第2話

「……なんというか」


 どこか釈然としない様子で、ラナリスは一人ごちる。


「拍子抜けするほどに、簡単に行ったな」


 スナフとラナリスは、城から歩いて半日ほどの場所にある森の中にいた。

 追手が放たれた気配を感じてからでも、十分に逃げ切ることができる距離まで離れたと言える。


 もっとも、追手から放たれる気配など欠片もなかったが。


「俺様、救世の勇者様だかんね。信頼度はバツグンよ」


 内容の割に自慢げな様子も薄く、そこらに落ちている木の枝を拾い集めながらスナフは言う。


 脱獄の仕方は至極簡単。


 大きめの箱にラナリスを入れて、スナフが運ぶ。

 これだけである。


 白昼堂々そんなものを運ぶスナフは、どう見ても不審者だった。

 あからさまに怪しいその姿がしかし一度も城の者に呼び止められることがなかったのは、本人の言う通り勇者としての信頼ゆえだろう。


「それにしたって、私が囚われていた牢には様々な監視魔法が張られていたはずだろう」


「それ、基本俺が作ったやつだからね。それ以外のも、乗っ取っちゃえば問題なし」


 スナフの魔力が高まった。

 魔法を使う予兆に、ラナリスは身構える。


「ほい、っと」


 そんな中、スナフの指先から炎がほとばしった。

 目の前の薪に火がつく。


 それだけ。


「………………?」


 その後何が起こるのかと、ラナリスは身構えたままだった。


「ん? 何やってんの?」


 振り返って、スナフは首をかしげる。


「……やるんじゃないのか?」


 憮然とした――というよりも、恥ずかしさを隠したような――表情で、ラナリスは構えを解いた。

 しかし完全に気は抜かず、最低限次の瞬間何が起こっても反応できる程度には気を張っている。


「何を?」


 一方こちらは全く警戒した様子も見せず、スナフは疑問符を浮かべていた。


「私との決着をつけるのだろう?」


「うん? あー、はいはい」


 言われて初めて思い出したかのように、手を叩くスナフ。

 「そういやそういう設定だったよねー」などと、小さく呟いている。


「それはほら、牢の中でも言ったじゃない? 力を取り戻してない今の君じゃ、俺の方が勝つに決まってるしさ。それじゃ意味がない」


「む……」


 ラナリスは不満げに眉を寄せた。


「……まあ、事実だ」


 しかし、不承不承ながらも納得した様子で視線を逸らした。


 先程構えて改めてわかったことだが、確かに今のラナリスは本調子とは程遠い。

 今出せる力は全盛期の半分程度だろうし、臨戦態勢になるまでに一秒近くの時間がかかった。


 スナフが決着をつけるには十分すぎる時間だ。


「ていうわけだから、今夜はここで休憩ね。野宿じゃあんま休まらないかもしれないけど、昨日までよりはマシっしょ?」


 冗談めかして言って、スナフは自分の隣をポンポンと叩く。

 そこに座れということか。


 不満を顔に表わしながらも、ラナリスは素直にそこに座った。

 焚き火の暖かさが身を包む。


 その時になってようやく、ラナリスは自分が自由になったということを実感できた気がした。


「しかし、明朝になれば看守が見回りに来るぞ。もぬけの殻では城中が大騒ぎになるのではないか?」


 今さらながら、そんな簡単なことに思い当たる。


「大丈夫、ちゃんと身代わり置いてきたから」


「身代わり?」


「魔力で作った人形。一応、口のとこに食べ物を持っていくと食べるくらいの能力は持たしてる。話しかけられるとアウトだし、たぶんよく見ると偽物だってわかると思うけど……今の看守さんなら大丈夫でしょう、たぶん」


