第14話 Vtuber同化現象

 Vtuber同化現象と呼ばれる症状がある。

 その症状は、Vtuberとして活動していくうちに、現実世界の肉体が、Vtuberの容姿や性格に近づいていくというもの。


 多目的室①のスクリーンには、女性の写真が三枚、映し出されていた。


 左側の写真には、制服を着た黒髪の普通の女子高生。

 

 真ん中の写真には、Vtuber軽樽のアバター。


 右側の写真には、透が今朝負ぶって運んだヤンキーギャルゾンビ美少女。



「左が昔の軽樽さんの中の人の写真。真ん中が、軽樽さんのアバター。そして、右が現在の軽樽さんの中の人の写真です。見比べてみたら、違いがハッキリと分かりますね。6年間も続けていたら、ここまで容姿が変化します」

「い、意味が分からない」

「普通の女子高生だった少女が、Vtuber軽樽として活動していくうちに、Vtuber同化現象が発症し、現実世界の容姿まで軽樽に似てきたという、一つの症例です」



 取り乱した神里に、山辺は冷静に説明する。

 その説明で、神里は黙る。

 事実を坦々と説明されたら、受け入れて納得して、黙るしか方法がない。

 

 しかし、ギャルは黙らない。

 ギャルだから。



「コスプレとか、垢抜けたとか、イメチェンとか、そういう範囲のことじゃなくて?」

「違います」

「魔法で髪の色が変わるってこと?」

「軽樽さんは、美容室で髪を染めました。同化現象は魔法ではなく、極めて現実的な精神病です」

「じゃあ、同化現象とは関係なくて、自分の意思じゃないの?」

「その意思が、同化するのです」

「……わたしはわたしだって強く意思を持ち続けたら、Vtuber同化現象は防げる?」

「……おそらく、多少は症状の悪化が遅くなると考えられます」



 山辺も自信がない。

 Vtuber同化現象は、Vtuberがこの世に誕生してから生まれた、新しい病気だ。

 精神病の一種とされているが、詳しい原因は不明。



「しかし、Vtuber同化現象の発症率は100%です。Vtuberとして活動することで、大なり小なり同化現象は発症します。完全に防ぐことはできません」

「……そんな」



 メガネ女子、篠崎の呟きが漏れる。

 多目的室①は、シンとした雰囲気になる。


 その様子を、烏丸はどこか他人事のように、俯瞰した視点で見ていた。

 実際、Vtuberとしても烏丸 梓として活動する予定なので、Vtuber同化現象はあまり関係がないかもしれない。

 関係があるとしたら、容姿が少し変わるくらいだ。


 烏丸の頭の中は、詩音のことでいっぱいだった。

 


『恩田 詩音でいるために、小湊 みさきは卒業したの』



 思い出しただけで放尿しそうになる詩音の言葉。 

 この言葉の意味が、ようやく理解できた。

 詩音は、小湊 みさきとして6年間、活動を続けていたのだ。

 同化現象の影響をすごく受けただろう。


 確かにVtuber同化現象というものがあると聞かされてから、詩音の容姿をまじまじと確認すると、小湊 みさきのアバターの面影がある。

 

 ……あるだろうか?

 烏丸は自信がなくなってきた。


 思えば、小湊 みさきの容姿を鮮明に覚えていない。

 小湊 みさきが消えかかっている。

 みんなの記憶から。

 恩田 詩音の人生から。



「治療法は簡単で、Vtuberとしての活動を止めることです。卒業したり、長期間の休暇などで、Vtuber同化現象を抑制するだけでなく、身体からVを抜くことができます。それから、薬で免疫を付けるのも有効です。しかし、おそらく完治はしないと予想されています」



 小湊 みさきは、詩音の身体から抜けていく。

 しかし、思い出の分だけ、小湊 みさきは残り続ける。

 それは受け入れるしかない。

 忘れたくない、忘れられない大切な思い出だってあるのだ。



「Vtuber同化現象が発症し、完全に同化してしまうまで、もって5年と言われていました。しかし、今では研究が進み10年は大丈夫だと言われています」



 6年間活動をしている軽樽、小湊 みさきは限界だった。

 そして、軽樽はVtuber同化現象を受け入れ、小湊 みさきは受け入れなかった。

 軽樽は完全に美少女ゾンビ系Vtuberと同化してしまったのだろう。

 

