第3話

「ん……」


 目が覚める。


 脳が未だ半分も覚醒しているか怪しいラナリスの耳に、鳥の鳴き声に交じってシャッシャッという音が聞こえてきた。


「んー……?」


 寝返りをうつ。

 少し硬めの枕の上を転がって、横向きから仰向きに体勢を変えた。


 ゆっくり目を開ける。

 と。


「おはよう」


 目の前でスナフが小さく笑っていた。


「っ!?」


 一気に意識が覚醒する。

 ラナリスは勢いよく体を起こした。


「っと」


 スナフは、ラナリスに当たらないよう両手を上げている。


「なっ、なななななななっ!?」


 ラナリスは寝起きの頭を一気にフル回転させ、状況を確認した。


 ラナリスとスナフの現在の位置関係、あぐらをかいたスナフの体勢、ラナリスの後頭部にまだほのかに残っている感触。


 総合的に判断して、ラナリスが枕だと判断していたものがスナフの腿だったであろうことは明白だった。

 いわゆる膝枕というやつである。


「なっ、なぜこのような状況になっている!」


 真っ赤な顔、混乱する頭でラナリスはスナフを指差して叫んだ。


「なぜ、と言われてもね」


 手にしたナイフ――スナフは右手にナイフ、左手に木の塊を持っていた――の柄で頭をかく。


「そちらがやったことを、俺は甘んじて受け入れてただけだからね」


「んなっ」


 ラナリスの頬がヒクつく。


「そんな、わけ……」


 ない、と言いかけて口をつぐんだ。


 昨晩の記憶を掘り起こす。


 急激な眠気に襲われたラナリスは横になり、手近なものを枕代わりにしたのだった。

 現在見渡す限り、そんな枕向きの物体など周りには存在しない。


 ラナリスが先程まで、実際に枕にしていたもの以外は。


「そんなわけ、あったか……」


 恥ずかしさに、ますます顔が赤くなる。


「ん……」


 横目でスナフの方を見て、ふとラナリスはもう一つの事実に気付いた。


 スナフの体勢、位置はラナリスの記憶にある昨夜から変わっていない。

 ラナリスが心地よい眠りを明け方まで継続できたことから鑑みても、ずっと動かなかったということだろう。


 頭一つとはいえ、一晩も乗せていれば痺れや痛みもあるはずだ。

 しかし身じろぎ一つせず、スナフは涼しい顔をしている。


「……ふん」


 ラナリスは鼻を鳴らした。


「私の枕役、大義であった」


 そしてことさら不遜に、ふんぞり返って言う。

 顔は赤いままだった。


「いえいえ。魔王様の麗しい寝顔を存分に堪能させていただきましたので」


 ラナリスに合わせ、忠誠を誓った騎士のようにスナフは恭しく頭を下げる。

 もっとも、言葉の内容は敬いとはほど遠かったが。


「寝が……まぁ、いい」


 コホンと咳払いする。


「一晩中起きていたのか?」


「まぁ、一応ね」


 スナフが策を弄じてあるとはいえ、追手の可能性が皆無なわけではないだろう。

 魔物や野党に襲われる可能性もないではない。


 そんなことに、ラナリスは今更ながらに気付く。

 昨夜は眠気のせいでそこまで頭が回らなかった。


 もっとも実際のところは、大国に隣接するこの山ではさしたる危険もないだろうが。


「そうか、お前だけに任せてすまなかった。礼を言う」


 先程の、照れ隠しの礼とは違う。

 ラナリスは真摯に頭を下げた。


 もしかすると命関わるかもしれなかったこと、当然の対応だ。


 頭を上げると、呆気にとられた様子のスナフがそこにいた。


「……? どうした……?」


 スナフが驚いている意味が理解できず、ラナリスは首をかしげた。


「あー、いや」


 スナフは自分の頬を掻いた。

 その表情は、既にいつもの飄々としたものに戻っている。


「ずいぶん素直に言うもんだな、と思ってね。魔王とか呼ばれてんのに」


「なんだ、そのようなことか」


 再び鼻を鳴らす。


「言うべきでないと判断すれば、どれだけ自分に非があろうと謝罪も礼も言わないがな。そうでない場面でまで意固地な者など、統治者としては二流もいいところだ」


「へー、思ったより常識的ー」


 言葉は適当だったが、スナフの声には素直な感心が乗っていた。


 ラナリスは呆れたように溜息を吐く。


「お前は、魔王を何だと思っているのだ?」


「んー、なんつーかこう……力が全て! 俺が一番強いんだから俺に従え! 俺のために死ね! ……みたいな?」


 偏見に満ちたスナフの言葉に、しかしラナリスは「ふむ」と頷く。


「もちろん、そういった側面もある。魔族の中で最も強い者が魔王、という認識もまた概ね間違ってはいないだろう」


 「だが」と続け、ラナリスは人差し指を立てた。


「それとは別に、やはり統率者としての資質というものはあるのだよ」


「なるほど」


 どこか教師然としたラナリスの説明に、スナフは素直に頷く。


「じゃあ、ラナリスは統率者としても優秀なわけだ」


