第5話

 結局魔石は一つしか売れなかったが、ラナリスの顔はどこか満足げだった。


 そうこうしているうちに完全に日が暮れたため、スナフが指していた方に行く。

 野営地はすぐに見つかったが、そこにスナフの姿はなかった。


「ふむ……」


 周囲の魔力を探る。

 別段隠れる気はないらしく、スナフの魔力はすぐに見つけることができた。


 一瞬迷ってから、ラナリスはそちらに向かって歩き始める。


「別に、妙なことをしているわけではないと思うが……」


 ラナリスは、まだスナフのことを信用しているわけではない。

 スナフの真意が未だわからない以上、不審の芽は少しでも潰しておきたかった。


 しばらく森の中を行くと、木々が途切れ視界が広がる。


 揺れる水面が見えた。

 湖だ。


「何をやって……」


 パシャン。

 水の音がラナリスの耳に届く。


 果たしてスナフはそこにいた。


 一糸、まとわぬ姿で。


「あぁ、ラナリス」


 どうやら水浴びをしていたらしい。


 スナフはラナリスの方を見、両手で髪をかき上げた。

 宙に飛沫が舞い、残った水分が頬を伝って流れている。


 日は暮れていたが今宵は月が明るく、全てはっきりと照らし出されていた。

 たくましい胸板も、鍛え上げられた腹筋も、そして、ラナリス自身をも。


 スナフに隠す気は全くないようだった。


「~~~~~~~!?」


 声を上げることもできず、ラナリスは真っ赤になった顔を全力で逸らした。


「魔石は売れ……ていうか、なんでそっち向いてんの?」


 純然たる疑問の声。


「……まさか恥ずかしいの? 『敵』同士なのに?」


 そこに、イタズラっぽさが混じった。


「て、敵だろうと……というか、敵だからこそ肌を見せたりなんてしないだろう!」


 半ば叫ぶように、ラナリスは反論する。


「戦ってれば、服が破けたりで肌が露出することもあるでしょうに」


「そんなことは関係ない、早く服着ろ!」


 クツクツと、スナフの笑い声が聞こえた。


「はいはい、わかりましたよ」


 スナフが水から上がる音。


 次いで、衣擦れの音が鳴る。

 恐らく体を拭いているのだろう。


「……っ」


 黙っていると、その音が妙に大きく聞こえる気がした。


「ま、魔石は一つ売れたぞ」


 だから、ラナリスは顔を背けたままそう話しかけた。


「はは、一個ね」


 苦笑いの気配。


「ま、しばらく続けてればそのうち上手になるでしょ」


「……というか、考えてみれば」


 ラナリスの声のトーンが下がる。


「『しばらく』や『そのうち』、『今後』などとお前は言う。だが、私たちの旅はそんなに長くは続かない。続かせない。そうだろう?」


 ラナリスは拳を握った。

 顔は背けたまま。


「なんなら、今から決着をつけてもいい」


「へぇ」


 楽しそうなスナフの声。


「力の回復具合は?」


「フン、もう八割方は……」


「本当は三割程度のくせに」


「ぐっ…」


 正確な見立てだった。


 だが、ラナリスは握った拳を戻しはしない。


「それが、どうした」


「ふーん」


 スナフの近づいてくる気配に、ラナリスはようやく目を正面に戻した。


「チッ……」


 ズボンは履いている。

 だが依然露出している上半身に、ラナリスは舌打ちした。


 しかし、ここで目を逸らすわけにはいかない。


「ねぇ、どうしてそんなに結着を急ごうとするの?」


 ラナリスが構えていても、スナフは無防備に前進してくる。


「そんなもの、一刻も早く終わらせたいからに決まっている」


 結果、ラナリスが下がらざるをえない。


「何を? この旅を?」


 スナフは微笑んでいた。


「何のために?」


 それは表面上優しい微笑であるはずなのに、ラナリスはなぜかそこに寒気を感じた。


「自由になるため? だったら、君はなぜさっさと逃げない? 例えば、今日なんて隙だらけだったろう?」


 後退していたラナリスの背が、木に当たった。


 一気に距離をつめてくるかと迎撃体勢に入ったラナリスだったが、スナフもそこで足を止める。


「俺と決着をつけたいから? そんなバカな」


 二人の距離は、およそ大股一歩分。


「だってあの時、手加減したのは君なのに」


 その一歩を、スナフが踏み出した。


 タイミングをずらされたせいで、ラナリスの反応が遅れる。


「君は、どうしてあの時そんなことをしたんだ?」


 ラナリスの頭の上、木の幹にスナフは手をついた。


 ラナリスとの身長差は頭一つ分ほど。


「お前ごとき、私が全力を出すまでもなく……」


 至近距離でスナフを見上げて、ラナリスは不敵に笑って見せる。


 その顔を映すスナフの目は、どこか無機質だった。


罰されたかった・・・・・・・?」


「っ!?」


 いつものようにふざけることなく、スナフは淡々と続ける。


「後悔していた? もう終わらせたかった? でも自分で終わらすことはできなくて?」


 スナフの言葉が、ラナリスの心臓を鷲づかみにしている。


「だから誰かに終わらせてもらいたかった? 自分ごと、全部」


 ラナリスは、いつしか俯いていた。


 頭上からスナフの言葉が降り注ぐ。


