第4話

「働かざるもの食うべからず」


 逃亡生活三日目。


 二人は森の中を進むのをやめ、普通に街道を歩いていた。

 王都から既にかなり離れており、ラナリスの顔を知る者などいないだろうとの判断だ。


 というよりも、元よりラナリスの顔を知っている者などあまりいない。

 魔族も見た目は基本的に人間と変わらないし、そもそも魔王が普通の街道を人に混じって歩いているなどとは誰も思わないだろう。


「……は?」


 唐突なスナフの言葉に、ラナリスは眉をひそめた。


 そんなラナリスに、スナフは指を立てて説明する。


「いつまでも野宿というものアレなので、今後は宿に泊まる方向でいこうと思います。そうなってくると……というか、そうでなくとも先立つものが必要となってくるわけで」


「この間も言ったが、腐るほどの報奨金をもらっているのだろう?」


 ラナリスが首を傾けると、スナフはチッチッチッと指を振った。


「人はパンのみで生きるにあらずですよ、ラナリス君。学生でもないのに働かない、働く気のない者のことを……なんて言うのかは知らんけど、とにかくそういうのは良くない」


「はぁ……」


 曖昧に頷くラナリス。


「まあいいが、具体的には何をするのだ? 賞金稼ぎか? それとも、ボディガードでもするか?」


「残念。このあたりは治安がいいので、その手の物騒な仕事はあまりありません」


 なぜか楽しそうにスナフは話す。


「と、いうわけで」


 背嚢を下ろし、ゴソゴソ。


「商売をして稼ぎます!」


 手製の木彫り細工や干し肉を取り出した。

 それが売り物ということだろう。


「ほう、そうか」


 ラナリスは興味なさげにそれらを眺める。


「当然、君にもやってもらいますよ」


「ほぅ、そう……何?」


 流しかけて、ラナリスはまじまじとスナフの顔を見た。


「私が何を売るというのだ?」


「何でもいいよ。ていうか、別に物売るのにこだわる必要もないし。お金もらって何かするって形式でもいい」


「そうは言ってもな……」


 腕を組んで考える。


「ふむ……」


 と、ラナリスは足元に転がっている石を拾った。

 手の平にちょうど収まる程度の大きさだ。


 それを握り込む。


「んっ」


 しばし手に魔力を込め続けた。

 指の間から、淡い光が漏れる。


「例えば、こういうものか?」


 ラナリスは手を開いた。

 先ほど持っていた石が現れる。


 ただし、少しだけ表面からキラキラと輝いていた。


「へぇ、魔石か」


 感心したように言って、スナフは小さく笑う。


 魔石とはその名の通り、魔力を込めた石のことだ。


 魔法を使えない者でも、魔石に込められた魔法を一度だけ発動させることが可能になる。

 また、あらかじめ魔石を用意しておくことで魔法補助をさせたり、同時に複数魔法を使えるようにしたり、などといった使われ方もする。


 ただ、魔石にする時点で大なり小なり魔力は失われる。

 どの程度失われるのかは、制作者の力量と用いる素材次第だ。


 高位の魔法使いともなれば当たり前に自力で複数の魔法を展開できるようになるため、ラナリスやスナフ程の実力者ともなればそうそう魔石など使う機会もない。


「しかも結構な量の魔力が込められてるね。こんな伝導率の悪そうな、ただの石ころでよくもまぁ。さすがに魔王ってところか」


 魔石を手にとり、スナフはしげしげと眺めた。


「うん、いいんじゃないかな」


 満足げに頷いて、スナフはラナリスに魔石を返す。


 そこで、ふと思い出したように。


「ところでこれ、何の魔法が込められてんの?」


「その場にいる、魔力耐性の低い者を皆殺しにする魔法だ」


 スナフの問いに、ラナリスは事もなげに答えた。


「……………………」


 スナフ、無言で魔石を再び手にとる。


「発動」


 周囲を見回し人がいないことを確認してから、魔石の効果を発動させる。


 魔石から、怨嗟の声のような音を伴って魔力が放たれた。


 二人とも魔力耐性が高いため、特に何も起こらない。

 しばらくすると、全ての魔力を解放した石が割れた。


「せっかく作ったものに、何をする」


 多少の不満を表に出し、ラナリスが抗議する。


「色々ツッコミ所あるけど」


 スナフはため息。


「とりあえず、こんだけ魔力込めた即死魔法。普通の人だったら使用者まで死ぬよ」


「……なるほど」


 ラナリスはあっさり納得した。


「売り物にする魔石にも、向き不向きがあるということだな」


「厳密に言うとそういうことじゃないけど、めんどいからもうそういうことでいいよ」


 スナフがやる気なさげに頷く。


「ま、とにかく。そんなわけだから、込めるのは回復魔法や解毒魔法など、人に優しいものにするように」


「心得た」


 素直に頷くラナリスであった。


「んじゃ、と」


 言いながら、スナフは背嚢から大きめの布を取り出す。

 ラナリスをすっぽり包みこんで、二、三回はグルグル巻きにできるだろう。


 それを地面に敷く。


「これ、使っていいよ」


 そして、スナフは踵を返した。


「お前はここで売らないのか?」


「俺はもう、モノできてるしね、売り歩いたほうが効率いいかと思って」


 頭だけ振り返って言ったスナフか、ふと何かを思いついたような表情を浮かべた。


