第8話

 数日が過ぎた。


 二人はまだロケイルに滞在している。

 盗賊退治の一件で英雄扱いとなった二人が、是非にとロケイルへの滞在を勧められていたからだ。


 特に予定もなかったため、スナフはそれを受け入れた。

 ただし滞在中の費用は全てロケイルが持つという申し出は断り、普通の旅人としてロケイルに滞在するという条件だ。


 そのため、二人はまだ商売を行っていた。

 朝に街道まで出てものの売り買いを行い、夜には宿に戻ってくる。


 相変わらずスナフは要領よく手製の像などを売り歩き、最近は商人に知り合いも多くなってきたらしい。

 ラナリスはラナリスで相変わらず、スナフに比べれば売り上げは芳しくなかった。


 それでも、始めた頃より売れ行きはいい。

 最近は、道の脇に座り込むラナリスの姿が名物になりつつあるという話も聞く。


 スナフはあくまで自然体だった。

 ラナリスとも普通に接する。


 まるで、ラナリスに言ったことなど全て忘れてしまったかのような振る舞いだ。


 ラナリスにはできなかった。

 スナフに接するときはどうしてもぎこちなくなるし、基本的にはスナフを避けている。


 しかし、気がつけばスナフの姿を目で追っていたりもした。


 そんなある夜、ラナリスはスナフの部屋の戸を叩いた。


「はいよ」


 戸が開き、スナフの方から顔を出す。


「いらっしゃい」


 スナフに驚いた様子はない。

 まるで、ラナリスの訪問を予測していたかのようだ。


 スナフに促され、ラナリスは室内に足を踏み入れた。


「お茶でも入れようか?」


「結構だ」


「そ」


 頷いて、スナフは備え付けの椅子に座った。

 ラナリスも机を挟んだ対面に座る。


「……………………」


「……………………」


 無言の時間が続いた。


 スナフから話しかけることも、話を促すこともない。

 ただ、じっと窓の外を見ているのみだった。


 一方のラナリスは、俯いて沈黙を保つ。


「……単刀直入に聞くぞ」


 長い沈黙を破ると、スナフの目がラナリスの方を向いた。


 それに呼応して、ついとラナリスは目を逸らす。


「お前が、どこまで本気なのかを聞きたいのだ」


 逸らしたまま、話を進める。


「単刀直入って言った割には抽象的だね。ま、基本的に俺はどこまでも本気だけど」


「だから、だな……」


 ラナリスの手は、知らずモジモジと動いていた。


「その……」


 徐々に、顔が赤くなっていく。


「お前が……」


 ここでも、スナフは口を挟まずラナリスの言葉を待った。


 今回は、どこか楽しんでいるようにも見える。


「私のことを好きだとか! そういう、ことだ……」


 叫ぶように言ってから、後半は消え入るように声が小さくなっていった。


「もちろん本気。というか、それが一番本気です」


 一方、なんの恥ずかしげもなくスナフは言いきった。


「けれど、お前が私のことを好きになるはずがないだろう」


 ラナリスの瞳が揺れる。


「どうして? 一度殺し合った間柄だから?」


「それもあるが……」


「確かに普通じゃないかもしれないけど、好きになったものは仕方ないでしょ? 感情は理屈じゃないしさ」


 スナフの答えに、ラナリスは首を横に振った。


「私とお前は……人類と魔族は、敵同士だろう?」


 ようやく、ラナリスはスナフに視線を戻した。


「私は、人の敵だろう? お前は……お前も、私を憎んでいたのだろう? そんな相手を、どうして好きになれるわけがある?」


 先ほどまでの恥ずかしそうな様子は身を潜め、ラナリスは真剣な目になっている。


 今度はスナフがゆっくり首を横に振った。


「そもそも俺は、君を憎んでいたから君に戦いを挑んでいたわけじゃない」


「ならば、なぜ?」


 静かに、もう一度尋ねる。


「君のことが好きだから。それが俺の原点だ」


 その言葉を聞いて、ラナリスはポカンと口を開けた。


「……ここでも、それを言うか」


 やがて、ラナリスの口元が笑みを形作る。

 どこか諦めにも似た、吹っ切れたような笑みだった。


「それで? どうしてそれが、私に戦いを挑むことに繋がるんだ?」


「俺が人間で君が魔王である以上、それしか君に会う手段はないでしょう?」


「……ははっ」


 今度は、声となって笑いが漏れる。


「そんなことのために、お前はあれだけの苦労をしたというのか? 数多の我が軍を斬り倒し、敵地で幾月も潜み、私に挑んだと?」


「そんなこととは失礼な。結局のところ、人の原動力となるのは愛だよ愛。それがなければ、俺は君を倒すほどの力は得られないかったろうね。たとえ、手加減されていたとしても」


