪かった。では、帰ろうか」
ラナリスが差し出した手を、スナフは驚きの目で見る。
しかし、それも一瞬。
「うん」
手を握ったスナフは、もう見慣れた微笑みに戻っていた。
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