第6話

「へぇ、こんなところに村があったのか」


 スナフが意外そうな声を上げる。


 二人がいるのは、街道から少し外れたところにある小さな村だ。

 先程見た案内版には、ロケイルという村名が書かれていた。


 いくつかの店なども見受けられるが、基本的に『村』を成り立たせるための最小単位の施設がある程度といったところだろう。

 村を囲む柵や二人が先程通ってきた門も、とりあえず建てていますといった体だ。


 獣避けが主な目的だろうが、それなりの装備を整えた侵略者でも来ればたやすく突破されることだろう。


「これなら、昨日のうちにここに来とけばよかったかな?」


 ロケイルは、昨晩の野営地からそう離れてはいない。

 今日も昨日と同じく日暮れまで商売をしてから――なお、ラナリスの魔石は前日の三倍の売り上げを誇った――ロケイルに向かっても、十分まだ村人が活動している時間帯に到着できたほどだ。


「ねぇ?」


「っ!?」


 スナフがラナリスの方を振り返った瞬間、ラナリスの脳裏に昨晩のことが蘇る。


 濡れた髪、胸板、唇。


 そして、紡がれた言葉。


 それらがラナリスの胸を締め付けると同時、どこか甘い感覚をももたらしてくるのだった。


「どうかした?」


 不思議そうに、スナフがラナリスの顔を覗き込む。


「……何でもない」


 内心を悟られないよう、ラナリスは顔ごと視線を逸らした。


「そか」


 スナフもそれ以上は言及せず、あっさり身を引く。


「それにしても……」


 それから、スナフは村全体を見るように周りを見回した。


「なんか険悪なムードだな」


 それはラナリスも感じていたことだ。


 喧騒はなく、聞こえるものといえば動物の声や小川のせせらぎ、そこで回る水車の音くらい。

 これだけのどかな村ならば村人の雰囲気もそれに準じたものであっていいはずだが、全体的に人々の顔は暗いように見えた。


 多少街道から外れているとはいえ、辺境というほどでもない。

 旅人が訪れることもそう珍しいことでないだろうに、ラナリスは自分たちに無遠慮な警戒の視線が突き刺さっているのを感じていた。


「そうだな」


 だが理由まではわかるはずもなく、ラナリスは短くそう同意しておくに留めた。


 そしてその答えは少しの後、村の長からもたらされることとなる。


 村には宿泊用の施設が存在しなかったため、宿を求めて村長の家を訪れたのだが。

 スナフたちより二周りほど年嵩だろう壮年の男性は、スナフの申し出を断ると共にその理由も語ってくれた。


「盗賊団……ですか」


「あぁ」


 確認したスナフに、村長は渋い顔で頷く。


「近くの村が、もうずいぶんやられちまってるらしい。一度襲われれば、生き残りなんざほとんど出ないって話だ」


 自分で言って、村長はブルリと身を震わせた。


「まぁそんなわけで、悪いが今は素姓のわからない人を泊めるのは断っているんだ。内通でもされちゃたまんねぇからな」


「内通、ねぇ……」


 小さく呟き、スナフは村長にわからない程度に苦笑いを浮かべる。


 ラナリスにもその苦笑の理由はわかった。


 件の盗賊団とやらの質にもよるが、基本的にこの規模の村を堕とすのに内通者など不要だ。

 どこからでも侵入できるほど村の囲いは弱いものだし、門も力ずくで突破することなどたやすいだろう。


 そもそも、内通者を排するというなら入り口の段階でしなければ意味が薄い。

 やはり普段は平和な村なのだろうな、とラナリスは思った。


「そんなわけだ。すまないな、兄ちゃんたち」


 根は良い男なのだろう。

 村長は申し訳なさそうに頭を下げた。


「いえ……」


 スナフが首を振ろうとしたところで。


「あーっ!」


 そんな幼い声が響いた。


 一同の目がそちらに向く。


「きれいなおねーちゃん!」


 ラナリスにとっては見覚えのある少女だった。

 ラナリスの、初めての客。


 少女はトトトと駆けより、ラナリスの服の裾をつかんだ。


「おねーちゃん、ウチに泊まっていくのー?」


「いや……」


 ラナリスは、返答を口ごもる。


「こら、ヴィム。今は知らない人は泊められないって言ったろ?」


 ヴィムというのが少女の名前なのだろう。

 村長が苦い顔でしかる。


「えー? だって、知ってるおねーちゃんだよ?」


 ラナリスの服を離さず、ヴィムはいやいやと首を横に振った。


「そういう問題じゃなくてだな……」


「あの、その件についてなんですが」


 弱った様子の村長に、スナフが声をかける。


「我々の素姓が証明できればいいのですね?」


「あぁ? そりゃそうだけど……」


「では……」


 懐を探るスナフ。


「これでいかがですか?」


 取り出したのは、スタディオ王国騎士団の騎士章だ。

 スタディオ王家の象徴たる太陽のレリーフを基調に、豪奢な装飾が様々なされている。


「なんと、騎士様でしたか」


 村長の態度が改まった。


 王都からかなり離れたとはいえ、ロケイルもスタディオ王国の統治領域だ。

 見覚えくらいはあって当然だろう。


 尤も驚き方から察するに、騎士章のランクを見分けられるほどの知識までは持っていないようだが。

 スナフが今見せたものは、騎士章の中でも最高位のもの。


 その気になれば、スナフの一声で一個師団を動かせるレベルだ。

 無論、これは魔王討伐の功績によって下賜されたものである。


(つくづく、なぜこの男はこんなところでこんなことをしているのだろうな?)


 スナフが手にする騎士章をぼんやり眺めながら、ラナリスは改めてそんなことを思った。


 スナフは王都圏にいれば、一生どころか数代にわたって遊んで暮らせるほどの優遇措置がなされているはずだ。


「我々がいることで、賊が現れた際に皆さんをお守りすることもできると思いますが」


「なるほど、そういうことでしたら喜んで御迎えいたします」


 村長の顔が綻ぶ。

 安全が少しでも高まることに安堵したのだろう。


 あるいは、「騎士様がいるならこの村はもう大丈夫」くらいは思っているかもしれない。

 首都から離れるほど、人々が騎士に抱く幻想は強くなる。


「おねーちゃん、泊まるんだよね? やったー!」


 ラナリスの足元では、ヴィムが嬉しそうに飛び跳ねていた。


(やはり平和な人々だ)


 ラナリスは思う。


 騎士章など、騎士団の者を殺して奪い取りでもすればならず者が入手することも不可能ではない。

 流石に今スナフが手にしているものを入手するなら困難を極めるだろうが、この村長であれば最下級の騎士章であっても同じ反応をしただろう。


 あるいは騎士章が偽物だったとしても、彼に判別することは難しいのではなかろうか。

 そういった諸々を考慮すれば、騎士章を出した人間をそれだけで信用するのは危機管理意識が足りていないと言わざるをえなかった。


 ましてラナリスに至っては、身分の確認さえされなかったのだ。

 当然、それはとても危険なことである。


 なにせ実際ここにいるのは人類の敵、ラナリス・キックスなのだから。


(だが、その平和……羨ましくも、あるな)


 はしゃぐヴィムの頭を撫でながら、ラナリスはもう片方の手をそっと握り締めるのだった。

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