 烏丸は欠伸をする。


 Vtuber同化現象について、精神病ですとか、完治しませんとか、何やらネガティブな説明の仕方をするが、症状が分かっているなら、容姿に関しては、最強の美容整形でしかない。

 

 運が良いVtuberとして活動したら、同化現象によって本当に運が良くなる。

 宇宙人Vtuberとして活動したら、同化現象によって本当に宇宙人になる。

 なりたい自分に、なれる。


 烏丸にはむしろポジティブな要素しか思いつかなかった。



「おそらく、このVtuber同化現象が大きな問題になることはないはずですが、まだ歴史が浅い業界の、歴史の浅い新種の病気なので、何が起こるか分かりません。みなさんにはそれを理解して、Vtuberになってほしい」



 透は、Vtuber同化現象に無関心だった。

 山辺の説明を、ボーっと聞き流していると、腕をツンツンされる。

 隣を見ると、神里が人差し指を突いていた。

 そして、その人差し指を机に向ける。

 机の上には、メモ用紙があった。

 メモ用紙をよく見てみると、小さい丸文字で何やら書いてある。



『気にならないの?』



 透はペンを持ち、メモ用紙に返事を書く。

 


『ならない。裏のことは、あんまり』

『自分が自分じゃなくなっちゃうんだよ?』



 透は神里を見る。

 不安そうな顔。

 そうか、彼女はまだ17歳の少女。



「大丈夫」



 安心させるために、言葉は声に出して伝える。

 シンとした部屋だから、透の言葉はみんなに聞こえてしまう。



「みんなが一生懸命作ってきたVtuberが、悪いもののはずがない」

「……うん」



 ガタンと誰かが立ち上がる音がする。

 透は音の方を振り向く。

 立っていたのは、烏丸だ。

 絶頂したのだろう。



「保健室に行ってくるよ」

「あ、はい」

「うん。ああ、果てる前に、わたしからも質問をしていいかな?」

「もちろん」

「Vtuber同化現象について、本にして出版していいかい?」

「……検討させていただきます」

「ふむ。良い回答を期待しているよ。じゃあ、もう少しで果てるから、わたしはこれで」


 

 烏丸は、多目的室①から退出する。

 彼女の絶頂に誰も驚かなくなった。

 台風も慣れたら、そよ風になるのだろうか。



「笑ってる」

「え?」



 神里は、左右の人差し指で自分の頬を押し上げ、透の笑顔を指摘する。

 透は自分の頬に手を置く。

 確かに、口角が上がっている。



「……嬉しかったのかな」

「なんで?」

「男の子だから」

 


 自分の言葉で、烏丸を絶頂させることができた。

 男の子だから。

 変な気分でもあるが、少し嬉しかった。




◇◇◇




 烏丸が保健室に到着すると、先客がいた。



「今日も来たの?」

「それは、こちらのセリフでもあるねえ。軽樽さん」



 先客は軽樽だった。

 ベッドの上で身体を起こしている。



「なんで名前……?」

「Vtuber同化現象についての授業で、貴方が取り上げられていたのさ」

「そっか。そうだった」

「……完全に同化してしまっているんだねえ。二次元と現実の違いこそあれど、たしかにそっくりだ。どうして、卒業を選ばずに、Vtuberに同化されることを選択したのかな?」

「わたしには軽樽しかないから。……みさきとは違うの」

「彼女はもう、小湊 みさきではないよ」

「……そう。彼女の名前を教えてくれる?」

「それは、本人に直接聞いた方がいいんじゃないかなあ?」

「……じゃあ、貴方の名前を教えて」

「本名は烏丸 梓だ」

「……Vtuberとしての名前は?」



 烏丸はニヤリと笑う。



「烏丸 梓だ」



 声高らかに名乗りを上げると、へにゃっと膝から崩れ落ちた。

 その場で仰向けになり、腰をヘコヘコさせている。

 


「……はあ?」



 軽樽は困惑した。

 意味が分からなかった。

 


「……ひん」 



 烏丸は自分の言葉で絶頂した。

 オナニーみたいなものだ。



 



 

 



 

 


 



 




 

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