 冗談めかしたスナフの言葉。


 同じノリで返すのが正解だったのかもしれない。


「……さぁ、どうだったろうな」


 しかしラナリスには、弱々しく笑うことしかできなかった。


「そっか」


 幾度かあったことだが。

 こういう時に、スナフはそれ以上に踏み込んではこない。


 それがラナリスには有難く、しかし同時に少しだけもどかしい気持ちになるのだった。


「ところで、今更だがそれは何だ?」


 そんな気持ちを誤魔化すように、ラナリスはスナフの手の中を指さした。

 スナフがずっと持っているのは小ぶりのナイフと、掌から少しはみ出すサイズの木だ。


 先程から、ラナリスと会話しつつもスナフはそれを削り続けていた。


「魔具でも作っているのか?」


「いや、ただの木だよ」


 スナフは、今しがた削っていた場所を指で撫でる。

 その一瞬、スナフの目には我が子を愛しむ優しさのようなものが宿っているように見えた。


「ほぅ……」


 ラナリスは改めて、まじまじとスナフの手にある木を見る。

 全体としてはまだ荒削りの段階だが、鳥を模したものを作っているのであろうことはわかった。


 特に頭の部分は仕上げに入っているらしく、かなり精巧な鳥の顔が出来上がりつつある。


「本当に器用なのだな。見事な造形だ」


「一人で旅をしてると、どうしても手持無沙汰な時間ができてね。こういうことばかり上手くなる」


 ラナリスの飾らない称賛に、スナフは苦笑いで答えた。


「戦っていた頃は、お前のことを直情タイプのパワーバカかと思っていたのだがな」


 クク、とラナリスは小バカにするように笑う。


「失礼な。当時から割とトリッキーな頭脳戦をしてたでしょうが」


「そもそも、魔王軍相手に単身で戦いを挑んだりする人間が器用なタイプだなどと思うものか」


「なるほど、それはそうかもね」


 肩をすくめてから、今度はスナフがニヤリと笑った。


「でも、確かに俺も君のことを見誤ってたよ。クールになんでも完璧にこなすのかと思いきや、意外とからかいがいがある」


「放っておけ」


 ムスッとした表情で、ラナリスは顔を背ける。


「ほら、そんな顔するなんて、敵対してた頃には想像もできなかった」


 そんな様を、スナフは楽しげに笑いながら眺めていた。


「フン、そうだな……」


 ラナリスも表情を緩め、かけて。


「……いや」


 逆に引き締める。


「いや、違うぞ勇者」


 ラナリスの変化に、スナフもわずかに目を細めた。


「私たちは、未だ敵対関係だ」


 立ち上がり、ラナリスは魔力を高めていく。


「そして今度こそ、その関係にも決着をつけるとしよう」


 ぐっすり寝たおかげか、昨日に比べて身体の調子はすこぶる順調だった。


 魔力の走りもいい。

 違和感がない。


「決着、ねぇ……」


 スナフは座ったまま、魔力も静かなままだった。

 あろうことか彫刻の続きを再開させてまでいる。


 張り詰めた空気の中、緩い表情。


 だが、ラナリスは憤ったりはしなかった。

 油断もしなかった。


 たとえスナフがどれだけ隙だらけに思えようと、ラナリスは欠片ほどの緩みも見せはしない。


 シュッ、シュッと木を削る音が耳を打つ。

 その手の動きを、しかし一部に捉われることなく全体を、ラナリスは両の目で見つめた。


 魔法の補助により目の潤いは保たれ、瞬きをする必要はない。

 だから、ラナリスは完全に連続した時間の中でスナフを見ていた。


 刹那も見逃さないほどの覚悟と、そしてその能力をラナリスは持っていたはずなのに。


「まぁ、そう焦らなくてもいいじゃない?」


 気がつけば、スナフはラナリスの隣にいた。


 ラナリスの喉元にはナイフの切っ先が突きつけられている。


 驚きの声を上げることはできなかった。


 強者は絶対であるという原則のもとで育ったラナリス。

 そこで培われた感覚が、動くことを許さなかった。


 眼球を動かして、スナフの表情を確認することもできない。

 できなかったが、スナフがいつも通りの緩い表情であることはなぜか容易に分かった。


「せっかくの旅なんだから、もっとゆっくりいこうよ」


 プチン、ラナリスの喉に小さく痛みが走った。

 ナイフの切っ先がわずかに皮膚を突き破り、一筋の血が流れる。


「ね?」


 その血を、首筋へと口付けるようにスナフの舌が舐めとった。


 ゾクリと、ラナリスの全身が震える。


 それはスナフの舌がもたらした甘い感覚故なのか、あるいは。


 なるほど確かに、先の戦いでラナリスは全ての力を出し切ったわけではなかった。

 だが、しかし。


 それはスナフにも言えることなのではないか?

 そんな漠然とした予感のようなものが、ラナリスの体を震わせたのか。


 ラナリス自身にも、判断は付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る