「君のしていたことは全て終わった。でも、君自身はまだ終わっていない」


「……まれ」


 ラナリスは叫んだつもりだったが、出たのは掠れた声だけだった。


「だから終わらせてほしいのかい? もう一度俺に、今度こそ確実に」


「黙れっ!」


 今度は意図した通り……あるいは、それ以上の声が出た。


「お前こそ、何なのだ!」


 スナフの方を見上げる。


「なぜ私を牢から出した! なぜ私を殺さない! なぜ……」


 スナフは、微笑んでその視線を受け止めていた。


「なぜ私の心に踏み入ろうとする!」


 その無機質な目を、ラナリスは真っ直ぐ睨み付ける。


「俺の方の動機は簡単だよ」


 と、スナフの目に突如感情が宿ったように見えた。


「そこらへんの物語を適当に開いたら載ってるような、あらゆる主人公、脇役、あるいは敵役と同じモチベーションさ」


 口調は、先ほどから変わらず場にそぐわぬ軽い調子。

 まるで芝居を演じる役者のように、妙にアクセントが強い。


「俺は、君のことが好きだから」


 少なくともそれは表面上、とても紳士な笑みだった。


 ラナリスは、無言でスナフを睨み続けている。


 そのまま……しばし。


「………………は?」


 ラナリスの表情が固まった。


 ついでに思考も固まった。


「好きな人が窮地にいれば救いってあげたい。好きな人の心に入っていきたい」


 ラナリスの頭に言葉が染みこむのを待っていたかのように、スナフはまた語り始める。


「そう思うのは、当然でしょう?」


「……は?」


 さっきと同じ言葉を、ラナリスはもう一度繰り返した。

 繰り返すことしか出来なかった。


 スナフはそんなラナリスを慈しむような目で見ている。


 それから、どれほどの時間が経過しただろうか。


「……ところで」


 スナフの笑みが変化した。

 ニヤリという擬音がふさわしい。


 見たことのある笑い方だ。

 見慣れた表情だ。


「さっき、俺の裸を見てやけに動揺してたのはさ」


 スナフはラナリスの耳元まで顔を近づける。


「へ……? ひゃっ」


 スナフの髪から垂れた水滴が首筋に当たり、ラナリスの口から悲鳴のような声がもれた。


「それは、俺のことを『そういう』対象として見てるからだったり?」


 耳元での囁きに、また声が漏れそうになる。


 が、どうにか我慢してラナリスは再びスナフを睨み付けた。


「そ……んなわけ、あるか! 裸というのは、最も無防備な状態だから……」


 ようやく、まともな言葉を発することができた。


 まるで、夢から現実に一気に引き戻されたような感覚だ。


「それなら、恥ずかしいって感覚はおかしいよね?」


「だから……って何をしている!」


「そっかー。だから体拭く時もあんなに嫌がってたんだー」


 服のすそから侵入してきた手を、ラナリスは慌てて押し返そうとした。


 が、その隙にスナフに両手を掴まれる。

 ラナリスの頭の上にて、スナフは片手でラナリスの両手を押さえつけた。


「何を……」


「さぁ、何をしようとしているのでしょー、か?」


 そして、改めて侵入が始まる。


「んっ」


 腹を撫でられ、またラナリスは声を漏らした。


「この、いい加減に……」


 手に魔力を集め……ようとして、出来ないことに気付く。


「チッ…!」


「残念、君の魔法は封じちゃってます」


 魔力の流れが、完全にスナフに支配されてる。

 理屈はわかるし、ラナリスにもできる技術だ。


 ただし、それなりに実力差がある相手に限る。


「力が戻ってもないのに、変に虚勢なんて張るからこんなことになるんだよ」


 突然、ラナリスの体をまさぐっていた手が服の中から出ていった。


 ほっとしたのも束の間、今度はそれがラナリスの頬に移動する。


「魔界じゃ、強者が絶対。欲しいものは奪う……だっけ」


 スナフの顔が再び近づいてくる。


 顔を背けようとするが、頬に添えられた手がそれを許さない。


「じゃあ、俺もコレ奪っちゃおうかな」


 視界の中で、スナフの顔が大きくなっていく。


 輪郭が見えなくなり。


 口が見えなくなり。


 鼻が見えなくなり。


 そして、目だけしか見えなくなって。


 ラナリスはぎゅっと目を瞑った。


 次の瞬間、唇に訪れるであろう感触を予測し。


「……なーんちゃって」


 しかし、その予測が実現することは結局なかった。


 スナフが遠ざかる気配。

 手首の拘束もいつの間にか解けていた。


「……?」


 ラナリスは恐る恐る目を開ける。

 スナフはもう森の方に戻りかけていた。


 スナフが振り返り、ラナリスはビクリと震える。


「もの売るついでに、いろいろ買っといたから。今日の晩ご飯は昨日までよりちょっと豪華だよ」


 何事もなかったように笑って言うスナフ。

 そして、さっさと森の中へと消えていった。


 残されたラナリスは、ポカンとそれを見送るしかない。


「……あいつは、何なのだ?」


 逃亡生活三日目にして、ラナリスは改めてそんな言葉を呟いた。

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