 ニヤリと笑う。


「それとも」


 完全に振り返って、スナフは大股に一歩進んだ。

 ラナリスの目の前。


「……?」


 警戒してラナリスは上体を逸らした。

 それをスナフが追ってくる。


 スナフは、ラナリスの耳元に口をやった。


「俺と離れるのは、寂しい?」


「っ」


 甘い声での囁き。

 耳に息がかかり、ラナリスの背にゾクリと震えが走った。


「バカなことを言っていないで、さっさと行け」


 ドンとスナフの胸を叩き、距離をとらせる。


「自分で呼び止めたくせに」


 楽しそうに笑って、スナフは歩き出した。

 後ろ手に二度ほど手を振っている。


「まったく……」


 しばらくそれを睨みつけてから、ラナリスはため息を吐いた。

 まだ顔は少し赤い。


「仕方ない、やるか」


 ラナリスは、街道の脇にある草むらで手頃な石を物色した。


 六個ほど見立てると、布の上に座る。

 それから一つ一つ、ただの石を魔石に変えた。


 スナフに言われた通り、込める魔法は回復や補助用のもの。

 攻撃用のものは含めなかった。


 六個程度ではさほど時間もかからない。


「さて、と……」


 完成した魔石、六個を目の前に並べる。


「よし」


 ラナリスは満足げに頷いた。


 そして客を待つ。


「……………………」


 しかし、誰も来ない。


「……………………」


 人通り自体は、それなりにあった。

 しかしチラチラと、あるいは無遠慮にラナリスの方を見ている者はいても、誰もラナリスに話しかけようとはしない。


「……………………」


 話しかけるどころか、ラナリスの前で足を止める者さえいない。

 ラナリスを見ている者に視線を返すと、たいていの者は気まずげに目をそらして早足になった。


 その際、それが男性であれば頬を赤く染める者も多い。


「……………………」


 空は青い。


 客は来ない。


「……………………」


 ラナリスは、ぼーっと人々の流れを眺めていた。


 客は来ない。


「……………………」


 時折紐でつながれた犬などが興味深げに魔石の匂いを嗅いだりするも、飼い主に紐を引かれるとあっさりそれに従った。


 客は来ない。


「……………………」


 日が傾いてきた。


 客は来ない。


「……………………」


 目に見えて、行き来する人の量が減ってきた。


 客は来ない。


「あれ?」


 横合いからの聞き慣れた声に、ラナリスは視線を上げた。


「まだ売れ残っているんだ」


 意外そうな顔でスナフが立っていた。


「全部で何個作ったの?」


 スナフの視線は、ラナリスの前に並べられていた魔石に注がれている。


「六個だ」


 無表情でラナリスは短く答えた。


「……六個? 六十個じゃなくて?」


「六個だ」


 繰り返す。


 スナフが背負う背嚢は、目に見えて中身の量が減っていた。

 恐らくそれだけ売り上げを上げたということだろう。


「おかしいな。こんなにいいものなのに。価値のわかる人が、一人も通らないとは考えにくいんだけど……」


 しゃがんで魔石を手にとったスナフは、不思議そうに首をかしげた。


 その目がふとラナリスに向く。


「……ねぇ、ラナリス」


 小さく首を傾けることで、ラナリスはそれに返事した。


「君さ、どんな風にしてたの?」


「どんな風、とは?」


 質問の意図がわからず、ラナリスは問い返した。


「魔石、売るよね? その間、君はどんな感じの売り方をしてたのかな、って」


「別に、このままだ」


 その通りをラナリスは答える。

 完璧な無表情だった。


 別に怒っているわけではない。

 ここを最近では――主にスナフのせいで――表情を変えることも少なくは無かったが、特に何もなければラナリスは常にこの表情である。


「そのままって、そのまま?」


「あぁ」


 オウム返しの質問に頷く。


「呼びこみとかは?」


 先ほどよりも大きく、ラナリスは首をかしげた。

 「呼び込みとは?」と、無言で問うている。


「呼び込みっていうのは、例えば……いらっしゃい、いらっしゃい、安いよー……とか」


 ラナリスの意図を汲み取って、スナフは身振り手振りを交えて説明する。

 その途中で、スナフは改めてラナリスの方を見た。


「というか君は、そういうの見たこともないの?」


「知識として『商売』という概念は知っている。が、魔界にはそのような文化そのものがあまりないからな」


「そうなの?」


 スナフの問いに、頷く。


「他者の持っているものがほしければ、奪い取るのが常識だ」


「そうなのか……んじゃ、俺が向こうで物資得るために強盗してたのって、実は正道だったのか……」


 どこか感慨深そうに、スナフは一人呟いている。


「基本的に、強さが全てだからな」


「そういやそうだったね」


 ラナリスはもちろん、スナフも別段そこに何か思うところはないようだ。

 実際に、魔界という土地で数ヶ月過ごしたからだろうか。


「じゃあまぁ、知らなくても無理はないけど。そうやって座っているだけじゃ、魔石売ってんのか、単に魔石の前に座っているだけなのかわかんないでしょ? だから、魔石売ってまーす、とか、魔石いかがですかー、とか、そういうことを言わないと」