「まあ確かに、奴には私に話しかけたり、まじまじと見つめるほどの度胸はないと思うが」


 喋りながら、ラナリスは興味深げにスナフの方を見る。

 スナフは金属製の器に水を注ぎ、焚き火にかけているところだった。


「しかし、人間はそのような擬態の魔法を開発しているのか?」


「いんにゃ、俺が作った魔法っすよ。流石に処刑の時になりゃバレるんだろうけど、それまでの時間稼ぎにはなると思ってね」


「その稼いだ時間で、私との決着をつけようということか」


 ラナリスは歯を剥き出しにし、好戦的を笑みを浮かべる。


「ま、そんなところかな」


 一方のスナフは短くそう答えた。


 ラナリスの方にはチラリと目を向けただけで、すぐに焚火の方に視線を戻す。

 沸騰してきたお湯の中に、こぶし大の白い塊を入れて蓋をした。


 挑発に乗ってこなかったスナフに、ラナリスはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「お前は、そういう新しい魔法の開発が得意なのか?」


「割とね。さっきも言った通り、器用だかんね」


 ワキワキと手を動かし、スナフはニヤリと笑った。


「でも、ラナリスもやるんでしょ? 俺と闘った時、他の奴らが使わない魔法バンバン使ってきたし」


「まあ……な」


 歯切れ悪く、曖昧に頷くラナリスにスナフは首をかしげる。


「その、攻撃魔法を作るのは得意なのだが……お前のような細かい挙動を組み込む魔法はあまり……得意では、ないかもしれんな」


 たまたまテストで悪い点を取った優等生のように、恥ずかしさと気まずさの混じった表情のラナリス。


 スナフはくすりと笑った。


「結構大雑把なんだ。見た目は繊細なのに」


「フン、放っておけ」


 憮然とした表情となったラナリスに、スナフは笑いを深めた。


「っと、そろそろか」


 次いで、火にかけていた器のフタを開ける。


 先程の白い塊は、ふっくらとしたご飯になっていた。

 どうやら先ほど入れていたのは、一旦炊き上がった米を乾燥させたものだったらしい。


 牢での味気ない食事をとは違う、良い香りがラナリスの鼻腔をくすぐる。


 キュルル。

 ラナリスの腹が鳴った。


「ぐ……」


 少し赤くなり、ラナリスは自分の腹を押さえる。


 笑いながらスナフはご飯を半分木の器に移し、スプーンと共にラナリスへと手渡した。

 続いて荷物から干し肉を取り出し、ナイフに刺してそれも渡す。


「少し炙ってからの方がおいしいよ」


「む……すまない」


 素直に受け取るラナリスに対してスナフはもう一切れ干し肉を出すと、同じくナイフに刺して火の前に差し出した。


「……やけに手慣れているな」


 感心と共に、ラナリスもスナフを真似て干し肉を火にかける。


「そりゃー、基本的に野宿野宿の日々でしたから。もうプロよ、プロ」


 肉の焼ける匂いが、先程以上にラナリスの空腹を刺激していた。


「特に君らの領土に入ってからは、街に入るわけにもいかないしさ。もう連日の野宿野宿、ラスト2ヶ月くらいは、ずっと野宿だったよね。今みたいな保存食はとっくに尽きてるし、生態系は違うしでありゃー大変だった」