 ふざけた調子であるにも関わらず、なぜかスナフが本心からそう言っているのであろうことが理解できる。


「ならば……私と正対した時も、お前はそのようなことを考えていたと言うのか」


「もちろん」


 即答だった。


「本当は君に会えた時点で満足だった。俺の人生は終わりでいいと思っていた。君の手で逝けるのなら悪くない。ただ……」


 珍しく、スナフが言い淀む。


「ただ?」


「君の顔に、迷いが見て取れたから」


 次いで出てきた言葉に、ラナリスの目が僅かに細まった。


「迷い、か……」


「うん、だから倒した。止めてほしそうに見えたから」


「そうか」


 短く返事し、考えるように黙り込むラナリス。


「そうだな。確かにあの頃、私は迷っていたのかもしれない」


 やがて、諦めたように溜め息を吐く。


「魔界は不毛の地だ。お前も知っているだろう?」


「うん」


 スナフは短く返事して頷いた。


 ラナリスの元に直接たどりつくほど深く斬り込み魔界に数カ月滞在していたラナリスならば、魔界のことも実感として把握しているだろう。


「だからこそ、魔界では力が絶対だ。少ない物資を奪い合うしかない。私は、彼らにもっと良い地を与えてやりたかった」


「だから、人間界に?」


「あぁ。後は、お前も知っての通りだろう」


 人間界に攻め込みそのおよそ半分を奪うも、そこでラナリスがスナフに敗北。


 指導者を失った魔王軍はみるみる衰退し、散り散りとなって現在に至る。


「なるほど確かに、あの頃私は迷っていたようだ。私は別に、人間界の全てを魔族のものにしたいわけじゃなかった。だが、一度動き出した軍は止まらない」


 どこか遠い目で、ラナリスはそう語った。


「それにしても、大した観察眼だな。私自身でさえ、今言われて初めて気付いたぞ」


 話題をスナフに戻す。


「直接会った君は、俺が初めて見た時……人間界に侵攻を始めた頃とはだいぶ違ってたからね」


「私が、変わったということか? 自分では、そのつもりはなかったが」


 ラナリスは少しだけ驚いた。

 スナフにというよりも、自分自身に対してだが。


「そもそも昔は自ら戦場で先陣を切ってた君が、最奥に引っ込むようになった頃から違和感があったんだけどね」


「あぁ……そういえば、そうだったな。いつしか、自身が戦場に立って積極的に戦に勝つことをやめていたのかもしれない」


 苦笑いを浮かべられる程度には、今のラナリスの心には余裕がある。


「戦場を駆ける君を初めて見た時、俺は心奪われた。遠くを真っ直ぐ、どこかわからないくらいまで遠くを見ているような目、どれだけ障害があろうとひるまぬ力強い進攻、泥にまみれてなおくすまない美しさ、全てに惹かれた」


 ストレートなスナフの物言いに、ラナリスの頬に再び少し朱が差す。


「だが、その論では今の私はお前にとってあまり魅力的ではなさそうだな」


 その口元が、また苦笑気味に変化した。


 なにしろスナフ自身が晩年の、そして今のラナリスにはそれが足りないと言っているのだから。


「いや? 今となっては、どんな君も好きだよ」


 けれど、相変わらず照れる素振りもなくスナフは言い切る。


「むしろ、前よりももっと好きになっていってる」


 結果、ラナリスだけが一方的に赤面することとなる。


「今みたいに照れた君も、さっきみたいに笑っていた君も好き。弱っている君も好きだけど、やっぱり笑っているのが一番いいかな」


 そういえば、とラナリスは思い出していた。


(先程は、ずいぶんと自然に笑えていた気がするな。そんな風にできたのはいつ以来だろう)


 スナフが続ける。


「新しい君を見るたびに、君のことをどんどん好きになっていくよ」


 柔らかく笑うスナフ。


「く、はは……」


 それを見ていると、自然と口元がほころんだ。


「よくもそれだけ、恥ずかしい言葉を言えるものだ」


 口にするのは憎まれ口でも、ラナリスは楽しそうに笑っている。


「俺は恥ずかしくないからいいのです」


「なんとも恥ずかしい奴だ」


 ラナリスの笑顔を見るスナフも、どこか嬉しそうだ。


 いつも似たような笑みを浮かべているスナフにも細かい表情の違いがあるということに、ラナリスは今さらながらに気付いた。


(あぁ……そうか)


 思う。


(いつ以来、じゃない)


 魔界に生まれた。

 ラナリスはそこで十分生き抜くことができるだけの力を持っていたが、心安らぐ瞬間などなかった。


 人間界への侵攻を開始してからなどなおさらだ。


「初めてだな。こんな風に笑ったのは」


 ラナリスの心は、かつてないほどに平穏だった。


「お、じゃあ俺がラナリスの初めてをもらっちゃったわけだ」


 わざとらしく、スナフはいやらしい笑みを浮かべる。


「あぁ、そうだよ。お前が初めてだ」


 ラナリスも冗談めかして返した。


「だがな、すまない」


 それを、真面目な表情に戻す。


「私は、お前の気持ちに応えられるかわからないんだ」


 スナフは微笑でラナリスの話を受け止めていた。


 僅かな表情の変化には気付けるようになっても、何を考え、感じているのかまではラナリスにはわからない。


「誰かを好きになることなどなかったし、想像したこともなかった。だから……」


 なおも言い募ろうとするラナリスの唇に、スナフの人差し指が押し当てられる。


「謝る必要なんてないさ」


 指を離し、スナフは笑みを深めた。


「今はフラれなかっただけで十分、ってね」


 スナフのウィンクに、いつの間にかラナリスの肩に入っていた力が抜ける。


「ありがとう」


 苦笑い気味に言って、溜め息を吐く。


「私がこのようなことで悩むことになるとは。考えもしなかったよ」


「なら、たくさん悩めばいいさ。色々考えて、経験して、さ」


 一旦言葉を切って、スナフは親指で自分を指した。


「最終的に君の好きな人が、俺になってくれると嬉しいな」


 イタズラっぽく笑う。


「あぁ、そうだな」


 スナフの深い黒色の瞳を見ながら。


「私も、私の好きになる人がお前であればいいと思うよ」


 ラナリスは、目を丸くするスナフという光景を初めて見た。

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