「なるほど」


 ここでも、ラナリスは素直に納得した。


「後はー……やっぱり、笑顔かな。その方が話しかけやすいし」


「おかしくもないのに笑うのか?」


「それが商売というものです」


「そうなのか」


 再度納得。


「というわけで、とりあえず笑ってみようか」


「ふむ」


 ラナリスは、頬の筋肉を動かした。

 笑顔を作ったつもりである。


「うおっ……」


 スナフが引きつった顔で一歩引く。

 珍しく素のリアクションという感じがした。


 ラナリス自身には確認できないことであったが。

 今のラナリスは、食べると激痛に伴って頬を含む全身が痙攣するため笑っているように見えるという毒キノコを食べた者によく似た顔だった。


「……あー」


 ラナリスから視線を逸らし、スナフは額に手を当てた。


「まぁ、笑顔はとりあえずいいとして」


「そうなのか?」


 笑顔――と、ラナリスは思っているもの――のまま、ラナリスは首をかしげた。


「そうなのです」


「そうか」


 無表情に戻る。


 スナフもラナリスの方に目を戻した。

 どこかほっとした様子だ。


「んじゃ、そんな感じでもうちょっとがんばってみて。俺、先に野営地の準備をしとくわ。この先の森ん中にいるから」


「わかった」


 ラナリスの返事を確認して、スナフは森の方へと歩き出した。


「さて」


 ラナリスは、視線をスナフの背中から街道へ戻す。


「呼び込みか……」


 コホンと、一つ咳払い。


「あー……」


 声を出すと、ちょうど目の前を歩いていた男性が足を止めてラナリスを見た。


「あっ、その……」


 いきなりの成果にラナリスは動揺する。


「何か?」


 男は首を傾げた。


「やっ、あの、ま、ませ、その…」


「……?」


 しどろしどろのラナリスに、男性は怪訝そうに眉をひそめた。


「私は、あー……」


「申し訳ありませんが、用がないのでしたら私はこれで失礼しますね」


 不審者丸出しのラナリスを警戒してか、男性は一礼して歩き始めた。

 その歩調は明らかに来たときよりも早まっている。


「……ふぅ」


 緊張の糸が切れ、ラナリスはため息を吐いた。


「たかだか話すだけで、これほどの醜態を晒すとはな」


 自嘲気味に笑う。


 と、ラナリスの視界がこちらへと歩いてくる少女の姿を捉えた。

 六歳くらいだろうか。ラナリスはもう一度咳払いをする。


「そこの少女よ」


 二度目だからか、あるいは相手が子供だからか。

 少し固いものの、先ほどよりもずいぶんと簡単に声は出た。


「わたし?」


 自分を指さし、少女は首を傾げた。


「あぁ、そうだ」


「なにー?」


 警戒心が薄いのか、少女は何の迷いもなくトトトと近寄ってきた。


「その……この石を、買わぬか?」


 やはり商談――そう呼べるほど立派なものではなかったが、ラナリスにとってこれは間違いなく『商談』だった――の段階なると緊張する。

 ラナリスの声は少し震えていた。


「わぁ、きれー」


 一方、少女は素直な賞賛を声にあげる。

 少女の目には恐らく魔石の価値などわからず、ただのキラキラした石ころだと思っているのだろう。


「おいくらですか?」


「え……?」


 少女に問われ、ラナリスはハタと気付いた。


(値段……そういえば、そういったものも必要なのだったか……)


「?」


 急に黙ったラナリスに、少女は疑問を表情に浮かべる。


「で、では十メムでどうだ?」


 だから、慌ててラナリスはそう言った。


「えっ?」


 少女の顔に浮かんだ驚きに、ラナリスの焦りは加速する。


「高かったか? それなら……」


「十メムでいいの? じゃあ、はい!」


 早口で訂正しようとしたラナリスに、少女の小さな手が差し出された。

 手の上には十メム硬貨が乗っている。


 地域によって多少価値の違いがあるものの、十メムとはおおよそアメ玉一個程度の値段である。


「あ、あぁ…」


 恐る恐るといった調子で少女から硬貨を受け取ると、ラナリスは代わりに魔石を手渡した。


「ありがとう!」


 少女の顔に笑顔が咲く。


「じゃあね、きれいなおねーちゃん!」


 笑顔のまま、少女はピョコンと踵を返した。


「バイバイ!」


 しばらく行ったところで、ラナリスに向かって大きく手を振る。


「……バイバイ」


 ラナリスも、小さく少女に手を振り返した。


 これも、ラナリス自身には見えぬことではあったが。

 その顔には自然な笑みが、小さくであったが浮かんでいた。

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