 そう前のことでもあるまいに、懐かしげにスナフは語る。

 言葉とは裏腹に、語り口は楽しげである。


 対照的にラナリスの表情は硬くなった。

 スナフが今語っている苦労は、まさしくラナリスがいたからこそ発生したようなものだ。


「……私は、謝罪するつもりはないぞ」


「ん?」


 唐突な言葉に、スナフは疑問符と共にラナリスを見た。


「あぁ、そういうこと?」


 その表情に、何のことかを察したのだろう。

 しかし、スナフの雰囲気は変わらない。


「別に、謝ってもらう必要なんてないさ。お互い自分の信じる道を進んで、その結果ぶつかった。それだけの話だから」


 スナフはなんでもないことのないように言う。

 同じことを口にできる者は多くとも、こうも遺恨を感じさせずに言える者は少ないだろうとラナリスには思えた。


「そうだな」


 少なくともラナリスも、人間との戦を始めた頃ならば同じように言えたことだろう。


「けれど、私は……」


 そのまま心情を吐露しかけて、ハッと口をつぐむ。


「そろそろ、いい頃合いだな」


 ラナリスは火に当てていた干し肉を引っ込める。

 あからさまな誤魔化しではあったが、スナフがそこに言及してくる様子はない。


 肉をかじる。


「ん……」


 口の中に広がった味に、ラナリスは思わず目を見開いた。


 空腹に加え、まともな食事が久々だということ、さらに味付け自体が魔界とは異なるらしく、新鮮な味わいが舌を刺激する。


「うまいな」


 元は無理な話題転換のための行動だったはずだが、ラナリスの頭はすっかり食事モードに切り替わっていた。


「割と自信作ですから」


 得意気に言うスナフの横で、ラナリスは肉とご飯をほおばっていた。


「むぐ……これも……ん……お前が……んむ……作ったのか?」


 食べながら喋る。

 普段ならやらないマナー違反は、野宿の空気に当てられたからか。


 スナフに気にした様子はない。


「さすがに米とかは買うけど、干し肉は狩るところから自給自足ッスよ」


「ふーん? もぐ……国から、たくさん報奨金が……んむ……出たんだろう? 別に、それくらいは買っても良かったんじゃないか?」


「しみついた貧乏性ってやつですな。あと、手作りの方がおいしいし?」


 冗談めかして、スナフは肩をすくめる。


「ま、おかげで準備に時間がかかったんだけど……いや、どうせ情報収集とか考えればこのくらいの期間は必要だったか」


 後半は独り言のように呟きながら、スナフはいつのまにか火にかけていた薬缶からコップにお湯を注ぐ。


 それを、あっという間に夕飯をたいらげたラナリスに手渡した。


「準備……」


 受け取ったラナリスの鼻に、よい香りが届く。

 ただのお湯ではなく、お茶らしい。


 スナフの後ろには、ここまで彼が背負ってきた大きな背嚢がある。

 今回の食糧含め、さまざまな『準備』が詰め込まれているのだろう。


「わかってはいたが、どうやら昨日今日に思いついての行動ではないようだな」


 さまざまな面で、手際が良すぎるとは感じていた。

 城からの脱出の際にも、いくらなんでも勇者だというだけで何もかも上手くいくわけでもなかったろう。


 スナフの足取りは、まるで何度もシミュレーションを繰り返したかのように迷いのないものだった。


「いつから考えていたのだ?」


「んー……」


 顎に指を当て、スナフは考える仕草。


「一月前くらい?」


「なっ……」


 あまりの驚きに、ラナリスは目眩さえ覚えた。


「ほとんど、私たちが戦った直後ということか?」


「まぁ、正確には戦う前から考えてたんだけどね」


「はぁ……!?」


 さらに目眩がひどくなる。


「お前は、何を……」


 くらくら、視界が揺れる。

 今すぐ横になって、目を閉じたい気分だ。


 目眩……というよりは。

 ラナリスは、急激な眠気に襲われていた。


「なにか、もったか……?」


 あまりの眠気に呂律が若干怪しい。


「この期に及んでそんなことするわけないでしょーが」


 スナフは苦笑いだ。


「さすがに疲れてんでしょ。とりあえずは、ぐっすり眠っとけばいいと思うよ」


「む……う……」


 一月に及ぶ牢生活――それも、横になることさえも許されない状況――に、いくら人間よりも体力のある魔族、その王といえど疲労が溜まるのを避けられるわけがない。


 そこから解放され、暖かい火の前で食事までとれば、疲労が一気に出てきたとしてもおかしくはないだろう。


「しかた……ない……」


 それ以上睡魔に抗えず、ラナリスは横になった。

 ちょうど顔のあたりに何かあったため、それを枕にする。


「ねこみ……おそう、な……よ……」


 最後に絞り出すように言うや、すぐ寝息をたてはじめた。


 泥のように眠る姿はあどけなく、いつもよりずっと幼く見える。


「どういう意味で言ってんだか」


 無防備な寝顔を見ながら、スナフは苦笑いを深めた。

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